幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ヘタ部分は摘まんでねじり切って吉。

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今年も七十二候(しちじゅうにこう)が、虫業界の「おかっぴき」である蚯蚓(ミミズ)が土の中から出てくる頃だと知らせてくれている。

(※蚯蚓(ミミズ)がおかっぴき!?と、好奇心が疼いた方は下記の関連記事からどうぞ)

人間がどのような状況に置かれていようとも、自然は変わらず自分がすべきことに集中している。

そのような光景に触れると、変わらずに変わってくれていることに安堵したりする。

太陽が燦燦と降り注いでいるときも、土砂降りのときも、強風が吹き荒れるときだってあるけれど、目の前のことや出来ることをひとつひとつクリアしていくことが近道だったりするのかもしれない。

そのようなことを思いながら、甘い香りを放っている苺を洗った。

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苺の旬は年に幾度かあるけれど5月から6月にかけて旬を迎える苺もあり、この時季は目にする機会が増えるフルーツである。

苺に含まれているビタミンCを苺と同量のレモンに含まれるそれと比較すると、苺の方が多いそうで、大きさにもよるのだけれど1日に5粒から10粒ほど食べると、1日に必要なビタミンCをしっかりとチャージすることができると言われている。

しかも、そのビタミンCはヘタの周辺にある白っぽい部分に多く含まれているので、ヘタを包丁で切り落とすのは非常に勿体ないのだとか。

しかしワタクシ、苺のヘタや、その周辺には汚れが付着しやすく、雑菌や農薬、土埃などが付きやすいと耳にしたことがあった。

だから、栄養摂取と汚れや雑菌除去を天秤にかけて後者を取った結果、ヘタは包丁でスパッと切り落としていたのである。

そのような私の話に、いつだったか野菜ソムリエの資格を持つ知人が、苺のヘタは指先で摘まんでねじり切るのが良いと教えてくれた。

どうしても茎というのか芯というのか、それが少しだけ残るけれど食感に違和感はなく、栄養を捨てることなく安全に食べることができるようになり今に至っている。

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苺に含まれているビタミンCや葉酸といったビタミン類は水に溶ける水溶性のビタミンなので、水に触れると溶け出てしまうという弱点がある。

だから以前の私のように苺のヘタを切り落として洗ってしまうと、ビタミン類がたっぷり含まれているところをザックリ捨ててしまう上に、切り落とした部分が水に触れて更にビタミン類を洗い流すことにもなるのだ。

しかも、捨ててしまうビタミンの量は、苺ひと粒に本来含まれているはずの半分以上の量だというから、上手にビタミンを確保した状態で美味しくいただきたいものである。

洗って食べる限り、ビタミンを全て摂るということは不可能だけれど、まずはヘタ付きのまま洗い、その後ヘタ部分を摘まんでねじり切ると良いようだ。

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そして、更に美味しく食べるコツは、苺のヘタが付いていた側から食べるということ。

苺は成長しながら、糖分を細くなっている部分(先端)に集める性質があるので、

まずは、ビタミンCを豊富に含んでいるヘタが付いていた側から食べると、苺の酸味を味わってから先端の糖分が凝縮した部分を食べることになるので、苺の甘さや美味しさをより堪能できるのである。

このような話題に触れつつ、私が勝手に思う一番美味しく食べるコツは、「自由に好きなように食べる」なのだけれど、たまには新しい風を取り込む意味も含めて、このような食べ方を試してみるのも楽しいのではないでしょうか。

苺が美味しい季節ですので、苺を召し上がる機会がありました折には今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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シロツメクサと春巻きの皮。

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郵便物の中に一面シロツメクサのポストカードが紛れていた。

