先日までクリスマスだ、大晦日だ、お正月だと言って慌ただしくしていたはずなのだけれども、
気付けば11日、あっという間に鏡開きだ。
鏡開きの日は、鏡餅を食べる事で、新しい年を元気に、幸せに、暮らせると言われている。
飽食の時代の影響なのか、「お餅は食べ飽きた」と耳にする機会も増えているように感じることもあるけれど、
鏡餅は、山から家に来てくださった歳神様(年神様)が山に帰る日まで、よりどころとして過ごしていた場所で、歳神様(年神様)の力が宿っていると言われているため、
美味しく調理して、楽しみながら縁起を担ぐのも良いのではないかと思う。
今回は、鏡開きに因んだお話をと思っていたのだけれど、鏡開き当日の巷には、鏡開きの話題があちらこちらに転がっているように思うので、
昨年末、赤いポストの前で思い出したお話を少し、と思っております。
年末の慌ただしさ漂うその日。
私は、鞄の中から取り出した郵便物をポストに投函した。
いつもならば、そのまま向かう先へと視線が伸びるのだけれども、
その日は、ポストの足元付近で何かが動いたような気がして視線を下に向けたのだ。
すると、大きな梅干しほどの黒い塊が、小刻みに動いていることに気が付き、思わず無言で仰け反った。
しかし、止めておけばいいものを、好奇心が若干勝った私は、しゃがみ込むことはしなかったけれど、その黒い塊を上から見下ろした。
多分、キャンディか何か甘いものだったのだろう。
勤勉なアリたちが、多数群がっているところだった。
その様子を見て、知人から聞いた「アリは、大量のお砂糖には近づかない」という興味深い話を思い出した。
私たちが使っているお砂糖は適量ずつ包装してあるものだけれど、当然、これを作る工場があり、そこには山のように大量のお砂糖がある。
しかし、このようなお砂糖を作っている工場には不思議とアリがいないというのだ。
私はその話を聞き、密閉状態の場所やタンクのようなものに入れられているから、
アリは近寄ることができないのだろうと想像したのだけれど、
お砂糖工場では、源糖と呼ばれる、お砂糖になる前の未精製の状態のものが、倉庫のようなところに豪快に積んであることが多いのだそう。
そして、この源糖を口に入れられる状態に精製するために、必要な分量ずつ、ブルドーザーのような重機を使って倉庫から運び出すという。
口にできる状態になる前の源糖だとは言え、甘い香りが周りに漂うくらい十分に甘いというのに、
この源糖が保管してある倉庫に、アリはいないのだとか。
どうしてアリがいないのか、はっきりとした原因は分かっていないのだけれど、
これは、お砂糖が持っている、周りの水分を吸う性質が原因のひとつではないかという話があるそうだ。
キッチンで、「お砂糖が周囲の水分を吸って固まってしまった」という経験をしたことがある方もいらっしゃるかもしれないのだけれど、
そのようなことが、源糖とアリの間でも起こるのでは、ということのようだ。
アリが、倉庫の天井に届かんばかりの大量の源糖に近づけば、
お砂糖に体の水分を吸い取られて命を落としてしまうことを本能で察知しており、
アリは、お砂糖工場の源糖には近づかないのではないか、という見方である。
アリといえば、地下の巣に居る働きアリの1匹、1匹を識別して、巣全体の観察を続けると、
どのような事態が起きても働かず、当てもなくプラプラと巣の中を歩き回ったり、
1日の大半を、寝るかカラダのお手入れをするかして過ごす、おさぼりアリが2割ほどいるという話に触れたことがあるけれど、小さいけれど、侮るなかれである。
人だけでなく、アリも見かけによらぬもの。
もしかしたら、彼らは、私たちが思う以上に頭脳派なのではないだろうか。
ポストの前で軽く仰け反りつつ、そのようなことを思い出した日。
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