幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

足首、硬くなっていませんか?

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ボディーメンテナンスへ行くと足首が硬くなっていると言われることがある。

初めて、その言葉を耳にしたときには、足首が硬いってどういう状態!?と一瞬だけ、思考が停止した。

セラピストは、今の状態を覚えておいてください。

施術後には硬い、硬くないの感覚を実感として得られますからと言った。

そして、その会話を忘れてしまうほど至福のひとときを過ごした後に触れた私の足首は、

とてもしなやかにクルクルと回せるような状態になっており、これが私の硬くない状態か、と知った。

更に、足首の硬さだけでなく、ふくらはぎの感触が普段よりも柔らかいような気がすると伝えると、

セラピストは足首が硬い方は、ふくらはぎも硬くなっていることが多いと言った。

それから、自宅でも時々。本当に気が向いたときだけなのだけれど、

日中のデスクの下で、湯船の中で、ベッドの中で、足首を解している。

代謝が落ちやすい秋冬こそ足首ケアを、ということで、今回は、足首のお話を少し、と思っております。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいて行って下さいませ。

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足首が硬くなってしまうということは、全身を支える土台がある状態をキープし続けるということ。

そうなりますと、重さによる負担や、動きによる衝撃の加わり方のバランスが崩れ、

姿勢が悪くなり、骨盤が傾いたり、腰痛を引き起こしたり、ヒップや内ももが弛んだり、

その他様々な症状を引き起こす要因になることがあるのだそう。

また、足首とふくらはぎの硬さは連動することが多く、第二の心臓と呼ばれている、ふくらはぎが硬くなりますと、

血液のポンプ作用が弱まるため、血の巡りが滞り、新陳代謝が落ち、老廃物が体内に溜まりやすく、

むくみや体の冷えをはじめとする様々な不調を招くといいます。

また、足首は子宮や卵巣の働きとも繋がっていると言いますので、

生理痛に悩んでいる方は、足首が硬くなっていることもあるのだとか。

体を冷やさずに新陳代謝を上げることは、ダイエット、ビューティーケア、ヘルスケアの両面から見てもポイントだと思いますので、

本格的に寒くなる前に、ケアのポイントを押さえておきませんか。

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まず、自分の足首が硬いのか、硬くないのかを確認しましょうか。

方法は簡単。

両足を揃えて立ちます。

この足の状態をキープしたまま、ゆっくりとしゃがんで膝を抱えてみて下さい。

しゃがんだ姿勢をキープするのが難しかった方や、上手にしゃがめなかった方は、足首が硬くなっているようです。

次にストレッチですが、本格的なストレッチなども多々溢れていますが、

足首をクルクルと回したり、

つま先を自分の方へ引き寄せるようにして倒したり、

反対につま先を自分より遠くへ離すようなイメージで傾ける。

といったシンプルな動きでもほぐすことはできるそうですので、

焦らずゆっくり、出来ることを使って、足首をほぐしてみてはいかがでしょうか。

足首も気持ちも軽やかに、しなやかにまいりましょうね。

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お寺とネットと最先端。

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インターネット上で偶然目にした、とある呟きに次々と辛辣なコメントが寄せられていた。

