先日、ジャズオーケストラのステージを鑑賞した。
日常から非日常の世界へ足を踏み入れ、素敵な音色のシャワーを全身に浴びると、細胞たちがザワザワし始め、プルンッと潤う感覚は何度経験しても心地良い。
先日のオーケストラは、幅広い年齢層のプレイヤーで構成されているのだけれど、人生の大、大、大先輩と言える世代のプレイヤーの方々も多数いらっしゃって、
その方々が奏でる、パワフルで艶のある音色に終始魅了されっぱなしだった。
年齢を一切感じさせない圧巻のステージなのだけれど、
束の間の非日常空間を後にして現実世界に戻ったとき、「あの年齢になっても大丈夫なのか」「まだまだ、色々な景色を見ることができるのか」「まだまだ前進できる」と、
漠然としたものではあるのだけれど、人生の大、大、大先輩方から大きな力を分けてもらえていたことに、改めて心が震えるのだ。
全ての人がというわけではないけれど、人は大なり小なり変化に弱い。
「変化することが良くて、変化しないことは良くない」とは思っていないのだけれど、ある視点から「変化すること」を眺めたとき、
自分にとって好ましい変化が来たときに、変化というものに慣れていないと身動きが取れず、自分にとっての好ましい変化をキャッチできないこともある、と思ったりもするのだ。
自分のことを、チャンスが無いと思うときというのは、変化に慣れていない自分や、変化を求める一方で変化を避けている自分が顔を見せているようにも思う。
例えば、ニンジンを輪切り調理することが多いというのであれば、一本丸ごとピーラーでスライスした人参を使って調理してみるのはどうだろう。
これもある意味、小さな変化だけれど、このときに自分が感じることの中には、普段とは異なる変化に対する、今の自分の何かしらが表れるように思う。
ヨーロッパには、目の前に現れたチャンスは、すぐに掴まないと後からは掴むことはできない。という意味の「チャンスの神様には前髪しかない」ということわざがある。
このチャンスの神様というのは、ギリシャ神話に登場する、美しい翼を持ったカイロスという名の美少年だ。ことわざの中にもあるように彼には前髪しかない上に、目にも止まらぬ速さで移動するため捕まえるのが難しいというのだ。
それくらい、チャンスというものはあっという間に私たちの前を通り過ぎていくため、
自分にとって好ましいチャンスを自然に掴むためにも、自分で起こす小さな変化を楽しむ余裕も欲しいものである。
変化し続けることこそが唯一、私たちが持っている変化しない面で、いつだって、どこからだって自分次第。
人生は長いようでいてあっという間だと言うこともあるけれど、
あっという間であるように見えて、まだまだ先は長いとも言えるのだから。
そのようなことを思う夜。
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