街路樹にルビーのように鮮やかで、瑞々しさ溢れる木の実が、いくつも生っていた。
見慣れているはずの街路樹を視界の端に捉えながら、何という木だっただろうかと思った。
初夏辺りに花が咲くのだけれど、その花を目にする度に、
薄れゆく春と、薄っすらと感じる夏の匂いに胸を掴まれる、そのような花木だ。
だけれども、あの花木に赤い木の実なんて実るのだろうか。
思い出せない名を、記憶の箱を掻き混ぜながら探していると、街路樹の根元に「ハナミズキ」とあった。
そう、そう、そう、そう、ハナミズキだ。
十字架を模したような花を見れば、すぐに分かるのだけれども、知っている花木の表情もほんの一部にすぎないようだ。
これからの季節は、自然の色が少しずつ減っていく。
そのような中で見るハナミズキの赤い実は、深まる秋の景色を鮮やかに彩っているように見えた。
ハナミズキは外国でもよく目にする花木なのだけれど、外国では、キリストを表す花だと言われている。
なんでも、キリストが、はりつけの刑に処されたときに使用された木が、ハナミズキだったと言われているというのだ。
当時の私は、その話を教えてくれた英語圏の友人に、
使用された木材のことまで記述に残っているなんて!といった感じで驚くと、
実際に記述が残っている訳ではないため、時代を経た後に作られた話だと補足した。
内心、「(作り話か、確かに使った木材のことまで覚えている人は居ないだろう)」と思っていると、
友人は、その作り話の中身を語り始めた。
ハナミズキは、もともとは、人をはりつけてもビクともしないくらい丈夫な木だったようなのだけれども、
十字架に使われたことを悲しんだハナミズキは、自分の姿を、
細い枝を分かれさせながら成長する現在のような姿に変えてしまったのだそう。
そして、その悲しい出来事を忘れないように、花は十字架を模したような姿に、
花の中央は、いばらの冠のような姿になったそうだ。
作り話だということだけれど、ギリシャ神話などに登場しても違和感がない作りに、
諸国ならではの感性のようなものを見たような気がした。
そして、このストーリーが元になっているのではないかと思うのだけれども、
外国でのハナミズキの花言葉は、耐久性や永続性といったものが最初に挙げられる。
一方の日本にとってのハナミズキは、アメリカに桜を贈ったお礼として贈られた花木であることから、
返礼の木と呼ばれており、花言葉は、返礼、華やかな恋、私の思いを受け取って、などが挙げられている。
歴史は時の権力者によって書き換えられるといった言葉があるけれど、
何か真で、何か真ではないのか、真実を見つけるのは簡単ではない、なんて思ったりもして。
それにしても、ハナミズキに生っていたルビーのような実の美味しそうなこと。
直ぐに、食べられる実なのか調べてみたのだけれど、
加工もできないくらいのお味で、食べることはできないのだそうだ。
その日は、脳内に広がる甘酸っぱいイメージを打ち消しながら目的地へ向かった。
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