どのような物事にも賛否両論があって自然だと思っている私は、

気に入らないのであれば見なければいいだけの話だとシンプルに思うけれど、

感じた先の行動もひとつだとは限らず、ひと言モノ申したいと思う方も、ある程度の数、居らっしゃるのだろう。

そのバランスが異常な崩れ方をしたときに、今で言うところの「炎上」という状況が起こる。

言葉を扱う立場に在りながら、言葉の扱いは難しいと痛感させられる日々を送る私は、

先日も、言葉を上手く選び取ることができなかったことに、湯船の中で静かに凹んだばかりだ。

言葉との関係も、思い慕う人とのそれと同じように、ゆっくり焦らず丁寧に深め合っていくしかないと思いつつ。

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そう言えば、先月だっただろうか。

インターネット上での投稿内容が非難を浴びて「炎上」した際の、

文面や画像など、投稿内容を供養する「炎上供養」なるものがあることをニュースで知った。

新潟県にあるお寺のご住職が、インターネット上での発言が非難を浴びて起こる「炎上」は、

現代の災難の一種だと考え、提案したという。

炎上供養は、炎上した投稿文などを撫木(なでぎ)と呼ばれる木製の細長い札に書き込み、

画像の場合は、プリントしたものが撫木(なでぎ)に巻き付けられ、お焚き上げされるのだそう。

炎上供養は、現在もお寺(国上寺)のホームページから特設サイトに移動し、個人でも企業でも無料で炎上供養をお願いすることができる。

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かつてのお寺は、時代の最先端をゆく場所だったと聞く。

そう思うと、私が斬新だと感じた炎上供養も、それほど違和感を覚えるようなことではなく、

これも時代の流れ、ということになるのだろう。

災難さえも変化していくのだなと、感じた日。

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“よいしょ”にロックオン。

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電車に乗った。

混んではいなかったけれど、季節柄、国内外からの観光客だろうと察することができる方々が点在していた。

ある駅のホームに電車が到着すると、ホームにはご年配の方々の集団が目に留まった。

私が席を立たなくても十分スペースは在ったけれど、その時がタイミングのような気がして出入口付近に立つことにした。

ドアが開き、ご年配の方々が、元気な笑い声を上げながら入ってきて、一番広く開いているスペースに腰を下ろした。

それから電車は2、30分走り、ある駅に到着した。

そこが目的地だったらしい、ご年配の方々が下車するために立ち上がったのだけれど、

口々に「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」などと言った。

私は、その時点でまで全く何も感じていなかったけれど、横にいた、大きなバックパックを背負った外国人カップルがコソコソ話を始めたのだ。

「よいしょって何?」「皆、言ってたな」と。

始めは、真面目に何だろうと感じて始まったコソコソ話だったようだけれど、電車が再び走り出す頃には、

若干のおふざけが混ざった妄想が2人の間で繰り広げられていた。

私は、所々聞こえてくる2人の会話を拾いながら、確かに「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」とは何ぞや?と思った。

今回は、これらの掛け声の語源を、一緒にのぞいてみませんか。

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結論から申し上げますと、「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」の語源は諸説あるようで、

現在のところ、はっきりと断定できる説はないのだそう。

ただ、調べる中で頻繁に目にしたのは、修行僧たちが修行の一環として山を登る際に口に出していた、

六根清浄(ろっこんしょうじょう)という言葉が変化し、「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」になったのではという説だった。

この六根清浄(ろっこんしょうじょう)というのは、仏教用語で、

人が持つ五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)に意識を加えた六つを清浄することなのだそう。

山登りのペースやリズムを保つ掛け声の役割も果たしていたようなので、

その辺りが、立ち上がときなどに、自分にリズムや勢いを付けるための「掛け声」に適していたのかもしれない。

他にも「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」の語源となる説をいくつか目にしたのだけれど、

その中には、このようなものもあった。

イスラエルで使われているヘブライ語は、日本語に似ていると言われているけれど、

日本と同じように、物を持ち上げる際に「ヤイシュ」と言うのだそう。

この辺りの話は、掘り下げたらキリがなく、確実に脱線してしまいそうなので、ここでは割愛させていただくけれど、

日本で使われている「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」と非常に似た響きと使いどころを持つヘブライ語には、神様に助けを求める意味があるという。

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一見、意味など持ち合わせていないような耳慣れた言葉にも、含まれた何かがあるのかもしれない。

それにしても、意識に残らないくらい耳慣れた言葉や行動も、

そうでない人々にとっては、とても斬新な言葉や様子に映るようで、

彼らのおふざけの中には、「よいしょ」と言ったら忍者が出てくるんじゃないか、というものがあった。

思わず、「それは無い!」と心の中で突っ込むと同時に、未だに日本のイメージは忍者、侍なのかと思いながら電車に揺られた日曜日。

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良い悪いの奥に、真実が。人の意識は摩訶不思議である。

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以前、私の友人が、職場に遅刻癖がある人がいると話していたことがある。

遅刻癖があるという方は男性で、とても腰が低く、遅刻した後は、職場内の一人一人に頭を下げて回ってから仕事を始めるという。

悪い人ではないし、仕事振りに問題があるわけでもないけれど、遅刻癖があるのだ。

職場内では、何か言い難い事情があってのことではないだろうかという声が上がり、

上司が彼に尋ねてみたというけれど、本人は、ただただ頭を下げるばかりで理由を話すことはなかったという。

そのような話を聞いたことすらすっかり忘れた頃、友人が再び、その話の続きを始めた。

この時、心理学を通して遅刻を見ると、遅刻が人の潜在意識と関係している場合もあるという話題があった。

 

