随分と夜明け時刻が早くなったと感じるこの頃。
暦の上では夏至を過ぎ、本来ならば夜明け時刻が遅くなっているはずなのだけれども、
私の体感センサーは、あっという間に過ぎ去る夜にフォーカスしてしまうようだ。
毎度、平安の時代に意識が飛んでしまうけれど、
当時の貴族たちは、あっという間に過ぎ去る夏の夜を恋人と交わす逢瀬に重ね、
その切なくて儚い想いを歌にしたためている。
春は日永(ひなが)、夏は短夜(みじかよ)、秋は長夜(ながよ)、冬は短日(たんじつ)という言葉があるけれど、
このような言葉は平安時代には既に使われていた言葉で、
お日様の日差しに目を向けるのか、夜の長さや短さに目をむけるのか、
巡ってきた季節の特徴を丁寧に拾い上げることで、四季を感じ分けていたことが窺える言葉だ。
日常で多用しているわけではないのだけれど、このように趣きがある言葉は、細々とでもいいから残っていて欲しいと思う。
それにしても、いつも思うことなのだかえれども平安時代の歌は恋歌が多い。
簡単に会うことができた世ではなかったのでしょうけれど、
歌を通して、心はとても自由だったのではないだろうかと思わされる。
そしてもうひとつ、恋と言えば運命の赤い糸の話があるけれど、
どうして黄色や藍色の糸ではダメなのだかろうかと思ったことがある。
私の運命の糸はイエローよ、私はブルー、私はパープルなの。などという会話があったなら、
運命の糸色占いのようなものが登場していたに違いない、と私の空想はどんどん広がっていった。
その空想が、ある程度まで膨らんだとき、ふと、赤い糸だと決めた人に興味が沸き、赤い糸のルーツを辿った。
運命の赤い糸は、中国の北宋時代に書かれた「太平広記」という書物に登場していた。
そこに登場したのは、このような話だ。
ある青年がお見合い相手と会うために出かけたところ、道すがら一人の老人に合うのだ。
その老人は彼に、そのお見合い相手との話はまとまらないだろうと言った。
しかし老人は、あなたには赤い糸で足と足が結ばれている女性がいると話し、その赤い糸で足と足が結ばれているという女性のことを伝えた。
この女性は、とても貧しい暮らしをしており、彼はそのことが気に入らず、家来にその女性を殺すよう命じた。
しかし、この暗殺計画は失敗し、月日が流れることとなる。
しばらくして、彼は上司から紹介された女性と結婚することになるのだけれど、
その女性の額には、彼が仕組み失敗した暗殺計画のときの傷があったのだ。
まさか自分の結婚相手が自分の命を狙っていたなどと疑いもしていない女性は、
額の傷の理由を正直に話し、彼は彼女を受け入れ、強い絆で結ばれた二人は幸せに暮らしたという話が赤い糸の元になった話なのだそう。
この話が日本に伝わってきたのだけれど、
赤い糸が結ばれているのは足と足ではなく、小指と小指だと一部変化した状態で、日本各地に運命の赤い糸の話が広まったようだ。
糸の色は、中国で特別な意味合いを持つ赤色が自然と選ばれ、
日本でも特別な意味を持つ赤色だったから、日本にも定着したのだろうけれど、
その糸が結ぶ場所が「足と足」だったのは、当時の日本人の美的センスに反していたのだろうか。
だから、控えめで、ちょっぴりロマンティックな「小指と小指」でいこう!と提案した人がいたのだろうか。
歴史や真実は、こうして改ざんされていくのかもしれない、と思ったりもして。
本日は、赤い糸のお話でございました。
最後まで、お付き合いいただきました皆さん、ありがとうございます。
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