スマートフォンを操作しながら、何だかこれ、人の体に似ているなと思った。
私のスマートフォン、外側はツヤツヤのピッカピカなのだけれど、日々、酷使していることもあり消耗するのが非常に早い。
だから毎回、外側と内側のギャップに戸惑いつつ機種変更をしに行くことになるのだ。
何度か見極めを誤り、突然スマートフォンが使えなくなるという非常事態が起きた。
普段は、スマートフォンが無くても何となるだろうと思っているのだけれど、非常事態で実感したのは、現実はそうではないということと、簡単には手放すことができないほどの相棒になっているということだった。
そして、失って初めて気が付くことは、日常の至る所に在るのだということも。
私たちの体も、外側は健康に見えたり若々しく見えたりしていても内側には、それなりの消耗箇所というものがある。
使い手の癖によって酷使している場所もあるだろう。
そこを、どうケアしてくか、気にかけていくかで、外側と内側本来のバランスが取れるのだろうと、ぼんやりと思う。
スマートフォンと人の体、また妙な繋げ方をしてしまったと思いながらそれをデスクに置くと、そばに投げだされていた付箋に目が留まった。
そうそうそう、試したいことがあったのだ。
先日、とあるカウンターで手続きをしていただいていたときのことだ。
担当してくださっていた方が、正方形の付箋紙の塊をボンッとカウンターの上に置き、一枚捲って使用した。
手続きの間、そのような仕草を何度か目にし、何かが違うと感じていたのだけれど、その違いが何なのか分からぬまま時間が過ぎた。
手続きも終盤に差し掛かったとき、この人は付箋紙の捲る方向が違うのだと気が付いた。
ここで、正方形の付箋紙を想像していただきたいのだけれど、多くの方は糊付け部分を上にして置き、下から上に向かって(手前から奥へ向かって)付箋を捲り剥がすのではないだろうか。
しかし、その方は付箋紙を剥がすとき、糊付け部分を左側、縦になるように置き、下から上に向かって(手前から奥へ向かって)付箋を捲り剥がしていたのだ。
何となく珍しいように感じたことと、その流れるような手捌きが印象的だったものだから、雑談の中で伝えると、
このように捲り剥がすと糊付け部分がクルッと反り返ることが無いのだと教えて下さった。
そして、初めて聞いた内容に、向きを変えるだけで!?と興味を抱いた私に、社会人に入社したばかりの頃に教育係の先輩に教えてもらって以来、ずっとこの方法なのだと笑顔で仰った。
そのような出来事を思い出したものだから、付箋紙の塊を手に、いざトライ。
まずは、何も考えずに捲ってみると気にするほどの状態ではないけれど、確かに糊付け部分がクルッと反り返る。
次に、教えていただいたように糊付け部分を左側、縦になるように置き、下から上に向かって(手前から奥へ向かって)付箋を捲り剥がしてみた。
確かに、付箋紙が反り返ることは無かったのだけれど、正直なところ、どちらの方法でも使用に差支えはないと感じた。
しかし、後で気が付いたのだ。
クルッと反り返らなかった付箋紙は、糊付けなしの部分が浮くことないため剥がれにくいということに。
社会に出ると色々なことを知ったり、気付いたり、気付かされたりするけれど、付箋紙一枚にも色々とあるものだ、そう思った出来事である。
この捲り方が私に定着するのか否かは分からないけれど、しばらくはこの捲り方でニヤッとしてみようかと思ったお昼時である。
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