寒い。
ひと晩かけて自分の体に馴染んだ、何とも言えぬ温かさのベッドから抜け出すのに勇気がいる季節である。
遠くの方で微かに聞こえているかのような音量のアラーム音が、次第にボリュームを上げながら耳元へ近づいてくる朝だ。
アラームを止め、ブラインドの羽根を緩めて朝陽を取りこんだけれど、今日はもう少し眠っていられる日だと気付き、再び、ぬっくぬくのベッドの中へ潜り込んだ。
この、再び潜りこむことができることの幸せ感といったらない。
二度寝バンザイと頭の中で呟いて、ベッドの中の温かさを貪っていたのだけれど、外を行き交う車の音に邪魔されて体を起こした。
ガウンを羽織ってみるも、みるみるうちに冷やされていく体をさすりながら、
マグカップにレモン果汁入りの白湯を準備し、それを飲みながらソファで体が目覚めるのを待った。
窓からはオレンジ色の陽射しが差し込んでいて、リビングの床に陽だまりができていた。
猫を飼っていたなら、あの陽だまりは猫に占領されてしまうのだろうか。
そのような想像を巡らせながら、頭と体をゆっくりと目覚めさせる、心地よい朝だ。
テーブルの上に置きっぱなしにしたままの万葉集をパラパラとめくっていると、「いろせ」「いろね」といった言葉に目がとまった。
初めてこの言葉に触れたときは、「いろせ」とは、「いろね」とは何?全く意味が分からないじゃないか、と少々腹立たしく思ったこともあったけれど、
無理をせずに時間をかけて眺めているうちに
「いろせ」は、同じ母から生まれた兄を、「いろね」は、同じ母から生まれた姉を表す敬称のようなものだと分かった。
そして、この時代に使われていた「いろ」という言葉は既に、恋を表す言葉としても使われていたということも知り、
古と現代を結ぶピースのようなものに触れることができたような感覚になった。
このときの出来事も、知らなかったことを知ることができたなら、
それまで見えていなかった世界が目の前に現れる楽しさを知るきっかけの一つだったのかもしれない、と今は思う。
正直なことを言えば、知らぬままでも困りはしないと思うこともあるのだけれど、
見えていなかった世界が目の前に表れる楽しみを知ってしまったら、
そこから更に、様々な世界が広がっていく感覚を知ってしまったら、
知らなかった頃の自分には戻ることができないということも、このようなことからも体感したように思う。
私の心内のことはさておき、「色(いろ)」のお話を少し。
過去記事で誕生色というものをご紹介させていただいたことがあります。
その中では、お誕生日月の色にフォーカスを充て、日本の伝統色を様々な視点から見たり触れたりしていたのですが、
国の文化や、そこで暮らす人々の生活の様子を知る方法のひとつとして、その国の伝統色、色をのぞくと良いと言われることがあります。
もっと私たちの身近なモノゴトに当てはめるならば、その年の景気の様子が、世の中で特に好まれる色に表れていると言われることもありますし、
平安時代の着物と大正時代の着物を見比べてみますと、
時代によって反物の使われている色の雰囲気が異なっていることは明らかで、その異なりが時代の異なりを映していたりもします。
このように、色というものは、ただそこに在るものというよりは、
人々の心内や世の中の状況、モノゴト、風景といった、色以外のものと関わっている、面白いものでもあるのです。
「色恋」という言葉がありますが、こちらもまた鮮やかな時、穏やかな時、暗く沈んでしまいそうな時と、人が抱く様々な心情や状況が「色」という言葉に込められています。
もとは、身近な人を表す敬称だった言葉ですが、
「色」は、様々な扉を開くための「鍵」のような存在なのではと思ったりもいたします。
きれいな色を見て、大なり小なり気持ちが動くのは、気付かぬ間に扉を開け、色の奥の世界に触れているサインかもしれません。
「色」「いろせ」「いろね」など、色に触れる機会がありましたら、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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