自宅側にあるイチョウの街路樹が、いつの間にか緑色の葉に覆われていた。
数か月前までは、冬の名残を纏ったかのような裸木だったというのに、あっという間である。
途切れ途切れに表れるイチョウの木陰の中を歩きながら、色々なことを思い出した。
私が通っていた高校には、校舎と校舎の間にできた細長い形状をした中庭があった。
距離にして50メートル程の中庭で、その両端にはイチョウの木が植えられていた。
この時季は、街路樹と同じように、空へ横へ斜めへと伸びた幹や枝を、緑色をした葉が覆い、程よい木陰を作ってくれていた。
秋になれば、ドラマに出てきそうなイチョウ並木と言うと褒め過ぎだけれども、「それ風の」黄色い景色が広がる場所だった。
卒業してから一度も足を踏み入れることなく今に至っているため、あのイチョウ並木が今も在るのかは分からないけれど、良い景色だったと時々思い出す。
あるとき、仕事をご一緒していた方との雑談の中でそのような話をしたところ、学校だけでなく、お寺や神社にもイチョウの木が植えられていることが多いけれど、どうしてか分かる?と尋ねられた。
その方のご実家はお寺だと聞いたことがあったものだから、お寺に植えられているイチョウの木を想像しながら考えてみたのだけれど、それらしい答えが見当たらず、教えていただくことにした。
イチョウは、他の植物と比べると幹や枝、葉っぱに含まれている水分が多いという特徴を持っているという。
だから、学校やお寺、神社などでは、このイチョウの性質を活かして、火災が起きた際には被害を最小限に抑えられるように、他所から出た火災の火の粉で火事を起こしてしまわないようにと、火伏せ(ひぶせ)の役割で植えているのだそうだ。
そう言われて思い返すと、猛暑と言われる夏の日にイチョウ並木の下を歩くと、心なしかヒンヤリと感じていたし、
黄色く色づいたイチョウの落ち葉は、枯れ葉と言うには乾ききってはおらず、しっとりとしていたことに気が付いた。
イチョウは、勝手に地面から芽を出して育つ植物ではないそうで、必ず人の手によって植えられていることが、ほとんどだと言う。
今は、美観目的や日除け目的で植えられていることも多いのかもしれないのだけれど、
もともとは、木造の建物が当たり前だった時代の先人たちによる生きる知恵が、私たちの生活をさり気無く見守ってくれている証でもあったそうだ。
今年も順調に葉を茂らせはじめたイチョウの木の下で感じた瑞々しさに、そのような記憶を引き出された午後である。
イチョウの木の側を通る機会がありました際には、イチョウの木が放っている瑞々しさを感じてみてはいかがでしょうか。
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