郵便物を受け取るため、マンションロビーへ向かった。
運動不足解消のために階段で降りるか否か軽く迷ったけれど選んだのはエレベーターである。
1階に到着してドアが開くと郵便物を小脇に抱えた住人の方が立っていた。
挨拶意外の会話を交わしたことはないけれど、顔を知った者同士という妙な安心感がそうさせるのか、「あ、お久しぶり」といったニュアンスを感じるような、挨拶を交わした。
マスクを着用していると、表情の半分が覆われて不愛想に見えることがあるため、目の表情を意識しての挨拶である。
自宅マンションのロビーへ行くだけなのに、すれ違う住人たちは皆、マスク姿である。
マスクを着用するのは自分の為でもあるけれど、家族やここで暮らしている人の為でもあり、新しい暮らし方が定着してきたように思う。
つい、マスク姿であることに意識が向いてしまったけれど、郵便受けの中身を取り出しながら、すれ違った方が着ていたTシャツに六文銭がプリントしてあったことを思い出した。
歴史好きの方なのか、真田幸村ファンなのか、それとも……と思考を巡らせつつエレベーターに乗り込んだ。
六文銭は、三途の川を渡るときに必要なお金だと言う話がある。
これは平安時代に伝わってきた仏教の話らしいけれど、人は亡くなってから7日目に、この世とあの世の境目となる川を渡ると言われている。
この川は三途の川と呼ばれているけれど、そう呼ばれる理由は、この川の渡り方が3パターンあるからなのだとか。
三途の川のそばには衣領樹(えりょうじゅ)という名の立派な木があり、そこには鬼の老夫婦が住んでいる。
亡くなった者は、あの世へ向かうために三途の川を渡らなくてはいけないのだけれど、その前に鬼の老夫婦に着ているもの全てを剥ぎ取られるそうだ。
剥ぎ取られた衣類は老夫婦の手によって衣領樹(えりょうじゅ)にかけられて衣類の重さを量られるのだけれど、これが、生前の生き方や罪の重さを知らせてくれるという。
そして、善人は川に架けられている橋を使ってあの世へ、少しばかりの罪を持つ者は川の浅瀬を歩いて渡りあの世へ、重い罪を犯している者は、立っているのも困難な川の深瀬を苦労しながら渡りあの世へ行かなくてはいけないそうだ。
この3パターンの渡り方があるという意味から、この世とあの世の境目にある川を三途の川と呼ぶようになったという。
しかし、江戸時代に入ると、この話に創作要素が加わり広がりはじめ、新たに六文銭が登場するのだ。
創作要素が加えられた新バージョンでは、三途の川に架かっていいたはずの橋は消えており、全ての人が舟で川を渡り、あの世へ行くという内容に変わっているのだ。
更に、鬼の老夫婦に六文銭を渡せば、衣類を剥ぎ取られることなく、罪の重さで渡る川を決められることもなく全ての人が舟に乗って三途の川を渡ることができると考えられるようになったという。
これは創作要素が加えられたものだけれど、もともと江戸時代には六文銭の絵を亡くなった方に持たせる風習があったともきく。
人間道、天道、畜生道、修羅道、餓鬼道、地獄道にいる6人のお地蔵様に1枚ずつお供えしながら、生前の至らなかったあれやこれやを懺悔して、あの世へ旅立つという意味を持つ風習なのだとか。
江戸時代の創作には、この風習のエッセンスが盛り込まれたのだろうと勝手に解釈している。
六文銭を現在の通貨価値に当てはめると、どれ程の金額になるのかは分からないけれど、あの世へ行くにも何かと手順があるのだなと思ったりもして。
とりあえず私は、六文銭よりも目の前のことを、できることから一つずつ。
そのような気持ちで過ごそうと思いながら郵便物を仕分けた日。
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