我が家は、卵を購入する機会が少ないため、冷蔵庫の卵ゾーンは、ほぼ空っぽ状態だ。
使っていたとしても、そこにあるのは卵ではない何かであることが非常に多く、行き場を失ったものの一時待機場所と化している。
しかし、先日我が家に新しく仲間入りした冷蔵庫の卵ゾーンを見ると、かなり多めの卵を収納できる作りになっており、世の中のニーズと自分のニーズにズレが生じていることを知ったような気がした。
久しぶりに卵でも並べてみるかと、趣旨が異なっていたけれど、6個入りの卵を買って並べた。
あるべき場所に、あるべきものがある景色に少しだけテンションがあがった。
せっかく買ってきたのだからと卵料理を作ったのだけれど、ボウルに卵を割り入れふと思う。
カラザ、取らなくていいのよね、と。
カラザとは、卵を割った際に卵黄のそばにへばりついている、白い紐状の“あれ”である。
子どものころ、この白い紐状の“あれ”をカラザと呼ぶのだと誰かに教わった。
どういう訳だか、その響きが私の記憶から消えてしまうことはなかった。
だから時々、「あぁ、カラザね」と発し、どうして“アレ”の名を即答できるのだ?と不思議な視線を向けられることがあるけれど、
記憶から消えなかった理由=即答できる理由は私にも分からず、カラザは私に、人の記憶に爪痕を残す字並びでもあるのだろうかと、また別の疑問を投げかけてくる不思議な存在である。
本題から大きく逸れてしまいそうなので、この辺りで軌道修正をして、白い紐状の“あれ(カラザ)”を捨てるか、捨てないかという話題なのだけれど、ワタクシ、つい最近まで、このカラザを面倒だなと思いつつも丁寧にお箸で取り除いていたのだ。
正確には、時々まぁいいか、と付いたままシャカシャカッと掻き混ぜてしまうこともあったけれど、どちらかと言えば取り除いて捨てる派である。
しかし、このカラザは卵白の濃度を高めたものでできており、更にその中には抗がん物質だと言われるシアル酸という栄養素が含まれていることが近年の研究で分かったというのだ。
もちろん、卵一個分のカラザを食べたから、食べなかったからと言って体に良い、悪いの影響がすぐに出るわけではないけれど、抗がん物質を含む良質なタンパク質でできた栄養価の高いカラザをわざわざ取り除いて捨てる理由もない、という話である。
卵かけごはんの時には、食感などの好みもあるので取り除くこともアリだとは思うけれど、例えば、目玉焼きや卵焼き、オムレツなど、火を通す調理方法であれば、カラザが入っているか否かは、食の好みに大きな影響はないのではないだろうか。
そうであれば、取り除くひと手間が無くなり、体に嬉しい栄養素をしっかりとることができる、カラザ捨てない派にシフトして損はない、と思ったのである。
それからワタクシ柊希は、カラザ丸ごと美味しくいただいているのですが、人の好みは千差万別。
もし、カラザを召し上がることに抵抗がないようであれば、臨機応変に召し上がってみてはいかがでしょうか。
何かしらのヒントや閃きのきっかけにしていただけましたら幸いです。
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