大掃除のタイミングを掴むのは何気に難しい。
早く取り掛かりすぎては年末に何となく気になり再度お掃除をすることになるし、
ギリギリでは心身共に疲労困憊になってしまう。
何ごともいい塩梅を見つけるのは容易ではないようだ。
今年も私は大掃除のタイミングを掴み損ねているのだけれど、
ある日の午後、このタイミングで開ける必要のない箱を引っ張り出していた。
カッターナイフを封をしている頑丈なガムテープにスーッと走らせた。
ガサガサと乾いた音を立てながら段ボール箱の中を覗き込むと、
箱の中央にプチプチを幾重にも巻いた「何か」が大切に置かれていた。
この段ボールは一度も開封されることのないまま、既に3回程の引っ越しを経験している。
故に、自分でも何をそんなに厳重に梱包したのか覚えていないのだ。
女性の片手ではギリギリ持てない程の大きさとズッシリと感じる重み。
私は恐る恐るプチプチを剥がしはじめた。
巻物か!?と思わず突っ込んでしまいたくなるほどクルクルと巻かれたそれ。
出てきたのはゴツゴツとした陶器製の妙なオブジェだった。
大きな卵が真ん中から割れており、中にいるのはゴツゴツとした容姿のゴブリンだ。
ハリー・ポッターや指輪物語がお好きな方であれば、
「あぁ、あれね」とお察しいただけるだろうか。
何でこんなものを……。
どこからどう見ても可愛くないし、おしゃれでもないし、
「アーティスティックね」なんて社交辞令すらいただけないような代物だ。
ただ、これを買った時のことはよく覚えているのだ。
イギリスのロンドンにコヴェント・ガーデンというエリアがある。
ここは、マーケットやおしゃれなお店が多く、
ウィンドウショッピングをするだけでも十分楽しめるスポットだ。
私は美術館へ行った帰りに立ち寄ることが多く、
お気に入りのキャンドルショップや帽子専門店などを覘いていた記憶がある。
様々なお店を覘いていたのだけれど、ある時、少し癖のある雑貨店を見つけ足を運ぶようになった。
そこの店主が日本好きだったこともあり会話を交わすようになり、
お店へ行くたびにゴブリンをキュートだと眺めていた自分を思い出した。
どうしてこんなものを買ったのだろうかと、今は、思っている。
確かに癖のある雑貨店だったのだけれども、
どうしてあの時の私はこのゴブリンにそれ程までに惹かれていたのか思い出せない。
いつ行っても買い手がつかないゴブリンに情がわいてしまったのだろうか。
イギリスに居た時には、それなりに可愛がっていたゴブリンだけれども、
帰国後、私が大事に飾っていたゴブリンを見た母が、言ったのだ。
「何でそんな変なもの買ったの?変よね、それ。」
何だろう、あの時の気持ち。
百年の恋が冷める瞬間というのは、ああいう時の気持ちを言うのだろうか。
その後、ゴブリンはプチプチでクルクル巻きにされたままである。
手放してはいない所に確かに在ったのであろう情が見え隠れするけれど、
果たしてどうしたものか、このゴブリン。
きっと、愛ではなかったのね。
現実というのは時に残酷である。
開封してはみたものの、そのような事を思いつつ再びゴブリンをクルクル巻きにし、
そっと段ボールの中央に戻したある日の午後でありました。