近年の心理学の研究では、遅刻を繰り返す人は、

自分では認識できていない潜在意識のところに、罪悪感や劣等感を持っている場合があると言う見方があるそうだ。

もちろん、遅刻癖を持つ全ての人の潜在意識に、罪悪感や劣等感があるというわけではなく、

遅刻に至る過程にも様々なケースがあり、

数ある理由の中のひとつとして、挙げられるという域の話なのだけれど。

私たちが、普段は認識できていない潜在意識で感じていることは、無意識の行動として度々、現れると言う。

そして、遅刻を繰り返す人の中には、無意識に感じている罪悪感や劣等感によって、

「私は、罰を受けなくてはいけない人だ」と感じ、遅刻を繰り返している場合があるのだそう。

これは、遅刻をすれば、周りから注意を受けたり、迷惑がられるという形の罰を受けることができ、

「私は、罰を受けるべき人だ」と感じていることが正しいと証明されるからだという。

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このようなことが原因で、遅刻を繰り返してしまう場合は、

「前日の夜は早く寝る」だとか、「5分前に行動する」というような、

遅刻をしないために出来る様々なことを試す以前に、

自分が自分自身のことを、どのように感じているのかを知ってみることも、

遅刻をしないためにできることの一つだと言う。

今回私が耳にした話は、遅刻というシチュエーションだったけれど、潜在意識の現れ方は人それぞれだ。

注意をしても同じ行動を繰り返してしまう人や子どもと関わることになった場合は、

様々な視点から観察してみると、本人も気が付いていない本当の姿が、見えてくることもあるのかもしれない。

「ルールはルール」でもあり、遅刻癖を肯定しているわけではないけれど、

遅刻は、怠惰なだけの遅刻だけではなく、何かしらのサインとしての遅刻もあるようだ。

良い悪いの奥に、真実が。人の意識は魔訶不識である。

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“生そば”、読めますか。

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秋の新蕎麦は春から初夏に出るそれよりも香り高いと言われている。

私は、お蕎麦の香りを聞き分けられるほど詳しくはないのだけれど、

それでも、そのような話を耳にすれば、この時季に出る新蕎麦を口にすると、普段のそれよりも、確かに香り高いような気分になる。

上手く乗せられているような気がすることもあるのだけれど、きっかけはどうであれ、

普段よりも、目の前のお蕎麦を丁寧に感じ、季節を感じられる時間は悪くないと、

深鍋にたっぷりと注いだ水が沸々とたぎる様子を眺めながら思った。

 

もう随分と前の話。

急ぎ案件だという仕事を片付けることになった私と同僚に、当時の上司がお蕎麦をご馳走してくださったことがあった。

上司行きつけだと言うその蕎麦屋は、とても渋い店構えをしており、

カウンターやテーブルに使われている木材は深いあめ色の艶を放っていた。

次は自分たちだけ来てみようと思うような素敵なお店だったけれど、

当時の私たちの年齢で行くには、少々遠慮してしまうような趣があり、「いつの日か」そう思ったまま現在に至る。

そのときのメニューは上司にお任せしたように記憶しているのだけれど、

店内に掲げられていた木版のメニューにあった「生蕎麦(生そば)」を、私と同僚は「なまそば」と読み、会話をしていた。

すると上司は、「“きそば”ね、“きそば”」と私たちの読み方を訂正した。

「生」を「き」と読むとき、混じりけが無く純粋なもののことを指すため、

純粋に蕎麦粉のみを使った十割そばのことを「生蕎麦/生そば(きそば)」と読むのだと知ったのは、そのときだった。

お蕎麦の味と共に、私の脳内に「生蕎麦/生そば」は「きそば」と読むのだとインプットされた日である。

しかし、それから随分と年月が経っているのだけれど、

世の中のお蕎麦を見渡してみると、蕎麦粉のみを使った十割蕎麦、生蕎麦/生そば(きそば)は、そう多くはなく、

茹でる前の、生麺のお蕎麦に記される「生そば」の文字を見ると、

今は「生そば=なまそば」が主流になってしまったのではないだろうかと思ったりもする。

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生そばの文字を目にした際には、混じりけが無く、純粋な蕎麦粉のみの十割そばなのか否かを見極めて、