自然を恋しく思う気持ちが反応したのか、その一枚を真っ先に手に取った。

一息つきながら、そのシロツメクサを眺めていたはずなのだけれど、いつの間にかカードの中にあるかもしれない四葉のクローバーを探している自分の無意識にハッとした。

鑑賞用としてではなく緩衝材として日本にやってきたシロツメクサだけれど、今ではすっかりラッキーモチーフである。

いつだったか、アウトドアを楽しんだ印に持ち帰ったシロツメクサを飾ったことがあった。

その日の夜に初めて、シロツメクサの葉は夜になると葉を閉じるのだと知った。

日の出と共に起きて、日の入りと共に眠りにつく。

とてもシンプルだけれども、そんなシロツメクサの葉っぱを見て自分の日々を振り返った。

そして、厳選した本当に大切なことだけに集中して、あとの時間は心身を休めるためや人生をもっと楽しむために使ったら良いのにと思った記憶がある。

現実は、良くも悪くも様々なモノゴトに忙殺されることが多く、1日は、あっという間に過ぎてしまうのだけれど。

それでも、月に1日くらいはスマートフォンもパソコンも使わない、見ない、触れないデトックスデーを設けて過ごしてみようかと密かに思っていたりする。

そう思ったそばからスケジュールをスマートフォンで確認しているところを見るに、一度手に入れたものを手放すことを実行するためには、ちょっとした覚悟や意志が必要であるようだ。

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そのようなことを思いながら、空いたマグカップを手にキッチンへ。

そして、冷蔵庫の中にある中途半端に残っている春巻きの皮をどうやって食べ切ろうかとメニューを巡らせていると、春巻きの皮は火を通さなくても食べられると知ったときのことを思い出した。

春巻きの皮は餃子の皮と同じように小麦粉が使われているため、「火を通して食べるもの」と思い込んでいる方が多いけれど、春巻きの皮は既に焼いてあるため、袋から出した状態で食べることができるのである。

だから、北京ダック風の具材を巻いたり、タコスの具材を巻いたり、アイスクリームを包んだり、ピザ生地代わりにしたり、生春巻きの具材を巻いて楽しんだり、サラダやチキンを巻いてラップサンドウィッチにしたり、幅広く活躍してくれる一品だ。

私自身、「火を通して食べるもの」という思い込みがあった時には、残ってしまうとまた油を使わなくては……と思っていたこともあったけれど、

春巻きの皮の製造工程を知ってからは、中途半端に余っても困ることがなくなったように思う。

もし、春巻きの皮は揚げるなどして火を通して食べるものという思い込みがあった方は、この機会に柔軟な発想で楽しんでみてはいかがでしょうか。

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「これまで通り」に執着することを止めて、「思い込み」も取っ払ったら、たくさんの新しい世界が広がっているように思います。

何かしたのキッカケの種にしていただけましたら幸いです。

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ホットケーキミックス粉と水あめのはなし。

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ティータイムにレシピ本をパラパラと捲った。

それは、レシピ本としての利用価値はもちろんのこと、お料理やテーブルセッティングを含めた画像を眺めているだけでも十分に楽しむことができる、目の保養にもなる1冊である。

更には、ズボラな私がキッチンに置きっぱなしにしていたとしてもインテリア雑貨と化してしまうところも密かに気に入っている。

引っ越しをする度に書籍の断捨離を行うのだけれど、このレシピ本は、幾度もあった引っ越しの機会をすり抜けて手元に残り続ける、レシピ本の重鎮といったところだ。

その日は、デザートページに載っていたパンケーキを眺めていたのだけれど、最近はホットケーキミックス粉も品薄状態で入手しにくく、取り扱い店によってはお値段もあがっていることがあると聞く。

外国にいる知人の中にも小麦粉やイースト菌が買えないと言っている方がいたことを思い出し、どこの国でも同じようなことが起こっているのだと改めて感じた。

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ホットケーキミックスは使い勝手が良いため、私も時々購入するのだけれど出来れば米粉ベースのものを、出来ればバニラのような香りはもう少し抑えたい、お砂糖も……と思うことがある。

そこで数年前に友人に教えてもらったレシピをベースにアレンジを加えた、米粉、きび糖、ベーキングパウダー(食用の重曹でも可)で自家製ミックス粉を作ったりもする。

しかし、いつでも米粉を常備しているわけではないため、米粉が切れているときには天ぷら粉を代替品として使うこともあるので、天ぷら粉は出汁などを含まないシンプルなものを買っておくと、幅広いメニューに対応できるように思う。

