ある晴れた日の午前中の出来事だ。
不意に聞こえてきたのは「ナイス、ナイス」という言葉。
誰の声?そう思って、恐る恐るクセのある甲高い声を辿った。
念のため各部屋をのぞき、最後に辿り着いたのはリビングだった。
室内からではないことに胸を撫でおろし、窓越しにベランダを見渡した。
すると、私が立っていた場所から対角線上奥の塀に、限りなく白に近いグレー色をした鳥が止まっていた。
私の気配に気づき、置物のふりで固まっているようにも見えた。
しばらく観察していると「ナイス、ナイス」とその鳥が鳴いた。
正直驚いた。
甲高いクセのある声の正体に思わず、えぇ……っという声が漏れた。
窓越しの状態を保ったまま、少しずつ鳥との距離を詰めると、淡いレモンイエローの顔に、
色鮮やかなオレンジ色のチークを入れたような頬が見え、その鳥がオカメインコだと分かった。
足には、金属製の何かが付いていたため、
どこかで飼われているオカメインコだと思ったのだけれども、私にはどうすることもできず、
ただただ室内から、その愛らしいお顔を眺めていた。
しばらくして、頭を2、3回振った鳥は「ナイス、ナイス」とひと鳴きし、塀の向こう側へ姿を消した。
オカメインコ本来の鳴き声がどのようなものなのか、オカメインコが喋るのかどうかも分からないけれど、
あれは鳴き声ではなく、飼い主の口癖か何かを真似たものだったのではないだろうかと推測した。
そしてふと、あのオカメインコは、外の世界を見てみたいと思ったのだろうか、
日頃、そう思いながら外を眺めていたのだろうかと思ったりもした。
新しいものごとは、しばらくすると馴染んだり、習慣になったりしながら新鮮さを欠いていく。
それは、次第に日常の景色となり、安心感に変わっていく。
一度、自分に馴染みきったものを手放したり、
その安心できる場所から一歩外へ踏み出すことに躊躇することもあるけれど、
そこをあえて、新しい場所へ、新しいモノゴトへと踏み出してみると、
今までの自分の中には無かった、モノゴトに対する新しい考え方や見え方、充実した時間や新たな実りを得られたりもする。
それだけ、新しい場所やモノゴト、刺激あるものは私たちの中に大きくて深い爪痕を残し、
日常を刺激的に、時に温かく満たしてくれるのだ。
しかし、華やかに感じられる新しい何かや、新たな刺激も次第に自分に馴染み、日常となり、安心感へと変わっていくもの。
そのような流れを眺めていると、代わり映えしない日常は進歩がないとか、
面白みに欠けると言い切るのは、少しばかり違うように思う。
きっと私たちは、慣れや日常という安心感と各々が感じる刺激との狭間を行き来しながら、
様々なものを積み重ねていくのだろう。
あのオカメインコも、ほんの少しの刺激を求めたのだろうか。
とてもチャーミングなお顔立ちをした珍客の大脱走(かどうかは定かではないけれど)に偶然立ち会い、
ポジティブな口癖の飼い主が待つ家へ無事に帰ってくれることを願いつつ、そのようなことをぼんやりと。
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