「生蕎麦/生そば(きそば)」、「生そば(なまそば)」を使い分けてみてはいかがでしょうか。

ただし、本来は「生蕎麦/生そば(きそば)」であり、

「生そば(なまそば)」という読み方は、本来の意味とは別の意味で使われ始めていることをお忘れなく。

そのような事を思い出しながら、つるつるっと秋の新蕎麦を堪能した日。

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ウールのニットを、昨年よりも丁寧に扱ってみる。

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ニットのふわりとした柔らかさを心地良いと感じる季節になった。

季節が深まっていくにつれ、その温かさに頼り切り、ニットの柔らかさも当たり前になるのだろうけれど、

今はまだ、久しぶりのそれを、十分に感じられる貴重な時季だ。

私は生地フェチ、縫製フェチな所があり、お洋服やお着物を手にすると、デザインよりも先にそれらに目を通すことが多い。

店頭でそのような事がバレてしまうと、少々面倒くさい客だと思われてしまいそうな気もして、

その辺りを悟られてしまわぬよう、細心の注意を払いつつ生地や縫製具合を確かめる。

先日、ふらりと立ち寄ったショップで素敵なバージンウールを使ったコートを目にした。

「バージンウール」とは、羊から初めて刈り取られて、初めて素材として使われる羊毛のことなのだけれども、

再生した羊毛ではないため、羊毛本来の油分が良い働きをしてくれるのだ。

雨や風にも強い素材なのでコートやアウトドアウエアに使用されることもあり、

とてもしなやかで柔らかく、肌に優しいのが特徴だ。

そして、汗や汗による湿気を吸収してくれるけれど、さらっとした着心地をキープできるため、

外は寒いけれど室内でニットを着ると暑すぎて困るような場合でも、心地よく着ることができる点も、好まれるポイントだろうか。

ウールと一口に言っても、数千種類ほどあるそうなので、

様々な理由を元に、巷でブームになるウール素材があるけれど、

ブームやランクに左右されるだけではなく、

自分に合ったウール素材や、用途に合ったウール素材を探すのも、

ウールの楽しみ方のひとつなのかもしれないと、思うこの頃である。

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ウールは、ちょっとしたお手入れで、見た目や持ちの長さが変わるように思う。

私たちが、髪の毛を水洗いだけで済ませ続けるのと、シャンプーとトリートメントを使ってのお手入れを続けるのとでは、

髪質に差が出てくるのと同じような感じだと言えばイメージしやすいだろうか。

動物の「毛」が使われているため、このお手入れの差が、ある程度、見た目にも反映される。

しかし、ウール素材は、お洗濯を失敗してしまうと、フェルト状になるため、注意が必要である。

過去に、私の失敗談を目にした方もいらっしゃるかもしれないけれど、

大人サイズのニットが、冗談抜きで、手のひらサイズ、縫いぐるみサイズのニットに変身してしまうのだから。

特別、気に入っているニットであれば、クリーニングに出すのが安全だけれども、

かといって自宅でお手入れできないというものでもないため、

セルフクリーニングできるようになるのも悪くはないように思う。

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せっかくなので、シンプルな方法を簡単に。

【1】ニットは、丁寧にたたんで洗濯ネットに入れます。

【2】人肌よりも温い、ぬるま湯を洗面シンクに、たっぷりと張って、おしゃれ着用の洗剤を溶かします。

【3】洗面シンクにニットを入れ、ニット全体の繊維の奥に洗剤を溶かしたぬるま湯を行き渡るように、優しく、ゆっくりと押し洗いをします。時間にして15秒から1分程度で十分なのですが、時間を気にするよりも、ぬるま湯をニットに行き渡らせることがポイントです。

【4】シンク内の水を抜き、洗剤を洗い流したら、きれいな水をたっぷりと張り、ニットを浸したら、繊維の奥に含まれている洗剤液を押し出すようなイメージで、押し濯ぎをします。お水を変えて2回ほど。

【5】新しいお水に、柔軟剤か髪の毛用のコンディショナーを溶かし、ニットを浸します。毛をコーティングするように軽く押し、軽く濯ぎます。

【6】ネットごと、もしくは、ネットに入ったニットをネットごとバスタオルで包み、洗濯機のドライコースにある脱水で30秒~1分ほど脱水し、残っている水分はバスタオルで吸い取ります。