天ぷら粉にはベーキングパウダーが混ぜ込まれていることが多いので、材料をひとつ減らすことができるズボラアイテ……いや、お助けアイテムでもある。

話を、米粉バージョンに戻すと、

作るといっても、3つをしっかりと混ぜるだけなのだけれど、甘い香りを付けたいときには、ミックス粉を使用する際に必要に応じてバニラエッセンスを足すのもアリである。

私が使っている3つの材料に塩や片栗粉などをプラスするレシピなどもあるので、どうしても必要だけれど手に入らないときには、「自家製できる」ということを思い出していただければと思う。

私のレシピを参考にと思ったのですが、自分が思っていた以上に目分量で配合していることが分かったため、レシピは、巷で紹介している方のものの中から、お好みのものを探してみることをおすすめするとして、本日のメイントピックに移らせていただきたく。

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冒頭に登場した写真集のようなレシピ本を眺めていたら、材料の欄に「水あめ」の文字を何度か目にしたのである。

口にする機会はほとんど無いけれど、水あめの甘さは優しくて癒されるように思う。

私が最後に口にしたのはいつだっただろうかと記憶を遡ってみたけれど、記憶の尻尾すら掴めないほど遠い日だということだけが分かった。

そう言えば、日本人は古くから水あめを食していたという。

記憶が少々曖昧だけれど、確か、日本書紀の中にも飴のようなものが登場していたように思う。

水あめは、「お芋」や「もち米」に含まれているデンプンと麦芽に含まれている酵素が合わさることで起きる化学反応によってできるものである。

化学反応によってできるのは甘くてトロッとした液体だそうで、この液体をゆっくり煮詰めていく作業を経て私たちが知る水あめに変身するそうだ。

お砂糖やハチミツが無い時代に、この化学反応に気付いて水あめを甘味料として使っていたというから、自由な発想で何事もトライしてみることで道は開けるものなのだと感じさせられたりもする。

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水あめはお菓子にも料理にも、あればあったで使い勝手が良いのだけれど、お砂糖より低くハチミツよりは高いというカロリーの位置付けもあってか、私自身は、常備するまでに至らない甘味料である。

しかし、時折、口にした時に舌の上に広がる優しい甘さは水あめならでは。

そう思っていたら無性に水あめを口にしたくなってしまったものだから、次に買い出しへ行った折には、水あめも連れ帰ろうと、早速スマートフォンのメモ機能に「水あめ」の文字を入力した。

そうそう、できれば季節のフルーツも一緒に。

水あめとフルーツで作るフルーツ飴は、さぞ美味しいことだろうと思うのだ。

今回は、ホットケーキミックスと水あめという食いしん坊目線でのトピックスとなりましたけれど、何かしらのヒントやキッカケにして、お楽しみいただければと思います。

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【お知らせ】明日より通常公開を再開致します。

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幸せのレシピ集へ足を運んで下さっている皆様へ

こんにちは。

こちらで執筆させていただいております柊希(ひいらぎ)と申します。

しばらくの間、席を外しておりましたが、明日より通常公開を再開致します。

改めまして、どうぞよろしくお願い申し上げます。

いつでも、お気軽に、ふらり、お立ち寄りいただければ幸いです。

そして、席を外しておりました間にも足を運んでくださった方、お星様やメッセージを送って下さった方がいらっしゃいまして、感激しております。

ありがとうございます。

本日も、心穏やかな充実した1日となりますように☆彡

柊希

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【お知らせ】4/29~5/8まで更新を休ませていただきます。

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幸せのレシピ集へ足を運んで下さっている皆様へ

こんにちは。

こちらで執筆させていただいております柊希と申します。

いつも、皆様の貴重な時間を使ってお越しくださいまして、ありがとうございます。

本日4/29~5/8まで更新を休ませていただきます。

更新再開は5/9からでございます。

しばらくの間、席を外しておりますが、またお越しいただけましたら幸いです。

今日も明日も明後日も、

皆さんと皆さんの大切な方々の日々が穏やかでありますように☆彡

柊希

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春の風物詩から触れる栄養学。

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ガーデンチェアで本を読みながら過ごしていると、大きな雲が風に流されてできた雲間から太陽の光が射しこんできた。

