停車中の車内から街路樹の根元をぼんやりと眺めていると、
収穫前のシソの実、いや、収穫前の状態だから穂紫蘇(ほしそ)と言うのだろうか。
そのような状態の植物が目に飛び込んできた。
普段は、街路樹の根元に視線が向く機会が少ないということなのか、
そのような植物が生えていることにすら気付かずにいたのだけれど、
一度、気が付いてしまうと不思議なもので、
その植物が街路樹の根元に多く自生していることが分かった。
穂紫蘇(ほしそ)に似ていたけれど、穂紫蘇(ほしそ)ではないと分かるあれは、何だったのか。
後日、その時に撮っていた写メを引っ張り出して探していると、それがネジバナだと言うことが分かった。
その名の通り、小花が細長い茎の上を、螺旋を描くようにして捩じれながら咲き上がっていく花だ。
英語でもスクリューフラワーと呼ばれ、花が螺旋階段を上るように咲いていく様子が、植物の名として使われている。
その小花は、ピンク色と紫色が混じったような色をした花なのだけれども、
蘭と同種というだけあり、近くで見ると凛とした華やかさをまとった素敵な花である。
このネジバナは、捩じり花、捩じれ花、捩じり草、その他多くの呼び名があるため、
お住まいの地域によって、馴染みの呼び方が異なっていることもある。
そして、このネジバナは、少々気分屋だと言われている。
そのように言われている理由は、捩じれながら育つ性質を持つ植物の多くは、
日当たりや風当りをはじめとする環境の違いに関わらず、
品種ごとに巻き方、捩じれ方の向きが決まっているものが多いと言われている。
しかし、このネジバナは、花が右巻きに捻じれ上がりながら咲いたり、左巻きに捻じれ上がったり、
ネジバナという名でありながら、捻じれながら咲き上がることを放棄して縦一列に咲くなど、
花が咲くまで、どのような咲き方をするのか分からないというのだ。
私が停車中の車内から目にしたネジバナは、初めて見た捩じれることを潔く放棄したタイプだった。
ネジバナは、螺旋階段を上るようにして咲く花で、捻じれているものだ。
と、思い込んでいた私の常識を覆してくれたネジバナだったようだ。
このように、気分屋だと言われている花なのだけれども、
花言葉は、意外にも、思い慕うことや恋しく思うことを表す「思慕」。
ネジバナは、“ねつこ草”という名で万葉集に登場する。
その歌は、「あなたに出逢わなければ、私は、こんな風に恋に苦しむことはなかったでしょうに」といった内容の歌なのだけれども、
恋に思い悩む様子を捩じれ咲くネジバナの姿に重ねたこの歌が、
花言葉である「思慕」の由来になっているという説がある。
同じネジバナを見ても、気分屋であるとか、自由奔放だと映ることもあれば、
恋に思い悩む気持ちと重なって見えることもあるのだから、
モノゴトの見え方ら捉え方は、本当に様々だと思う。
ネジバナを知らなくても、この先、困るようなことはないと思うのだけれども、
このようなことに触れてみると、心を豊かにする小さな種をひとつ見つけられたような気分になる。
ネジバナが見られる季節は6月から9月頃、初秋までなのだそう。
とても繊細な植物で、雑草と間違われることの方が多いけれど、
野山散策を楽しまれる方々の中には、ネジバナの虜になる方もいるのだとか。
自然の中で探すもよし、信号待ちの間、普段は目を向けない場所へ視線を向けて探すもよし。
自分の心を豊かにする種は、どこにでも在るように思う。
全ては、いつだって自分次第。
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