飲食店で時々、「おあいそ」と耳にすることがある。
先日も、偶然にその言葉を耳が拾い、ヒヨッコ社会人だった頃の遠い記憶が薄っすらと蘇った。
そのお店に馴染んでいるような、経験豊富そうな、
ツウであるように聞こえる「おあいそ」という言葉を発した同僚に対し、
当時の上司がやんわりと「このお店を気に入ったか」「また来たいと思うか」と尋ねた。
同僚は間髪を入れず、「また来たい」と答えた。
すると上司は、それだったら「おあいそ」ではなく、「お会計」と言った方がいいと思うなと微笑んだ。
その場の会話は、「そうなんだ」程度に留められたのだけれども、
後日、同じシチュエーションの際、同僚は「お会計」という言葉を店員に伝えていた。
それを見た上司は、「そっちの方がいいでしょ」と意味ありげに言い、同僚も「はい」とはにかんだのだ。
なに、なに、今の意味ありげなやり取りは。
そう感じた私は、こっそりと同僚にやり取りの真意を尋ねてみたのだけれど、
同僚からは「おあいそ」の意味を調べてみてとだけ返ってきた。
「おあいそ」という言葉。
これを、漢字で記すと「お愛想」となるのだけれど、これは「愛想尽かし」という言葉を略したもの。
諸説あるのだけれど、遊郭や歌舞伎の演目の中で使われていたと言われている。
古の時代の遊郭では、お客が、気に入った遊女に対する気持ちを無くし、
今後は、このお店には来ないという気持ちを、「愛想尽かし」という言葉で表現していたという。
ここから、「おあいそ」本来の意味には、
「もう、このお店には来ない」と言う意味が含まれているため、
お会計のことを「おあいそ」と言うのは、このお店にはもう来ませんと宣言していることと同じだと言われている。
そして、歌舞伎の演目の中に登場するシチュエーションは、
想いを寄せている相手に対して何らかの事情があり、
「あなたの事は嫌いだ」と告げなければならない、というもので、
そのような言葉を告げることや、そのような気持ちを態度で表すことを「愛想尽かし」と表現していた。
ここから、お店の方がお客様に対して使ったり、お客がお店に対して使うようになったのだとか。
日本には「ツケ」という、食事やお酒の代金をその場では支払わず、後日まとめて支払うというシステムがあった。
このシステムは、お互いの信頼関係があってこそのもの。
そして、お客がこのシステムを使ってツケておいてもらうということは、
これからも、自分とお店との関係が続くことをお店側に伝えることでもあったという。
逆に、ツケを使わずに完済してしまうのは、「もう、このお店には来ない」という意味となり、
そのようなシチュエーションの際に使う言葉が「ツケにしないのは、愛想尽かしだけど」というもの。
そして、時代を経る中で、ツケのシステムが一般的ではなくなり、
その都度、清算してもらうことが新常識となった。
時代の常識が変化する中、お店側がお客様に対して使う言葉として、
お金を払って帰れなんて本当は言いたくないのだけれど、
そのような、愛想ないことを言って申し訳ないのだけれど、と金額を伝える前置きとして使っていた言葉が「おあいそ」だ。
こうして、「愛想尽かし」という言葉を時代の変化と共に見ていると、
お店側もお客側も使ってはいるのだけれど、
お客側が「おあいそ」と使うのは違う、ということが分かるのではないだろうか。
一見、ツウで粋であるようにも聞こえる「あおいそ」という言葉だけれど、
知らずに「もう、このお店には来ない」と言ってしまっているのは、残念である。
ツウであるようにも、粋であるようにも聞こえない「お会計をお願いします」「お勘定をお願いします」だけれども、一番シンプルで誤解のない言葉なのだ。
当時、「おあいそ」という言葉の本来の意味を学んだと思っていたのだけれど、
下手に格好つけるくらいなら、素直に、ありのままで十分。そのようなことも学んだのかもしれないと思うこの頃だ。
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