リビングに大きな陽だまりができていた。
これ、私が好きなもののひとつである。
目を通す予定でいた期日間近の資料の全てを持って、この陽だまりの中に座った。
しばらくすると、太陽に温められた血液が全身を駆け巡る合図を送ってきたのか、足の指先がジンジンとし始めた。
資料を横に置いて陽だまりの中に寝転がると、日焼けなどどうでもよいと思えるような心地良さの中、体温がじんわりと上がり始める。
閉じた瞼の裏側にはオレンジ色を混ぜたような赤色が広がっていて、太陽を直接見ることはできないけれど、もしも直接見ることができたなら、太陽は、こんな色をしているのではないだろうかと思う。
あまりの心地良さに瞼が開けられなくなり、右へ左へと転がりながら日光浴を楽しんでいると、英国で度々目にした「SUN(太陽)」と書かれた旅行会社の広告を思い出した。
そのような広告が多いことに気が付いたものの、どうして「太陽」というワードがセールスポイントになるのか分からなかった私は、その訳を頼れる知人であるエリザベスに聞いたことがある。
すると、「訳がわからないのは日本人が贅沢だからよ」と返ってきた。
このエリザベス、子どもの頃に日本で暮らしていた経験があり、とても流暢な日本語を話すことができるのと同時に、日本のことも母国のこともとても冷静に観察できる目を持っていた。
彼女の話によれば、イギリスを含めた北ヨーロッパの地域の夏は短く、日本のような残暑というものもない。
そして、ヨーロッパにも秋という言葉は存在してはいるものの、北ヨーロッパは、夏が終わればすぐに冬が始まるようなところであり、そこで暮らす人々は、一年の半分以上を、鉛を空に溶かしたような曇り空の下で過ごしている。
それが何か?と思ってしまうけれど、太陽の存在は、私たちが思う以上に大切で、日照時間が短いこの地域では夏が終わると、季節性うつ病患者が増えるのだ。
だから、ヨーロッパの人たちは長期休暇となれば、太陽を求めて旅へ出るため、旅行会社の広告には「太陽」というキーワードがポイントになっているという。
この話を聞いたとき、外国の方はバカンスへ行くと、何もせずに日光浴をして過ごしていることが多いけれど、日本人はあちらへ、こちらへと少々忙しないともとれるスケジュールで観光をするという光景が腑に落ちたように思う。
日本人の旅行の仕方を見て、時間に追われるようにして働く癖が旅行にも表れているのだろうかと思っていたけれど、日本人にとって日光浴は母国で十分できるため、知らない場所を見て回ることの方へ意識が向いているだけ。
そのような見方もできるのだと感じた「SUN」と書かれた旅行会社の広告であった。
もちろん日本人も、旅先で何もせずに過ごす贅沢を満喫することはあるけれど、そこで感じられる贅沢のポイントは「何もしない」であり「日光浴」ではないように思う。
寒い冬の時季に、自宅のリビングにできる陽だまりでゴロゴロしていると、あの「SUN(太陽)」の文字が頭に浮かぶ。
自分にとっての当たり前は誰かにとっての贅沢で、贅沢も様々である。
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