けたたましく鳴く蝉の声で目が覚めた。
耳から脳へと突き抜けていくような、目覚ましアラーム以上の破壊力に、若干の目覚めの悪さを感じたのだけれど、
目覚ましアラームが鳴る5分ほど前だったこともあり、
許容範囲かなと、寝起き直後の頭と体を納得させて体を起こした。
ベッドルームのブラインドを開けると網戸に立派な蝉が止まっていた。
こちらの気配を窓越しに察したのか、破壊力あるそれは、ピタリと止まった。
昆虫に素手で触れることは躊躇われるのだけれど、
自分の安全が完全に保たれている窓越しの状態を良いことに、まじまじと蝉の体を覗き込んだ。
そのフォルムは細部にまで渡り、非の打ち所がないくらい良くできており、
自然が生み出すものの美しさや不思議さを内包しているように見えた。
蝉は、地中から地上へ出ると、木の上で背中の皮を割るようにして脱皮する。
ほぼ、その時の姿形のまま残される蝉の抜け殻を、幼き少年たちが、まるで宝探しをするかのようにして集めている姿を時々目にすることがあるけれど、
少年たちが昆虫に魅了されるのも無理はないと思った。
再び鳴き声を上げた蝉にビクッと小さく仰け反った体を戻しながら、このような話を思い出した。
人の脳は、左脳と右脳に分かれており、
それぞれ言語や音楽といった役割分担をしているという説があるけれど、
この説を通して日本人の脳を見てみると、
日本人の脳は、虫や動物の鳴き声を、言語認識を得意としている左脳で聞く、とても珍しい民族らしいのだ。
通常、音楽やサイレンなどの「音」を聞くときとは、右脳が優位に立っているというけれど、これが逆だという。
しかし、その虫の鳴き声には、いくつかの例外があり、そのひとつが蝉の鳴き声なのだそう。
私たち日本人は、蝉の鳴き声は「音」として聞いているというのだ。
初めてこの話を聞いたときには、それほどピンとこなかったけれど、
私がこの日、蝉の鳴き声を無意識に目覚ましアラームと比較したことは、この性質が元にあるのかもしれないと思い、あの時の話が腑に落ちたように思った。
確かに、蝉の鳴き声からは、犬や猫などから感じる「嬉しそうな鳴き声」、「楽しそうな鳴き声」、
「何だか調子悪そうな鳴き声」などといった類のことは感じていないように思うのだ。
そのようなことを思いながら窓の方を振り返ると、
網戸に止まっていた蝉が、大きな鳴き声を置き土産に勢いよく飛び立っていった。
毎日耳にする蝉の鳴き声ですが、耳にした際には、今回のお話をチラリと思い出していただけましたら幸いです。
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