眩しさに目を細めつつ本を閉じると、足元にテーブルや椅子の影が、ぐーんと伸びるように現れた。

それは、潮の満ち引きを切り取ったみたいな現れ方で、ほんの少しだけ、大自然に触れたときのような、ほっとしたような不思議な感覚を覚えた。

潮の満ち引きは、太陽や月の引力によって現れるけれど、満潮と干潮の差が大きいのが、この時季である。

そして、この自然界のリズムを使って楽しむ潮干狩りは、春の風物詩だ。

私は未だ、片手で足りるほどの回数しか経験したことがない潮干狩りだけれど、潮の香りと風、降り注ぐ太陽を全身に浴びながらアサリというお宝を探すのは楽しいものである。

「いつでもできるから」とすら思わなくなったまま縁遠くなっていた潮干狩りだけれど、これも手帳の一ページに書き連ねている来年の「したいことリスト」に挙げておこうと思う。

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アサリは美味しいけれど砂抜きなどの手間がかかるからか、面倒な食材という印象を抱く方も多いと聞く。

しかし、アサリには鉄分が豊富に含まれているため女性や育ち盛りの子どもたち、もちろん男性の皆さんにも嬉しい食材である。

血液の中に含まれている鉄分には、体中を巡りながら酸素を行き渡らせる役割があるため、不足すると、疲れやすくなったり、体が重くなったり、顔色が悪くなったり、筋力が落ちてくる、口内炎ができやすくなるといった不調が出てくる。

他にも、集中力が切れやすく、何となくイライラしてしまうなど、出てくる不調は様々である。

このような不調以外にも、鉄分が不足していると舌の温度が上がるため、氷を無意識にガリガリと噛んでしまったり、冷たい飲み物や食べものが欠かせなくなるのも鉄分不足のサインと一つだと言われている。

サプリメントに頼るのも鉄分を効率よく摂取する手段のひとつなのだけれど、長期間サプリメントに頼ってしまうと過剰に摂取した鉄分が体内に蓄積してしまい、

これが様々な不調を招くこともあるようなので、食事からこまめに摂る方が安心できるように思う。

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そこで登場するのがアサリである。

しかも、フレッシュなアサリよりもアサリの水煮缶の方が、フレッシュなアサリの7~8倍もの鉄分が含まれているという。

たまに食べるのであれば味付きの缶詰も使い勝手が良けれど、こちらは塩分、糖分、脂質などが予め加えられているので、

健康面などを考慮すると、どのような料理にも使えて、幅広い方の好みに合わせて調理することができる水煮の方が鉄分補給以外の問題も同時にクリアできるように思う。

フレッシュなアサリには、フレッシュなアサリの美味しさや楽しみ方がありますけれど、缶詰には缶詰の美味しさや楽しみ方があります。

健やかに過ごすための鉄分補給や、緊急時を想定した備蓄食材という役割も兼ねて、アサリの水煮缶を見直してみてはいかがでしょう。

何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

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リモート参拝と、彼らの出鼻を挫く作戦で縄張り争いに勝利する!?

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先日、友人が奈良の大仏様でお馴染みの、東大寺の大仏様を拝観したというので、恐る恐る「奈良まで行って?」と尋ねるとリモート参拝だと返ってきた。

なんでも、動画サービスニコニコ生放送を通して大仏様の様子を24時間中継し続ける取り組みが行われているとうのだ。

私も早速アクセスしてみたところ、大仏様のお姿を参拝することができた。

ただ、本当にライブ中継なのだろうかと画面をのぞき込んでいたところ、お寺の方がお掃除なのか、何かの準備なのか、作業している様子が映し出され心が弾んでしまった。

それから数分後、僧侶によるお祈りが始まった。

静止画像を眺めるのと、一見静止画像に見えるライブ中継を観るのとでは、やはり気持ちが異なるものだから、現代ならではの素敵な取り組みだと思った。

もしかしたら、「大仏様を24時間中継するなんて!」などと言う声も含めて賛否両論ある取り組みなのかもしれないけれど、本来お寺という場所は、人の心に寄り添うだけでなく、時代の最先端や流行が生まれる場だったという話がある。