【7】ネットから出して形を整えたら、バスタオルの上に平置きするか、肩に厚みがあるハンガーを使うか、物干し竿に身ごろの縦のラインを乗せるなど、ニットに適した、ニットが伸びない方法で乾かします。

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細かく手順を記載しますと、面倒に感じてしまうのですが、

実際は、あまり時間もかからず、きれいさっぱり汚れを落とすことができますので、

どうしても洗いたいような汚れが付いてしまったときや、シーズン最後のお手入れに、セルフクリーニングはいかがでしょう。

もし、それ程汚れていないけれど、ニオイを取りたい、何となく気になるというような場合は、

お洋服専用のブラシでブラッシングし、スチーマーで蒸気をあててしまえば十分かと思います。

今年の秋冬は、お手持ちのウール素材を、昨年よりも丁寧に扱ってみてはいかがでしょうか。

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口癖から取り扱いまで。

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準備されている椅子に座って順番待ちをしていると、隣の椅子に、ご年配夫婦が腰を下ろした。

どれくらいの時間待っているのか尋ねられ、10分程だと返すと、「ちょっと席を外すけれど、これは私の身代わりね」と可愛らしい笑顔を向けられた。

ご婦人の身代わりとして椅子に置かれたそれは、鮮やかなバラの花の刺繍が印象的な、ハンカチだった。

その場を去るご婦人の背中を眺めていると、ご主人が「すみません、自由気ままで」と言って頭を下げた。

ご婦人の、のびのびとした可愛らしさは、ご主人によって大切にされてきたのだろうと、勝手な想像を広げていると、小さな紙袋を手にしたご婦人が戻ってきた。

私に向けられた「ただいまでした」という言葉に「おかえりなさい」と返すと、視界の奥でご主人が、もう一度、小さく頭を下げた。

きっと数分後には、お互いの顔も、やり取りさえも忘れてしまうのだろうけれど、心和らぐ時間のように思う。

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その後、そのご夫婦と言葉を交わすことはなかったけれど、身代わりとして置かれていたハンカチを畳もうとしたときだったのだろうか。

ご婦人の手荷物がドスッという音をさせて床に落ちた。

「あら~、あら~、またやっちゃったわね、私」と可愛い声が耳に届いた。

思わず口元が緩んでしまいそうになるのをグッと堪えていると、

外国で暮らし始めて数年経った友人から聞いた話を思い出した。

友人もご婦人のように、「あら~、あら~」と繰り返し口に出すことがあるのだけれど、

日常で使う言葉日本語から英語に変わろうとも、その口癖が消えることはなく、

英語を使いつつも、ことある毎に「あら~、あら~」と発していたという。

ある日も、その口癖が出てしまったそうなのだけれども、

現地で出来た知り合いから、「前から聞きたかったんだけど、あなたは日本人だけどイスラム教徒なの」と聞かれ、驚いたのだそう。

彼らは、友人の口癖を聞き拾っており、神様を意味する「アッラー」という言葉を度々発する友人を眺めながら、「イスラム教徒なのだろう」と思っていたのだとか。

その後、イスラム教徒ではないことを伝えると、日本語の「あら~、あら~」には、

どのような意味があるのかと前のめりで尋ねられて、非常に困った、と言っていた。

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幸い私には、その口癖が無かったため、友人のような経験は無いのだけれど、

「あなたは、誰を信じているの?」と近所に住んでいた子どもに尋ねられ、返事に困ったことを思い出した。

特別に誰かをというようなことは無いと返したら、

不幸が来た時に守ってもらえないから、誰かを信じた方が良いと、小さな子どもに本気で心配されてしまったのだ。

小さな子どもの本気を前に、誰をと言うほどではないけれど、強いて言うならば八百万の神みたいなところだろうかと、

あまり良くも考えずに発しそうになっていた私は、それらの言葉をのみ込んだ。

今であれば自分自身だとか、自分の勘、などと答えるような気がするのだけれど、

この手の話題は、私が思うよりも取り扱いが難しいのだと感じた出来事だったように思う。

それにしても、可愛らしいご婦人だったなと、改めて。

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三行半を突きつけられかけているのかも……。

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先日、輸入調味料を扱う店内で天然塩の味見をすすめられた。

