この際、ステンレス製の串を買ってしまおうかな。
キッチンで、そのようなひとり言をブツブツと呟きながら鶏肉とネギに串打ちを施した。
このまま焼いたのでは竹串を焦がしてしまうため、持ち手部分にはアルミホイルを巻き付けた。
いつものことだとは言え、このアルミホイルを巻き付ける作業を地味に面倒だと感じており、
自宅で串焼きをする度にステンレス製の串を検討しているのだけれど、
串が焼きあがるころには検討していたことを忘れてしまっている、ということを繰り返している。
その日も例外ではなく、早々に私の意識は串問題から遠のき、
脳内には「ねぎま」の文字がテロップの如く流れていた。
そして、鶏肉とネギを交互に串に刺して焼いたものを「ねぎま」と呼んでいるけれど、
ネギを鶏肉と鶏肉の間に挟むから「ねぎま」と呼ばれているのではなく、
本来はネギとマグロの「ねぎま」だと知ったときのことをぼんやりと思い出していた。
漢字表記では「葱鮪」と書いて「ねぎま」と呼ぶというではないか。
当時、そのような話を聞きながら、
手にした「ねぎま」を眺め、鶏肉部分をマグロに置き換えて想像していると
私の脳内をスキャンしたかのような笑みを浮かべながら知人が言った。
「鶏肉をマグロに差し替えた串焼きが葱鮪ではないからね」と。
想像していたものが違うことに驚いたのか、脳内をスキャンされたことに驚いたのか、
私には区別がつかないけれど「え?違うの?」と随分と無防備な顔で返したのだろう。
知人は少しだけ答えを焦らし、「葱鮪」は「ねぎま」でも、串焼きではなく鍋料理だと言った。
その後、自分でももう一度調べてみたのだけれど、
確かに「葱鮪(ねぎま)」とは、お醤油やお酒で味付けをした出汁に、
たっぷりのネギとマグロを入れて煮る鍋料理で江戸時代の人気メニューのひとつ、だった。
このお鍋を、もっと手軽に食べられるようにと考えられたものが
ネギとマグロを串打した串焼きだったそうなのだけれども、
マグロが高級食材となったためマグロの代わりに鶏肉が使われるようになり、
現在の、私たちに馴染みのある「ねぎま」にたどり着いたよう。
なんちゃって葱鮪として登場した「ねぎま」だけれども、
なんちゃってメニューだなんて言わせないくらい、ネギと鶏肉のハーモニーは最高だ。
「名は体を表す」というけれど現在の「ねぎま」もしかり、だと思いたい。
そのようなことを思っている間に我が家の焼き鳥も焼きあがった。
もちろん、アツアツを美味しくいただいたのだけれども、
この原稿をしたためるまで、“ステンレス串に替えるか否か問題”のことはすっかり忘れていた。
さて、どうするか。
しばらくは竹串でやり過ごすような気がしている今日この頃である。