そう思うと、こうしたリモート参拝も「お寺らしい」と言っても良いのではないだろうか。

いつかまた、直接お会いしてみたいという気持ちで大仏様をスマートフォンの画面越しに眺めつつ手を合わせ、この時季に欠かせない作業に取り掛かった。

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この時季に欠かせない作業というのは、家中に忍ばせてあるゴキブリ(※以下、Gと表記させていただきます。)対策アイテムの総替えである。

彼らは暖かさが安定してくるこの時季から活動し始めるそうなのだけれど、5月から梅雨前までの期間に産卵の準備も含めて特に活発になると言われている。

だから、この時季はGの駆除対策をするのに適しているそうだ。

「Gなんて滅多に見ないから、多分我が家には居ない」と思っている方が多いけれど、夜行性である彼らは人間が寝静まるタイミングを狙って活動しているため、油断大敵なのである。

また、室内にいないからといって安心できないのが厄介なところ。

エアコンや室外機のチューブなどを使って室内に侵入することもあるというので、対策アイテムを配置するだけでなく、チューブの先に専用キャップを付けるなどしておくとより安心ということのようだ。

本来は、粘着タイプのG取りアイテムなどを多めに配置し、10日から14日ほどかけて駆除する方が良いそうなのだけれど、ワタクシ、非常に虫が苦手。

粘着タイプのG取りアイテムでG駆除ができたとしても、そのアイテムを処分することに恐怖を覚えるため、巣まで餌を持ち帰っていただくタイプの駆除アイテムを、この時季はたっぷりと配置すると同時に、

湿気が大好きだという彼らの期待を裏切るべく、家中の除湿剤を新しいものに入れ替えたり、クローゼットや押し入れ、収納庫などを開け放って湿度が高くならないようにするのである。

もし、G対策をしていらっしゃる方は是非、この時季に彼らの出鼻を挫く作戦で縄張り争いに勝利してくださいませ。

何かしらのヒントやキッカケにしていただけましたら幸いです。

そして、冒頭のトピックですが、今この瞬間の大仏様に会いたいと言う方は下記の関連リンク先から旅行気分でリモート参拝などいかがでしょうか。

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見立てて楽しむくらいの柔軟な思考で過ごすのもアリ。

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そろそろ草餅が美味しい季節である。

草餅は、「よもぎ」が混ぜ込まれたお餅で餡を包んだ、一年を通して口にできる定番和菓子の一つで、よもぎ餅のことなのだけれど、私は、「草餅」という呼び名の方が、より春を想像させられるような気がしている。

私は、どちらの呼び方にも馴染みがあるので、その時々の気分で呼んでいるけれど、いつだったか、どこかの和菓子屋で耳にした話によると、地域によって草餅と呼んだり、よもぎ餅と呼んだりと親しまれている呼び名は異なるようである。

しかし、どうしてこのように二通りの呼び名があるのか。

これは、「よもぎ」が使われる前は「母子草(ははこぐさ)」という名の草を使っていたからなのではないかと思う。

「母子草(ははこぐさ)」は春の七草のひとつでもあるのだけれど、先人たちの頃は、この草をお餅に混ぜ込んでいたという。

当然、炊き立てのもち米の中に下準備を済ませた「母子草(ははこぐさ)」を入れ、杵で突いたり潰したりしながら草色をしたお餅に仕上げていくのだけれど、

草餅を作る度に母と子を杵で突いたり潰したりするのは縁起が悪いではないかと言われるようになり、「母子草(ははこぐさ)」の代わりに「よもぎ」を使って草餅を作るようになったのだとか。

まだ、正しい答えに辿り着くことはできていないけれど、この辺りが、地域によって親しまれている呼び名が異なる別れで目ではないかと思っている。

春の七草である「母子草(ははこぐさ)」を使った草餅も十分に春を感じることができるだろうけれど、3月から5月頃までが旬だと言われている「よもぎ」は、「ハーブの女王」や「万能薬草」という異名を持つほどに、薬効と栄養価が高いので、「よもぎ」を使った草餅や草団子は、旬と栄養を同時に味わうことができる和菓子である。

