某日、呉服屋の前を通るとショウウィンドウに新作の浴衣と浴衣用の反物が飾られていた。
あの反物で浴衣を仕立てたら素敵だろうなと楽しい想像がムクムクと立ち上がってきたけれど、自宅に戻れば私のとっておきたちが待っていることを思い出し、この日は素通りした。
別のショップのショウウィンドウには、10代くらいの女の子たちに似合いそうな、ポップな色合わせの浴衣が並んでいた。
お洋服では選ばないような、着ることを躊躇うような色合わせでも浴衣となると、とても素敵に映えるところが和装マジックである。
今の時代を切り取ったような浴衣の残像を瞼の裏側にチラつかせながら、自分が本当に好きだと思うものに辿り着くまでの過程を、存分に楽しむことができそうな浴衣だったと思った。
自分の10代を振り返ってみたけれど、当時、既に自分の好みがはっきりとしていた私は、今の私でも選ぶだろうと思うような浴衣を手に取っていたように思う。
流石に、帯をはじめとする小物合わせは、重ねた月日の分だけ磨きがかかったけれど、あのショウウィンドウにあったようなポップなものも、もっと着てみればよかったかもと、少しだけ、ほんの少しだけあの頃を惜しく思った。
浴衣は、今でこそ街中で着ることを良しとしているものだけれど、もとは和製バスローブのような位置付けのアイテムで、アンダーウエアやパジャマの域を出ることはなかったという。
それもそのはず、浴衣の歴史をざっと遡ってみると、蒸し風呂に入る際に肌を傷めてしまわないように纏ったり、蒸し風呂や沐浴の際に素肌を人様に見せないように纏っていたものだというから、家の外で着るという発想はなかったのだろうと思う。
しかし、入浴スタイルも少しずつ変化し、身分に限らず纏えるものとなった浴衣は、入浴中に纏うものから入浴後に纏うリラックスウエアやバスローブ、パジャマのような位置づけのアイテムへと変化する。
それを大勢の人たちが手に取るようになれば、より便利な使い方へと変化しながら進化していくのは世の常。
江戸時代には、盆踊りや夏祭りくらいであれば浴衣のまま外出しても良いという風潮に変わったそうだ。
そうとくれば、浴衣は浴衣でも、自宅内で着るリラックスウエアと外で着るお出かけ用の浴衣を分けて、おしゃれをしたくもなる。
しかし、時代の流れは贅沢を禁じ、庶民に様々な制限を強いており、浴衣に使う生地の素材や色、デザインまでもが限定されるように。
現代人が、政府からそこまで決められてしまったら、一波乱も二波乱も起きてしまいそうだけれど、当時の人たちは、限られた素材と色、デザインを駆使して様々な柄を染め上げ、浴衣のおしゃれを楽しんだと言われている。
今の世には通用しない出来事だけれど、そのような中で出来上がった、目の前にあるものを最大限に生かして楽しむ江戸の粋、みたいなものは、暮らしの中の様々なシーンで楽しく取り入れられるように思う。
それにしても、夏の風物詩のひとつでもある浴衣を目にすると、涼やかで艶やかでいいものだ。
気付けば、蝉の鳴き声も随分と身近なものとなり生活の一部と化している。
さて、今日は目の前のあれやこれやをどう楽しもう。
そのようなことを思いながら外の空気を思いっきり吸い込んだ朝。
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