芝生が敷き詰められている緑いっぱいの大きな公園のベンチで
手にしているカップの中の氷をシャラシャラと鳴らしながら頭の中を空っぽにしていたときのこと。
ドラマのようなシーンに出くわした。
少しだけ離れた場所にある別のベンチには、
10代後半か20代前半か、といった雰囲気の男女が座っていた。
時折耳に届く穏やかな笑い声が微笑ましくて、
平和な平日だと思いながら風を感じていた。
すると突然、「こんなもの欲しくない」と、女性の少し粗い声色で耳に届いた。
直ぐに視線を向けてしまってはいけないと思いつつ、ちらりと視線をむけると、
女性はその場から立ち去り、それを男性が追いかけている後姿があった。
追いかける男性の右手には贈り物の包み紙らしきものがひらひらと風に靡いていた。
彼らにも降り注いでいたキラキラとした日差しが、
どこか空回りしているように思えて一瞬だけ、切なくなった。
きっと、こんなもの欲しくないと言い放った彼女も、
贈られたことは嬉しかったと思うのだ。
だけれども、疲れていたのか、調子が悪かったのか、
二人の間に、あのような言葉を言い放ってしまうだけの、言われてしまうだけの、
何かが起きたのか。
私にその理由を知る術はないのだけれど
嬉しいと感じられるスイッチが上手く入らなかったのだろうなと思う。
例えば誕生日にいただいたものが自分にとって、
いまひとつだと感じるものだったとしよう。
人の感性もそれぞれだから、そのようなことは日常の中では珍しくはないし、
そう感じること自体も良い悪いではなく、あるひとつの感じ方。
だけれども、自分の誕生日を覚えてくれたこと、
自分の為に時間を割いて準備してくれたこと、
これまでの自分であれば興味がないことに、
その贈り物を通して触れることができること。
贈っていただいたものを、
どのようにして楽しむかを考える時間をワクワクする時間にするきっかけ。
贈り物以外にも贈り物と言えるような温かい想いが忍ばせてあるのではないかと思うのだ。
それを受け取るも受け取らないも自分次第。
受け取ることができるのか、できないのかも自分次第。
小さな幸せをひとつ、ひとつ受け取って丁寧に感じることができたなら、
その幸せは、大きく育っていく。
幸せを感じられるチカラ、想像するチカラに磨きがかかれば
幸せは自分でいくらでも大きすることができるのではないかと思うのだ。
幸せを感じられるチカラや想像するチカラを磨くには、心身の健やかさが欠かせない。
そう思うと結局、健康も美容も心の健康も繋がっているのだから
日々を健やかに、丁寧に、というところに戻ってくるのだけれど。
どんなときも、大切なものごとほど直ぐ近くにあるものかもしれない。
幸せ感度を上げて、そばにある幸せも、
これからやってくる幸せも大きく育ててみたい今日この頃だ。