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私にとって「よもぎ」という食材は身近なものではない。

そのため、和菓子や天ぷらなどプロの手で調理されたものを楽しんだり、入浴剤やマッサージペーストなどに加工されたものを楽しむことがほとんどなのだけれど、

そのような生活を送っていると「よもぎ」に限らず、いつの間にか旬が分からないものが増えているのである。

何時でも何でも手に入る生活から完全に離れることは難しいけれど、旬を取っ払った日常は、変化に乏しいものであるようにも思う。

そろそろ端午の節句でもありますし、菖蒲湯に「よもぎ」をプラスしてリラックスしてみるも良し、お手軽入浴剤で「よもぎ」を堪能するも良し、草餅や草団子で晩春を感じてみるのも良いのではないでしょうか。

このような時ですので、思うように思うものが手に入らないこともあります。

そのような時には、ハッピーは自分で作っちゃってOK。

グリーンのものを「よもぎ」に見立てて楽しむくらいの柔軟な思考で過ごすのもアリだと思うのですがいかがでしょうか。

本日も、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます☆彡

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バラとマスクと表情筋。

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不意に届いたバラを前にして口角がきゅーっと上がった。

淡いピンク色に、ほんのりとマゼンタピンク色のベールをかけたような上品な色をしたバラは、大人のためにあるような雰囲気をしていた。

一緒に添えられていた栄養剤には水を腐らせないための成分も入っており、しばらくは水替えも不要とのこと。

贈ってくださった方の「バラを存分に楽しんでね」という声なき、言葉なきメッセージにも感激した。

花と言えば、先日、農園だったかテーマパークだったのか、その辺りの記憶は曖昧なのだけれど、千葉のとある場所で満開間近のチューリップが刈り取られたというニュースを目にした。

広大な土地にカラフルなチューリップがキレイに咲いており、画像越しからチューリップの甘い香りが漂ってきそうな風景だったのだけれど、

このまま咲き続けていたら、チューリップを見ようと大勢の人が集まってきてしまうという理由から、刈り取ることを決断されたとのことだった。

その数80万本以上だったような……。

私には想像できないほどの数である。

足並みを揃えて咲かせるために愛情をたっぷり注いで育てたチューリップを枯れてもいないのに刈り取るときの気持ちを想像すると何とも言えない気持ちになった。

このチューリップのように、見てもらうことも出荷されることもなく刈り取られてしまった花の数は、想像以上の数になるのではないだろうか。

そして、このニュースと光景は幾つものダメージが連鎖していくことを想像させるようなものでもあった。

そのようなニュースを思い出しながら、私のもとにやってきてくれたバラには、刈り取られてしまったチューリップの分まで、思いっきり咲いて咲ききって欲しいと愛でまくる日々である。

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このチューリップを配達してくださった配達員の方には度々お世話になっているのだけれど、去り際に、マスクをしていると顔の半分の筋肉が弱りますねとおっしゃった。

友人ともそのようなやり取りを交わしていたものだから、そう感じている方は多いのだろうなと思った。

顔の大半をマスクで覆う日々なので、口元というよりは、顔の筋肉が油断しきった状態で過ごすため、口角が下がった状態が癖付けされてしまっていることに、ある時ハッとするというのだ。

 

更には、鼻と口が覆われている状態で呼吸するため、いつの間にか鼻呼吸からラクな口呼吸になっており、呼吸が浅くなっている方も増えているようだ。

呼吸が浅くなっているということは、細胞に十分な酸素が行き渡っていないということ。

私たちの細胞は、水分と同じくらい十分な量の酸素を必要としているのだけれど、ストレスや疲労を緩和させるためには、いつも以上の量の酸素が必要なのだとか。

だから、マスクで顔の半分を覆われていても、マスクの中ではしっかり口角を上げて、息もしっかり吸って、アフターコロナに、自分がしたいことの全てを思いっきり楽しむことができるように準備をしておきたいものである。

