書店の雰囲気が好きで、ふらりと立ち寄っては店内を一周するというようなことを度々していたのだけれど、気付けば数か月、書店へ行っていない。
今は自分のためにも、誰かのためにも、購入するか分からない本に不用意に触れてはいけないという気持ちがあり、書籍購入は全てインターネット経由である。
実際、書店に足を運んでいた時よりも購入する本の数が増えていることを思うと、書店へ行かなくても困ることはないということでもあるのだけれど、あの空間には、あの空間にしか出せない書籍の良さがある。
手が届かない位置に並べられた本を見上げてタイトルを追う感覚や、しゃがんでタイトルを追う感覚も書店の醍醐味だったと、改めて気が付いた。
興味がある本に限って、用意されている踏み台程度では手が届かない位置にあったりなんかして、店員に声をかけようと思うけれど、次の瞬間には、あの本の中身が求めているものと違っていたらどうしようだとか、あの本のタイトルを口に出すのはマニアックすぎて気が引けるだとか、一人であれやこれやと考えるのもまた楽しい時間だったようだ。
最後に書店へ行ったのは、確か、今年の春先。
いつものように、気になった何冊かの本を手に取ってパラパラと捲り、幾つかの世界をのぞかせてもらった。
その中には、人体の不思議について綴られた子ども向けの本もあった。
周りにちびっ子が居ないのをいいことに、しばし、その本の世界を散策した。
偶然開いたページには、大腸や小腸の内側を平らに伸ばしたらテニスコート1.5面ほどあるというようなことが書いてあった。
この話は、割りとよく見聞きするものだけれど、大腸や小腸の内側は細かなヒダが多数あり、このヒダ全てを広げると、そのくらいの面積になると言われている。
私たちの体は、その面積の全てを使って栄養を吸収し、全身に届けているのだ。
その広さのものが体の中に収められていることも、人体の不思議に十分値するけれど、「何を口にするかによって、免疫力や美容、健康などに差が生まれる」と言われていることを、すんなりと理解できるようになる表現に感心してしまう。
こういった話がイラスト付きで分かりやすく紹介してあったのだけれど、私が驚いたのは、体内を駆け巡っている血液が流れるスピードだ。
普段、自分の体内を巡っている血液のスピードを気にする機会は皆無だけれど、血液は時速200キロ以上という速さで駆け巡っているという。
時速200キロ以上と言えば、新幹線並みの速さである。
もし仮に、血管が脆くなっていたら、そのスピードが血管に与える負荷は、想像以上に大きいだろう。
他にも仮に、血液がドロドロになってしてしまっていたら、本来ビュンビュン飛ばして駆け巡っているはずの血液が体内の至る所で足止めされ、
足止めされた場所や血管のコンディションによっては、血管に負担をかけ、良からぬアクシデントを招いてしまうように思う。
「血液はサラサラしている方が好ましい」「血管年齢は若い方がいい」など様々なことが言われており、ある程度の年齢を重ねた大人であればその重要性は十分に理解していると思うけれど、
こういった人体の不思議に触れ直してみると、普段見聞きする言葉よりもリアルに重く胸に響くような気がした。
他にも興味深い人体の不思議が綴られているようだったけれど、試し読みさせてもらうのは、この辺でと、あの時は読み進めたい気持ちをグッと抑えて本を棚に戻し入れたことを思い出した。
知っていることも、少し角度を変えてのぞいてみると理解が深まり、世界が広がる感覚が心地良い。
体の中にテニスコートと新幹線、確かに人体は不思議でいっぱいである。
近いうちに、無くなっては困るあの書店に、あの本を買いに行こう。そう思った日。
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