一度はお断りしたのだけれど、良い意味で押しが強い店員にすすめられるがまま、2種類ほど味見した。

あまり心を揺さぶられるような味ではなかったため、

他のお客が足を止めて、店員の説明を聞き始めたタイミングでその場を後にした。

そう言えば先月、9割の食卓塩にプラスティック片が含まれており、

大人1人当たりにして年間2000個ほどのプラスティックの欠片を体内に摂り込んでいる(食べている)というニュースを目にした。

この研究には、世界21カ国で採れた塩が使われており、

食卓塩として販売されている39銘柄を調査したところ、

その9割の塩から、様々な影響を受けたことによって5ミリ以下にまで小さくなったプラスティック(マイクロプラスティック)が検出されたというのだ。

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研究チームの話によると、研究に使用した塩の中でプラスティックを多く含んでいた塩は、

いずれもアジア諸国産の塩だったことから、

プラスティックの含有量の多さは、プラスティックが多く海に流れ出ている地域と関係があると言えるのだそう。

正直なことを言えば、私は、9割の食塩にプラスティックが含まれていると言われても、

大人1人当たりにして年間2000個ほどのプラスティックの欠片を体内に摂り込んでいる(食べている)と言われても、

それが体にも環境にも良くないことだとは分かるけれど、

その量が多いのか少ないのかまでは判断できなかったため、記事を読みすすめてみた。

すると、私たちが、食塩から摂り込むプラスティックは、

人間が体に摂り込んでいる全体量のほんの一部だといわれており、

体内に摂り込んでいる全体量は大人一人当たり、年間32000個と記されていた。

「なーんだ、数パーセントか」と思うのと同時に、じゃぁ一体何から?更に読みすすめると、

そのほとんどと言っても良い8割は、呼吸からだという見方があるとあった。

こ、呼吸から、プラスティック!?お手上げではないか。と、思考の八方塞がりを感じ、記事をのぞき込むことを止めた。

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このニュース、割と多くのメディアが取り挙げていため、目に留まったのだけれど、

何を、どのように選んだ上での9割なのかは分からず仕舞いだった。

それでも、以前、こちらでも触れた話題でもある、

30年後の海の中は、魚などの海洋生物たちの数よりもプラスティックゴミの方が多くなるという予測が出ている話や、

1本のプラスティック製の歯ブラシが、完全に土に還るまでに要する時間は、1000年以上だとも言われていることを思うと、

何をどのように選んだ上での9割なのかということは、それ程大きな問題ではなく、

そろそろ自然の方から、「もう我慢できませんっ」「もう限界です」と言われても、

何ら不思議ではないという状況にまで追い込まれているということなのだろうと思ったりもした。

ニュースでは、「9割の食塩にプラスティックが含まれている」ということフォーカスしていたけれど、

私個人としては、「呼吸からプラスティック」という点に引き付けられてしまった話題であった。

失ってから気が付いたのでは遅すぎる。

様々な人間関係でも使われるフレーズだけれども、私たち、自然から三行半を突きつけられかけているのかも。

そのようなことを思ったある日の午後である。

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鯛の鯛を見つけたい。

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街中を闊歩しいていると、クリスマスケーキの広告を押し退けるようにして貼られた、煌びやかな、おせち料理の広告が目に入った。

その仲に、縁起物でもある、鯛の塩焼きの画像があったのだけれども、

そう言えば、最近、「鯛の鯛」を目にしていないことに気が付いた。

「鯛の鯛」は江戸時代から親しまれている縁起物で、古い書物にも書き記されているのだけれど、

和食離れや、魚離れ、更には骨を取り除いた状態で店頭に並べられる魚によって、その存在を知る人も減っているように思う。

私も、随分と長い間、「鯛の鯛」の存在が頭から消えており、

鯛を口にすることがあっても、それを探すことはせずに過ごしていたのだけれど、せっかく思い出した「鯛の鯛」。

それに、鯛の姿煮を召し上がる機会や、何かしらのお祝い事の席や、

お正月のご馳走で鯛の姿焼きを召し上がる機会があるかもしれませんので、

今回は、「鯛の鯛」のお話を少し、と思っております。

鯛の鯛とは何ぞや?と思われた方は、ちらりとのぞいて行って下さいませ。

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冒頭でも、ちらりと触れましたが、「鯛の鯛」は江戸時代から親しまれている縁起物で、

