幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

見分けられない三花衆。

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空地の隅で青紫色の花が揺れていた。

道路から花までの距離は離れていたけれど、遅咲きの「あやめ」だったのではないかと思う。

キーボードで「あやめ」と入力すると「菖蒲」という文字が出てくるのだけれど、「菖蒲」には「あやめ」と「しょうぶ」の二通りの読み方があり、「しょうぶ」は、端午の節句のときに湯船に浮かべる、あの「しょうぶ」である。

この2つの植物は同科の植物なので非常に良く似ているのだけれど、更にカキツバタも同科に分類される上に咲き姿までもが似ており、私は、この3種類の花の見分けが苦手である。

何とか覚えられないだろうかと、ひっそり奮闘したこともあったけれど、今は見分けることを潔く諦めて、端午の節句のときに目にしたら菖蒲(しょうぶ)、それ以外の時季に目にするものの中で水辺に咲いていればカキツバタ、水が無い場所に咲いていれば菖蒲(あやめ)だと思うことにしている。

「どうせ……」という物言いは、あまり褒められたものではないけれど、どうせ先人たちも見分けに苦労したのだ、私がそう思ったところで問題はないはずだという算段である。

その証拠に、「何れ(いずれ)菖蒲(あやめ)か杜若(カキツバタ)」ということわざがある。

意味は、菖蒲(あやめ)もカキツバタも同科の植物で見分けにくいことから、「どちらも似ていて、優れていて、優劣が付け難い」というものだ。

先人たち、上手い表現を見つけたなと感心しているのだけれど、実際には、花の大きさや色、咲き姿、育つ場所などにも違いがある。

しかし、私が覚えられたのは「あやめ」の側には水が無いということだけである。

その日、私が目にした紫色が「あやめ」だったという確証はないけれど、殺風景な空き地の隅にまで視線を引き寄せて釘付けにするくらい素敵な咲き姿をしており、目の保養になったように思う。

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「あやめ」が登場することわざがもう一つある。

実際に使用した経験は、そう多くはないのだけれど「十日の菊(とおかのきく)、六日の菖蒲(むいかのあやめ)」というものである。

意味は、「必要な時に間に合わず、役に立たない」というものなのだけれど、

これは、9月9日の重陽の節句に飾る菊の花と、5月5日の端午の節句に飾る菖蒲が間に合わず、10日、6日に準備が整っても役に立たないという光景を切り取ったものである。

もちろん、節句に間に合う方が良いに決まっているけれど、誰に迷惑をかけるでもないのであれば、私は1日遅れの菊も菖蒲も大歓迎である。

寧ろ、1日長く楽しむことができてラッキーだと思うのではないだろうか。

「こうしなくちゃいけない、こうするものだ」といったことも大切だけれども、どのようなシチュエーションも楽しむことができる柔軟な気持ちで、日々を過ごしたいものだ。

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それにしても、濃い青紫色をした「あやめ」のきれいなこと。

大々的なお花見は叶わないけれど、素敵な色や風景は日々傍に。

そのようなことを思った、とある梅雨の晴れ間である。

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