もうすっかり、春なのでしょうね。
ここ最近は、耳が鳥のさえずりを拾う機会が多いのです。
私は、アラームが鳴らなければ、いつまでだって寝ていられるタイプなのですが、
春を喜んでいるかのような鳥たちのさえずりに、
ほんの少しだけ普段のペースを乱されている今日この頃です。
今年もこうして様々なシーンで春を感じていたところ、友人と話をする機会がありました。
その時に、このような話題がのぼったのです。
「それ、知ってる」と言って人の話の腰を折ってしまう人が居る、と。
決して、この言葉を発することが悪いという意味ではないのですが、
発した際に、相手の言葉を遮るだけの言葉になっていたり、
この言葉そのものが口癖になっている場合、
「それ、知ってる」と言い放った人の“何かを知る機会”は、じわりじわりと減り、
いつの間にか、知っているようで何も知らない自分が仕上がっていたりするのではないだろうかと。
そもそも、相手の話をどこまで知っているのだろうか、と思うのです。
知っている内容だったとしても、
それを話す相手によって、表現も、視野も、目の付け所も微妙に違うもの。
話し手が本当に伝えようとしていいたことは、
その話題の取り扱い説明書のようなものだったかもしれないし、
その話題は何かを伝えるためだけの「一例」で本題ではなかったかもしれない。
もしかしたら、聞き手は話し手の話術から何かしらの発見したり、
何かしらを得ることができたかもしれないのです。
それが、その時に感じられるものなのか、
数年後に思い出して何かに気付くのかは分かりませんが、
こんなにも可能性が詰まっているというのに、
それを、自分の物差しだけでの判断で「それ、知っている」と遮ってしまうのは、
あまりにも勿体ないように感じるのですがいかがすか。
口癖に気が付いた時には、
情報や話題、気付くことが出来るきっかけを失ってしまった後、ということも。
誰にだって口癖はありますし、急に直そうとしても難しいものです。
もし、「それ、知ってる」と言い放ってしまったのなら、
その後に続く、話し手の話を遮りっぱなしにしない思いやりの言葉を
こっそり用意しておいてみてはいかがでしょうか。
丁寧に扱われた言葉たちは、
あなたをもっと素敵な世界へ連れ出してくれるような気が致します。
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