書店の出入り口付近に平積みされていたファッション誌を眺め、思う。
様々な分野の情報を、簡単にインターネットを通して入手できることが当たり前で、ペーパーレス化も同時進行している今、
年間、どれくらいの数の人がファッション誌の現物を購入しているのだろうか。
年々、しっかりとした作りのものに進化している、ファッション誌の付録見本を視界の端で捉えながら、平積みされているファッション誌の前を通り過ぎた。
日本のファッション誌やコスメ商品やメイク情報に特化した雑誌は、
海外の雑誌と比較すると、とてもクオリティーが高いものだと思う。
しっかりとした情報が紙面いっぱいに詰まっており、見応えだけでなく読み応えも十分である。
外国暮らしをしているときのことだ。
友人が、ファッション誌を差し入れてくれることがあった。
ファッションだけでなく、今の日本の雰囲気をざっくりと掴むことができるだろうから、と。
ヨーロッパでも日本のファッション誌を買うことはできたけれど、
当時は、1冊の日本のファッション誌と、ちょっと美味しいランチとワインを味わうことができるくらいの金額が同じくらいであった。
しかも、店頭に並んでいるのは2ヶ月ほど前のもの。
いくら何でも高すぎると思い、手を伸ばすことはなかった。
日本のファッション誌を特段に恋しいと思ったことはなかったけれど、
何気ない日本の日常を届けてくれる友人の気持ちや心遣いはとても嬉しく、
そして、雑誌の中を覘き込みながら、日本に対して懐かしさや恋しさを感じていたように思う。
あるとき、現地の友人が遊びにきたのだけれど、
テーブルの上に置いていた日本のファッション誌を手に取り、目を大きく見開いて言った。
日本のファッション誌は、全部、こんな風なの?と。
こんな風とは、どんな風だ?と聞き返すと、彼女は一か月着回しコーディネートページを指さした。
着回しコーディネートは、定番企画のようなものだと言うと、今度は口をポカンと開け、開いた口が塞がらないといった表情で固まってしまった。
次に友人が手に取ったのは、その当時の日本で流行っていたメイクに仕上げるためのテクニックが写真付きで紹介されていたり、
新作コスメの色味をブランド別に比較してある、日本ではお馴染みの1冊だ。
友人は、「私は、日本語は読めないけれど、これなら私にも理解できる」といって興奮していた。
その日は、日本のファッション誌の話題で持ち切りとなり、
私は、拙い英語を駆使し、時には辞書を引っ張り出したりもしながら、
日本のファッション誌について私が知っていることを語り尽くす日となった。
ずっと、そのファッション誌を捲っている友人を眺めながら、
日本の友人も、この状況を見たら、そうした方が良いと言うに違いないと思い、
私は、いつも色々な所へ連れて行ってくれるお礼にと、その雑誌をプレゼントした。
友人は、一生の宝物にすると言って受け取った。
正直、それは、オーバーリアクションじゃないだろうかと思っていたのだけれど、
それから、季節が変わり、雑誌の内容も季節外れのものになった頃、
現地の友人は、その雑誌にお手製のブックカバーを付け、今も熟読していると言って、私がプレゼントした雑誌を見せてくれた。
そして、今の季節のファッションではないけれど、
色使いやメイクのテクニック、その他、色々なことは季節を越えて参考になるのだと言っていた。
その時に、日本のファッション誌の紙面構成もまた、
日本が誇ることができる文化のひとつだと言っても良いのかもしれない、と思った。
遠い日の、そのような出来事を思い出した日。
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