目で確認することはできなかったけれど、何処からともなく漂ってきた金木犀の香り。
その甘さを含んだ爽やかな香りに私の胸が小さく跳ねた。
しばらくすると古民家を改造したコーヒーショップ、
いや、珈琲屋とでも表現した方がその趣ある佇まいには合うだろうか。
柿渋を幾重にも塗り重ねた深い色合いをした外観のお店から
挽きたての、何とも香ばしいコーヒー豆の香り流れてきて私の鼻をくすぐった。
しかし、それもほんのひと時の出来事で、色なき風がその香りを軽やかに連れ去ってしまう。
日常にあるひとコマは、確かにそこに在ったのだと人の五感に足跡を残すけれど、
こうして見てみると、なんて儚げなのだろう。
その全てを記憶しておくことは不可能に近いけれど、
きっと、感じたそれらは自分の中に溶け込んで、
自分を成す一部となっているのかもしれない。
そのような事を思いながら歩いていると少し先の方から
フランスの空気をまとったクレモンティーヌのメロディーが耳に届いた。
と同時に甘栗の良い香り。
日本の甘栗とクレモンティーヌのメロディーという意外な組み合わせに
忘れていた懐かしい記憶が引っ張り出された。
フランスでは秋から冬にかけてマロン・ショと呼ばれる焼き栗の屋台を見かけるようになる。
日本のお祭りの時の屋台のイメージと照らし合わせると、
フランスのそれは、とても簡素なスタイルのもの。
そして日本の甘栗は、素朴ながらもほくほくとしていて栗の甘さもしっかりとあり、
ひと粒口にすると、二つ、三つとつい手が伸びてしまうけれど、
フランスの焼き栗には日本の甘栗のような甘さはない。
日本の甘栗になれてしまうと正直なところ物足りなさも感じるのだけれども
白い息を吐きながら熱い焼き栗(マロン・ショ)を手に取ると、
身も心も素朴な温かさに包まれ、秋が来たのだと感じさせられる
フランスの秋冬の風物詩のようなものだ。
私が初めてこの季節にフランスを訪れた時、
素敵なヒールを小粋に鳴らしながら歩くパリジェンヌが、
マロン・ショ片手に歩く姿が街並みに優しく溶け込んでいてとても印象的だった。
そのような雰囲気につられて、
私も最初に目に飛び込んで来たマロン・ショの屋台へと近づいた。
味は先述の通りではあったけれど、素敵な景色と寒さを和らげてくれる温かさ、
そして、ちょっとした地元の人とのコミュニケーションが相まって
私にとっては思い出の味となった。
これからフランスへ行かれるご予定がある方や、
この季節を舞台にしたフランスを映画などをご覧になる機会がある方は、
是非、フランスの風物詩を感じてみてくださいませ。
その日の私は、このような事を思い出してしまったので
一番小さなサイズの甘栗を一袋購入し自宅でゆっくりといただきました。
束の間のパリ気分を味わうべく、BGMはクレモンティーヌで。
遠くて行けない場所であっても、時間がなくて行けない場所であっても、
楽しみ方は色々とあるものですね。
今日も柔軟な心で今日を欲張って味わってまいりましょ☆彡