ティータイムに選んだ飲み物は、温州みかんのジュースだった。
程よい酸味と濃い甘さが特徴的な100%ジュースに仕上がっているお気に入りで、時折、大人買いをして食品庫に入れておくのである。
フレッシュジュースは常温が好みなので、飲みたくなったら食品庫から取り出して飲むのだけれど、体にぐんぐんと染み込んでいく感覚は、細胞たちが喜んでいるようにも思えて、少しばかり嬉しくもある。
その日は、少し風が強かったけれど天気が良かったものだから、ガーデンテーブルへと移動した。
日焼け止めなどを気にした方が良いお年頃と季節なのだけれど、世の中が、様々な制限を強いられているこの頃なので、「まぁいっか」と大らかさを選んで日光浴をすることにした。
窮屈を感じるようであれば、可能なことを、ほんの少し緩めて自分自身で気持ちのバランスを取ってみるのも手、である。
いつも通りできないことがストレスになることもあるけれど、中には、自分で自分に過度なストレスをかけていることもあるようなので、今一度、現状に照らし合わせて見極めてみるのも良いように思う。
これまでのプランAが通用しないようであればプランBを、それでも上手くいかないようであればプランCをと、しなやかな気持ちで過ごしたいものである。
そうして、全てが落ち着いたときに自分自身を振り返ってみたら、様々な選択肢や知恵を手にした新しい自分に成長しているのではないだろうか。
そうであったなら、ちょっとワクワクするぞ。
そのようなことを思いながら、温州みかんのジュースを口に運んだ。
そう言えば、今は亡き祖母が、みかんを天井に向かって投げたり揉んだりしてから皮を剥いていた姿を思い出す。
遊びにいくと、こうしてから食べると酸っぱいみかんが甘くなると言っていたけれど、あれは本当だったのだろうかと、大人になってから思ったことがある。
当時は確かに、みかんが甘くなったと感じられたのだろう。
祖母を真似て、みかんを天井に向かって投げてみたり、揉んでみたりしてから食べることもあったように記憶している。
しかし、いつからだろう。
そのようなことをしなくても十分に甘いみかんばかりが流通するようになったからなのか、いつの間にか、そのようなことをすることも無くなっていることに気付き、調べたのである。
すると、みかんには、自分の体(果実)が傷つくとクエン酸を使って治そうとする機能があるというのだ。
クエン酸は、「酸味」を特徴とするあの成分である。
みかんは、自身の中にある酸味成分を使って傷を治すため、結果として酸っぱかったみかんが少し甘くなるというのだ。
私はてっきり、衝撃によって糖度が上がるのだろうと思い込んでいたので、酸味を傷の修復に使用して減らされたことで甘くなっていたと知って、みかんの機能に静かに感心した。
多くの方に受け継がれている、おばあちゃんの知恵袋と呼ばれるようなものの類は、「こうすれば、そうなるんだもの」といったシンプルなものだけれど、限られた環境の中で、不便さや不都合状態と共存するために、試行錯誤して辿り着いた生きる知恵である。
便利に慣れきってしまうと、ひと手間や、知恵に辿り着く過程すら厄介なものに感じられることもあるけれど、不便さも思うほど悪いものではないのかもしれない。
それにしても、太陽の光を浴びながら口にするみかんジュースは格別である。
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