風に巻き上げられた砂が目に入り視界を塞いだ。
このような時に限って目薬を持っていないと思うや否や、涙が目の奥から溢れ出した。
体本来の機能が発動し、涙で異物を洗い流そうとしてくれている状態に感謝しつつ、眼球を砂埃で傷つけてしまわぬように注意し、異物による違和感が消えるまで涙の力に頼ることにした。
しばらくの間、ぼーっとしていたのだけれど、「涙はその時々の感情によって味が変わる」という話を思い出した。
そのようなことを言い出したのは、当時仕事をご一緒していた方である。
味が変わると言っても、甘い涙が流れるだとかレモン味の涙が流れるといった話ではなく、私たちが流す涙は、涙を流す理由となった感情によってしょっぱさの濃度が変わるという話である。
今回は、そのようなお話を少し。
ご興味ありましたら、ホッと一息のおともに、のぞいていってくださいませ。
私たちが涙を流すときというのは、交感神経や副交感神経、三叉神経が刺激されているそうなのだけれども、
どの神経が刺激されて出た涙なのかによって、涙に含まれている塩分濃度が変わるというのだ。
例えば、悔しいときや腹が立ったときというのは、感情が揺さぶられて興奮しているため、興奮や緊張を司る交感神経が優位に働いている。
このようなときには、涙の中に含まれている塩分濃度が濃くなるため、しょっぱさが増し、少しベタッとした感触の涙が出るのだそう。
このベタつきは、汗と同じである。
ベタつきを感じる汗の中には、体内の塩分をはじめとするミネラルが大量に混ざっており、これがベタつきの原因なのだけれど、これと同じことが涙で起きているのだ。
これに対して、嬉しいときや悲しいときは、リラックス状態やデトックスを司る副交換神経の働きが優位。
このような時には、体内の塩分濃度を調整する機能がしっかり働くそうで、涙に含まれる塩分濃度が濃くなることはないため、
水っぽくて、しょっぱさを感じない、サラサラとした涙が出るのだそう。
今回の私のように砂埃や玉ねぎから出る成分などの異物が目に入ったことを察知して涙が出るときは、これらの異物から眼球を守るために出される涙で、三叉神経の働きによるものだと言われているのだけれど、
これは、どちらかと言えば副交感神経が貼働いて出たときの涙のように、塩分濃度が低い、しょっぱさをそれほど感じない涙が出るそうだ。
そのような話を思い出している間に、私の目の中に入った砂埃は大量に溢れ出た涙によって洗い流され、何とも清々しいスッキリとした視界が目の前に広がった。
流れる涙そのものの見た目は何も変わらないのに、涙を出すスイッチや成分は異なるなんて、人の体は本当に不思議である。
そして心と体は、こんな形でも繋がっているのだ。
玉ねぎをザクザク刻む傍らにでも、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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