鯛の骨の一部を、そう呼んでおります。

この鯛の骨は、胸びれを動かすための骨なので、胸びれの下に在り、2種類の骨がくっついたものです。

そして、この骨の形が、まるで鯛のような形をしているのです。

偶然にも、神経が通っていた部分に丸い穴が開いているため、これは鯛の目のように見えます。

今でもお祝い事の席で登場する鯛ですが、江戸時代の頃は、今以上に珍しく高価な魚でした。

その高価な魚の中に、もう一匹、小さな鯛が居るなんて、二重にめでたいと喜ばれ、

江戸時代の書物の中では「鯛中鯛(たいちゅうたい)」という名で記されていると言います。

この鯛の鯛は、おめでたい縁起物というだけでなく、お金が貯まるお守りとして、福が舞い込むお守りとして、現在も親しまれています。

この、「鯛の鯛」の宝探しは、ガレット・デ・ロワに入っているフェーブを手にするときの感覚に似ているようにも思うけれど、

鯛の鯛は天然ものであり、必ず見つけられる保証がないことを思うと、

見つけられた時の嬉しさは、こちらの方が、断然、大きいのだろうなと思ったりも致します。

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「鯛の鯛」は、胸びれを動かすための骨で、2種類の骨がくっついてできており、非常に壊れやすい骨です。

調理段階で既に壊れてしまっていたり、煮崩れてしまうことも多いのですが、

鯛を召し上がる機会がありましたら、目印は、胸びれの付け根です。

この辺りの身を優しくほぐしていき、「鯛の鯛」を探し当ててみてはいかがでしょうか。

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望遠鏡と自分を作っている欠片。

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食事会の場所へ向かう途中、頭を空っぽにして歩いていると、

上弦を過ぎて膨らみ始めた月の近くに、

小さいけれど、肉眼でも確認できるほどの赤い光を放っている星を見つけた。火星だ。

火星は、地球との距離間によって、明るさが変化する惑星なのだけれど、

今年に限っては、4月下旬辺りから11月下旬頃まで、通常よりも明るく見えると言われている。

7月31日には、火星が地球に最も近づいたこともあり、

直前のニュースなどで“火星大接近”という言葉を見聞きした記憶が残っている方もいらっしゃるのではないかと思う。

それから数か月ほどが経過した現在、火星の輝きは、落ち着きつつはあるのだけれど、

それでも、赤い輝きは、街の灯りと月の光のそばであっても、簡単に見つけることができた。

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子どもの頃、自宅には古い天体望遠鏡があった。

両親が買ってくれたものだったのか、祖父母辺りから譲り受けたものだったのか、

その辺りは全く記憶に残ってはいないけれど、

当時の私には、やたらと大きくて、上手くピントが合わせられなかったことを覚えている。

それでもきっと、望遠鏡を通して夜空を眺めたはずなのだけれど、

どういう訳だか、肉眼で眺めた記憶しか残っていない。

そのかわりにと言って良いものか分からないけれど、望遠鏡で眺めたものの記憶と言えば、夜空ではなく、昼間の庭先の木々だった。

部屋に居ながらにして、少し離れた先にある木々の葉や花の表情を、

肉眼で見るよりも鮮明に見ることができることが楽しくて、時々のぞいていたのだ。

今の私の手元に、あの望遠鏡があったなら、もっと上手に使いこなせるはずで、

当時の私には宝の持ち腐れだったようにも見えるけれど、

私が植物の接写写真を何となく好むのは、

この時、目にしていたレンズ越しの景色が影響しているのかもしれないと思っている。

何気ない日常も、意味がないように思えるひとコマも、

これまでの自分や、これからの自分を作る欠片のようなものなのだろう。

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月の横で輝く火星を視界に捉えながら、そのようなことを思いつつ歩いていると、

食事会の場所へ一緒に向かっていた友人に「で、どうなの?」と話を振られてハッとした。

話半分になっていたことを悟られまいと、聞いていたはずの会話を、高速モードで手繰り寄せた。

もうしばらくの間、望遠鏡がなくても肉眼で火星を捉えることができます。

この機会に、お月様のすぐそばにある小さな赤い輝き、火星をひと目、いかがでしょうか。

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