まだまだ残暑厳しく、差し込む日差しにも力強さが残ってはいるのだけれど、
先日、ふと見上げた銀杏の木には、早くも銀杏の実が点在していた。
ハッとして、ここ最近を振り返ると、日の入りが早くなったように感じるし、
先週辺りから、エアコンの設定温度を数度上げていた。
キッチンで火を使うことも、煮込料理を作ることも、苦ではなくなっていたし、
朝夕の、もわっとするような暑さはいつの間にか和らぎ、
昼間の蝉の合唱が減った替わりに、夜はコオロギの鳴き声が響き始め、
夏の間、待ち侘びていた秋は、着々と近づいてきていた。
そのようなことを思いながら、もう一度空へと視線を向けると、
空は高く、吹く風には秋の匂いが混じっていることにも気が付いた。
秋を視界に捉えると、過ぎ行く夏の後ろ姿を少しばかり淋しくも感じたりして、
夏休みの宿題をやっつける子どものように、
今年もまた、駆け込みで、夏らしいことに手を伸ばし直す自分に呆れている。
しかし、季節の狭間で気持ちの揺らぎを感じつつ楽しむのも一興、と思う。
さて、次の休みには何を。と思っているとスッと横から手が伸びてきて、1枚の紙を差し出された。
足を止めないまま、思わず受け取ってしまったそれ。
時々、いらっしゃるのだ。
こちらの思考が働く前の、体の反射神経だけを刺激するような「手渡しの技」を持った、
チラシやティッシュ配りの達人が。
その一瞬を見分ける技に、思わず「天晴!」と心の中で発してしまう。
その日も、天晴!と発しつつチラシに視線を落とすと、家に棲みついてしまった害虫や野生動物などを駆除してくれる万屋の宣伝だった。
先日も、そのような業者にフォーカスしたテレビ番組をちらりと目にしたのだけれど、
自然界に食べ物が無くなるこの時季、田畑や街中にまで食料調達にくる野生動物たちがいる。
その野生動物たちによる被害総額は年間、数十億近くだという。
農作物によって生計を立てている方、そしてその農作物の恩恵を受けている私たちにとって、
それは死活問題でもあるため、駆除という方法を取ることが多いようだけれど、
野生動物たちもまた、同じように家や食べ物を奪われヒトと同等の、もしかしたらそれ以上の被害を受けている。
彼らは、ヒトのように被害総額を算出したり、訴えてくるようなことはしないけれど、
ただ必死に、生きられる場所を求め、そこで生きているだけなのだと思う。
ボタンの掛け違いを正す作業は、私たちが思う以上に時間と根気がいる作業だ。
秋空のもと、万屋業が増えていること、彼らが扱う業務の中身からも、世の中の状態は見えるものだと感じた日。
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