ひと晩中、煌々と輝く街明かりに、お株を奪われている満月だけれども、
それでも、柔らかくも凛とした姿は、いつ見ても心を掴まれる美しさである。
秋風が心地よくなったこともあり、夜空を見上げながら歩く、気持ちの余裕も取り戻したように思う。
その日の満月は、触れたなら、ひんやりとした冷たさが感じられそうな、白金色をしていた。
今にも月の雫がしたたり落ちそうな、こっくりとしたハチミツ色の満月も素敵だけど、これもまた捨てがたい。
そのようなことを思いながら夜道を歩いた。
子どもの頃、歩こう大会という名のウォーキングイベントに友人たちと参加したことがある。
日が沈んでからの暗闇の中、4、5キロの道のりを歩いてゴールを目指すのだ。
特に子供向けのイベントという訳ではなかったため、
大人も子どもも入り混じった、アットホームな大会だったと記憶している。
多分、当時の私は、小学校の低学年頃だったのではないだろうか。
参加申込書を親に記載してもらっていたのだけれど、本当に歩ききることができるのか、
途中でリタイヤすることは出来ないというようなことを、何度も何度も繰り返し確認されたことを覚えている。
子どもだけで真夜中の夜道を歩くということ自体、当時の私たちにとっては、スペシャルな非日常であり、待ち侘びるに足るイベントであった。
開催時期は年末の寒さ厳しい頃。
防寒対策をしっかりと施した装いで、私たちはゴールを目指し、スタートした。
その日も確か、白金色の月が空に上っていた。
今よりも大きく感じられた月と、今よりも目についた星々を思い返すと、
夜空の景色も随分と様変わりしているのかもしれない。
友人たちと、止まらぬお喋りを楽しみながら歩いたり、
疲れて言葉少な目になったり、
追い越していく大人たちに、大丈夫か?と気にかけてもらったり、
リュックの中から甘いものや飲み物を取り出して元気と笑顔を取り戻したりしながら、
長くて短い、短くて長い夜道を歩ききった。
到着したときの安堵感や、ご褒美に手渡される熱々の豚汁の美味しさは、
薄れゆく記憶の中に半分埋もれながらも、今も尚、在るところを見ると、
多くのことを感じることができた、小さくて大きな冒険だったのだと思う。
今は、夜道だって自分の意志で歩くことができ、特別なことではなくなってしまったものだから、
夜道を歩くくらいでは、あの時のようなワクワク感は、正直得られはしないけれど、
その代わりに懐かしむことができるようになったのだなと思う。
うっかりしていると、振り返ることの方が多くなってしまいそうだから、
心が凝り固まってしまわないように、時々、心を揉みほぐしておかなくては。
そう思いならが歩いたある日の帰り道。
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