今年は我が家にお掃除ロボットがやってきた。
まだまだ世の中に、その存在が浸透する前から恋焦がれていたロボットである。
周りの人たちに、こんなにも素敵な家電があるのだと熱弁していた遠い日が懐かしい。
当時は、柊希の妄想劇場が始まったか!?といったリアクションを浴びまくったけれど、
今ではそのような家電があることを知らない人の方が少ないのではないかと思う。
しかもお値段も随分とリーズナブルなものまで登場しており、家電技術の進化には毎回驚かされている。
お掃除ロボットの使用に対する印象は賛否両論あるようだけれども、私は思うように掃除の手が行き届かなった自分に凹むことに時間を割くことになるくらいなら、
お掃除ロボットの手を借りて心健やかにいようという結論に至り、迎え入れた。
新しいおもちゃを手に入れたときのような気分に包まれた私は、自動で任せておけばいいものを、
本当に隅々までブラシが行き届くのか、ゴミをかき集められるのか、自力で充電スペースに戻ってくることができるのか、
お掃除ロボットに付いて回ったのでは意味がないなと自分に呆れつつも、
「初めてのおつかい」を見守る親であるかのような視線を数日間、向け続けた。
しかし、今は私が見守らずとも、隅々までキレイに掃除をしてくれる相棒に、絶大な信頼を寄せている。
私の友人の多くは、掃除機は自分でかけた方が早いし確実だというタイプが多いこともあり、
私の相棒を前にして「こういうのは、あまり信用できない」と笑うのだけれど、その度に私は、これがあって幸せだと笑い返すのである。
しかし、逆の状況もある。
友人にとって必要なもの、これがあれば楽だというものが、私にとっては、そう感じるようなものではなく、不要だと感じることが。
何が必要で、何が不要なのかも人によって感じ方は様々であり、様々で良いのである。
自分の小さな希望を1つ叶えただけだというのに、気が付かずにいた諸々から解放され、気持ちが軽やかになった分、
本当にエネルギーを注ぎたいことにエネルギーを注ぐことができるようになったように思う。
たかが掃除機如きで大げさなと思われてしまいそうだけれど、私にとっては「されど掃除機」であったようだ。
そのようなことを思いながら、日々私の変わりに動いてくれている相棒を労うべく、隅々まで丁寧にお手入れを施す夜である。
忙しさに追われて自分の希望を叶えて挙げられていない自覚がある方は、ひとつ、自分の為に叶えてあげてみてはいかがでしょうか。
自分のためだけの時間を1時間確保する、
自分が本当に観たい映画を1本観る、
今夜の夕食メニューは、ご家族の好物ではなく自分が大好きなメニューにする、
たったそれだけで何が変わる?というようなことに秘められた力たるや、でございます。
今日も、ここへ足を運んでくださった皆さんに、ほっと一息つく時間がありますように☆彡
いつも、ありがとうございます。
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