コスメショップの店員と雑談を交わして感じたことがある。
情報が溢れ、誰かが放った、たった一言さえもがあっという間に拡散する今は、
情報を程よく取り入れたり、参考にしたり、
自分に合うようにアレンジすることは、意外と難しいことなのかもしれないと。
最近は、専門的な知識を誰もが簡単に入手できるため、
コスメショップの店員は、イエローベースの肌に合うものはどれか?
ブルーベースに合うものはどれか?といったアドバイスを求められることが増えているのだとか。
この他にも、お客様にとても似合っていると思う色をすすめても、
本人も似合っていると感じているにも関わらず、
私は〇〇ベースだから、より安心して使える色のものが良いと言って、選択肢を極端に狭めてしまう方も多いのだそう。
イエローベース、ブルーベースとは、肌や髪の毛などの色をもとに、
どちらかと言えば黄みが強い肌タイプ、どちらかと言えば青みが強い肌タイプという風に分類し、
より自分の肌に合う色を知るための判断基準になるものである。
これは、自分を知るきっかけのようなもので、この結果の生かし方や取り入れ方は多々あり、
自分に合うと言われている色系統以外の色は、絶対に使うことができない、絶対に似合わないと判断するためのものではない。
しかし、自分は○○タイプであると認識してしまうと、自分が思っている以上にその結果に縛られ、
メイクやファッションを思いっきり楽しめなくなってしまったり、
自分の持ち味を生かすのではなく、無いものへの憧れや執着を抱いて窮屈に感じつつも、
それに従ってしまう人も多いようだ。
そう言えば最近、イエローベースとブルーベースに優劣を付けているとも受け取れるような表現で特集を組んだ雑誌社に対して、
ネット上で様々な意見が飛び交い話題となった。
このイエローベース、ブルーベースという分類は、
自分の肌がどのようなタイプなのかを知るための判断基準というものだったはずなのに、
何となく優劣が付けられ、そのようなイメージも何となく世の中に広がっていたりする。
このような現象を目にする度に、情報の扱いや見極めは難しいと感じさせられる。
同じ日本人でも肌の色、質感、体質などを細かくみていくと、
確かに、いくつかのタイプに分類できるように思うけれど、
冷静に考えてみれば、両方の特徴を少しずつ併せ持っているミックスタイプもいる。
ファッションやメイクに関して、例えば、緑色が苦手という人がいたとする。
その緑と呼ばれる色にも様々な明度、彩度の緑があるため、
1000色ほどの緑色を合わせれば1色くらい、「この緑色なら私も使える」という色が見つかる可能性が十分にある。
洋装では似合わないように感じていた緑色が、
お着物ではビックリするくらい似合うというケースも多々あるのだ。
ただ、商品化される色には限りがあるし、他の要素も関係し、総合的に判断することになるため、
本来は、その1色になかなか出会えずにいるケースの方が多いように思う。
更に、世界中の人々の肌色を、このような分類に当てはめてみると、
私たちが、イエローベースだブルーベースだと分類している肌色は、
世界の人々から見れば、どんぐりの背比べであり、大差ない(ように見える)ものであるという。
もちろん、憧れている雰囲気もあるし、好きな色が似合えば嬉しい、
好きな色が似合う系統の色ではないという診断が出れば、テンションが下がることだってあるけれど、
振り回されたり、縛られたりするものではないように思う。
これだけ、見聞きすることが当たり前のようになっているイエローベース、ブルーベースという分類なので、
自分の結果に縛られすぎて窮屈さを感じているようであれば、一度、その結果を頭の片隅に置き、
自分の感性や経験からくる判断を思い返した上で改めて、
結果や、そこから得た知識の取り入れ方や活かし方を楽しんでみても良いと思うのだ。
ワクワクしながら楽しむ機会を狭めるための分類ではないし、
誰かの答えが、そのまま自分の答えになるとは限らないので、何ごとも柔軟に。
そのようなことを考えさせられた、ある日の雑談。
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