楽しみにしていたことが延期になった。
密かにではあったけれど、とてもとても楽しみにしていたことである。
残念ではあるけれど、そういうことも生きていれば多々あるわけで。
しかし、驚いたのは気分をスパッと切り替えたつもりだったのに、家の中で地味にグズグズしている自分がいたことだ。
そのグズグズっぷりから、自分が思う以上に楽しみにしていたのだと自分のことを改めて知り、我ながら笑ってしまった。
だから、グズグズしている自分をあやすかのように、ぽっかり空いた時間は好きな場所へ行こうと家を出た。
その日選んだのは、家から一番近くにあるフラワーショップである。
フラワーショップに入ったときの、ひんやりとした空気や、澄んだ空間に広がる花や少し青くさい葉っぱの匂いが好きだ。
切り花や観葉植物を眺めていると、あれもこれもと欲しくなるのだけれど、目の前にあるものは全て命あるもの。
一緒に過ごす時間の長さがどれほどなのかは分からないけれど、お互いに心地よい時間を過ごすことができるであろう量だけをいただいて帰ろうと思いながら店内を見回る。
そう思っていると、とびっきりの一輪を選ぶ目も真剣になるのだけれど、不思議なもので、そのとびっきりの一輪は、フラワーショップに入って最初に心惹かれたものであることが非常に多い。
そして、散々目移りしたのにコレに落ち着いたなと思いながらお会計をするのである。
まるで知らぬ間にエニシが結ばれて始まった恋のような……一輪との出会い。
大袈裟すぎる物言いだけれども当たらずとも遠からずで、とびっきりの一輪は別れのときまで愛おしいのである。
私には、ふらりとフラワーショップへ入るのに勇気を要した時期があった。
あの空間に足を踏み入れたら最後、絶対買わなくちゃお店からは出られない。
一輪だけ買うなんて、お店の方に悪いのではないだろうか。
たった一輪?だなんて思われないだろうか、などなど。
入りたくてたまらない場所なのに、このような感情がひと通り生まれていたように思う。
もちろん、これらはこちら側の勝手な思いであって、フラワーショップの方からすれば、「お気軽にのぞいて下さい、1輪からでも承りますよ」と両手を広げて迎え入れる準備をされているというのに。
人は良くも悪くも目の前の景色を自分が見たいように見るところがあるけれど、遠い日の私はフラワーショップをそのような場所として見ていたのだ。
今ではふらりと立ち寄ることができる、ちょっとした癒し空間のひとつであり、自分の世界は自分で如何様にも広げていくことができる、そのようなことも思い出させてくれる場所でもある。
その日は、お店の中でその日一番大きいというバラを一輪、手にして帰宅した。
そして、期間限定で始まった同棲生活は、甘い香りと共に今も続いている。
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