予定が、思っていたよりも随分と早く片付いたため、その時間を使って茶器を見に行くことにした。
近年、急須でお茶(緑茶)を淹れて飲む方が減っていると、様々な場所で耳にする。
夏は暑いからちょっと……といった季節に限ったことではなく、「お茶(緑茶)はペットボトルで」という感覚が定着しかけているという。
ペットボトルのお茶のクオリティーも上がってきており、私も口にすることがある。
もちろん、美味しいと感じるのだけれど、やはりペットボトルのお茶にはペットボトルのお茶の美味しさや良さが、急須で淹れたお茶には、その美味しさや良さがあるように思う。
出来ることなら、両方とも無くならずにいて欲しいのだけれど、
こればかりは世の中の流れに委ねるしかないのかもしれない。
そのような事を思いつつ、特に購入の予定はなかったのだけれど、目の保養に、素敵な急須が並べられている場所で足を止めた。
すぐに、一組のご夫婦も同じ場所で足を止め、あることに対して意見を交わし始めたのだけれど、一瞬にして険悪な空気が漂い始めた。
息苦しさを感じた私は、その場を後にしたのだけれど、その意見というのは、
急須の注ぎ口についている透明なチューブを捨てて欲しいと言うご主人と、あれは捨てるものではないと言う奥様のやり取りだった。
この話題は、私の周りでも上がったことがあるのだけれど、世の中には“捨てる派”と“捨てない派”がいるのだ。
どうして急須の注ぎ口に、このようなチューブが付いているのか。
このチューブの本来の目的は、商品を出荷するときや、お店で購入して持ち帰っているときに、注ぎ口が破損しないよう保護することだと言う。
このような目的で付けられているものなので、急須を使い始める際には、このチューブを外して使うのが本来の正しい使い方。
仮に、このチューブをつけたまま使用したとすると、
チューブと注ぎ口の隙間に茶渋や汚れがたまったり、目には見えない雑菌が繁殖したりと、衛生的ではない上、
微細な差ではあるそうなのだけれど味にも変化が出てしまうのだとか。
とは言うものの、どうしても破損を心配してしまう方や、
不特定多数の方にお茶を出すような場で使われる急須など、チューブをつけたまま使用したい場合には、
少し手間ではあるのだけれど、使用する度にチューブを外してチューブと注ぎ口をしっかりと洗い、
チューブの中もしっかりと洗って乾かすという工程が必要のようだ。
子どもの頃から当たり前だったことというものは、自分の中でいつの間にか常識となっていることも多く、
「正しい」、「間違い」などと急に言われて戸惑うこともあるのかもしれない。
急須の注ぎ口についているチューブのことであれば、笑って流すことも可能だろうけれど、
自分以外の他人との間には、そうではないこともある。
身を置いている環境が与える影響は、様々な意味で大きい。
あのご夫婦のチューブ問題は、どこに着地したのだろうか、などと思いながら次の目的地へと向かった。
本日の関連記事:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/