台風が近づいていたときのことだ。
ぐっすりと眠っていた真夜中、顔を何かに照らされたような気がして目を開けた。
すると、完全に下ろしきれていなかったブラインドの隙間からピカピカッと光が差し込んだ。
雷だ。
ブラインドを、うっかり下ろし損ねてしまった自分が悪いのだけれど、どうして光るかなぁと居直りにも近い思いを抱きつつ、ブラインドを完全に下ろし直した。
しばらく静かにピカピカと光っていたのだけれど、風の音が増し、雨粒が建物に叩きつけられるような音がした。
この辺りで完全に目が覚めてしまい、頭の中であれこれと思いを巡らせる夜となった。
風の音を聞きながら思い出したのは風神様の話である。
風神様は、地域ならではの呼ばれ方を持っていたりもするのだけれど、一番に思い出すのは「風の又三郎様」「又三郎様」という呼び名だ。
そう聞いて、「そうそうそう」と頷く方もいらっしゃれば、「それって宮沢賢治の本のタイトルじゃないの」と思った方もいらっしゃるだろう。
どちらも正解なのである。
東北地方では風神様のことを「風の又三郎様」「又三郎様」と呼び大切にしてきたという。
そして、宮沢賢治の著書『風の又三郎』はこの風神様を題材にしている。
読んだことはあるけれど、もう内容をはっきりと思い出せないという“大人あるある”も多いように思うので、簡単に柊希目線であらすじをざっくりとおさらいすると、
夏休みが開けた9月1日、大都会から不思議な風貌をした1人の少年が村に転校してくるのだけれど、名を高田三郎という。
高田三郎少年(以下少年)は少しずつ、転校先である村の子どもたちと仲良くなっていくのだけれど、少年がくると強い風が吹くという不思議なことが起こるため、子どもたちは少年を風の又三郎と呼ぶようになる。
しかし、とてもとても強い風が吹いた翌日、風の又三郎は学校に現れず、子どもたちは他校へ転校してしまったと伝えられるという物語だ。
とてもざっくりとしたあらすじなのだけれど、9月1日は、二百十日(にひゃくとおか)と呼ばれる雑節(ざっせつ)のひとつだ。
この雑節に関するお話は、『雑節が知らせてくれる“あれやこれや”をのぞいてみる日。』というタイトルの過去記事でも触れているのだけれど、
二百十日(にひゃくとおか)は、台風が来る日と言われており、収穫を控えている農家の方々は注意をしておくようにという、お知らせを兼ねている。
その9月1日転校してきて風を起こし、強い風が吹いた翌日に姿を消した少年とくれば、その正体は風神様/風の又三郎様/又三郎様なのでは?という見方もできるのだ。
作中にはそのような種明かしのような記載は一切ないため、正解は人の数だけあり、この物語を読んで各々が感じたことが全てだ。
ただ、このような視点で物語に触れ直してみると、一見どうでもよく見える転校してきた日にちまでもが、謎解きに必要な欠片のように見えてくるし、
ありふれた村で起きた、転校生と子どもたちの物語として読んだだけでは感じられない世界をのぞくことができるように思う。
今年の二百十日(にひゃくとおか)は既に過ぎてしまいましたけれど、風が強く吹く日には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
今回もワタクシ柊希にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
本日も良き日となりますように☆彡
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