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このような話題に触れると、マスクをして過ごすことに対する不便に意識が向きがちだけれども、マスクをして過ごすからこそのメリットもあるそうだ。

これは、薬剤師の方から教えていただいた話なのだけれど、女性は男性よりも体内に空洞が多いため、どうしても体が冷えやすい。というよりは、保温することが少々苦手な体の作りをしているそうだ。

しかし、口や鼻をマスクで覆っていると冷たい空気がダイレクトに入ってこないため、ほんの少し体温を保ちやすくなるという。

長所ばかりの人や短所ばかりの人がいないように、どのような状況の中にも、良い面とそうではない面があるものだから、このようなときこそ、できるだけ視野を広く持って口角をキュッと上げて過ごしませう☆彡

本日も、何かしらの小さなハッピーが見つかりますように。

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ヴィーナスのポージング。

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しばらく使っていなかった画材道具を取り出そうと、滅多に開けない収納スペースを覗き込んだ。

そこで、行き場を無くした細々としたものを詰め込んでいる箱に目が留まったため、画材道具そっちのけで箱を取り出した。

中には、どこかの国で購入した小さなピンバッジや個性的な画鋲やクリップなどが入っていた。

どれも気に入って購入したものだ。

時間が経った今でも自分好みで気に入っていると感じるそれらけれど、困ったことに使いどころが全くないのである。

そろそろ手放す時が来ているのかもしれない。

そう思いながら、おもちゃ箱のようなその中を指先でかき分けていると、親指ほどの全長をしたミロのヴィーナスを模った消しゴムらしきものを見つけた。

買った記憶も、いただいた記憶もない存在を摘まみ出し、どうしてこんなものを持っているのだろうかと考えてみたけれど何も思い出せなかった。

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その代わり、学生の頃にミロのヴィーナスの失われた両腕を想像して遊んだことを思い出した。

古のギリシャで制作されたと言われているこの彫刻には両腕がない。

どのような腕や手で、どのようなポージングをしていたのか謎のままである。

というのも、ミロのヴィーナスは幾つかのパーツに分けられており、ギリシャ人の農夫が2つのパーツを見つけたところから物語が始まっている。

この2つのパーツに興味をもったフランス人が、他にもパーツがないか探してくれないかと農夫に頼んで探してもらった結果、合計6つのパーツが見つかったという。

そして、このパーツを、立体パズルを組み立てるようにして組み立てたところ、あのミロのヴィーナスが現れたのだ。

時の王は、腕が欠けてしまっていることを気にして、当時の彫刻家たちに腕を再現するよう命じたようなのだけれど、しっくりとくる腕を見つけるまでには至らず、両腕はないままでも美しい、いや、寧ろ欠けているからこそ美しいといった答えに辿り着き、現在に至っているという。

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ただ、無いからこそ人々は様々な想像をするもので、ミロのヴィーナスは、手にリンゴを持っていたのではないだろうかという説がある。

私たちがミロのヴィーナスと呼んでいる彫刻のモデルがヴィーナスだという確証はないのだけれど、人々は、あるギリシャ神話とこの彫刻のモデルを重ねたのだ。

あるギリシャ神話というのは、三人の女神が美しさを競い合ったという話で、その勝負の勝者となったヴィーナスは、この世で一番美しい女神へと記されたリンゴを手にしたという。

もし仮に、この神話が正しかったとしてミロのヴィーナスがリンゴを持っていたとしたら、これほど多くの人を魅了しただろうか。

全て分かっていないからこそ想像を掻き立てられ、想像する楽しみにも繋がるわけで……。

私の勝手な思いだけれども、時の王が両腕は欠けたままで良いと判断したのは正解だったように思う。

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ちなみに、ミロのヴィーナスはフランスのルーブル美術館に保管されているのだけれど、過去にたった一度だけルーブルを離れたことがあるという。

その貴重な一度が日本だということもあり、私の中では親近感を抱かずにはいられない彫刻のひとつとなっている。

ミロのヴィーナスを目にする機会がありました折には、失われた腕のポージングを想像して遊んでみてはいかがでしょうか。

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