そのうち開くであろう時季外れの新年会用にと、日本酒を探し求めに出かけた。
お目当ての品は、この時季に味わうことができる「新酒」や「しぼりたて」と呼ばれるもの。
この表現に正式な決まりはないと言われているので、多種多様な視点による「新酒」や「しぼりたて」があるのだけれど、この日は、秋の実りとして収穫された新米で造られた初めてのお酒という意味でのそれを求めに行った。
生憎、多くを語ることができるような知識を持ち合わせていないため、選ぶ基準は、ラベルやポップに記されている、ざっくりとした味の傾向を参考に最後はインスピレーションで決めることが殆ど。
それでも少しずつ、自分や自分の家族や友人、知人たちがどのような味を好んでいるのかを理解できるようになるのは、楽しいものである。
いつだったか、仕事をご一緒させていただいた方々との宴席で、日本酒をいただく機会があった。
その頃の私は、日本酒を飲むことはできたけれど、自分にとって飲みやすいか否かくらいの事しか分からず、それがどのようにして造られたものなのかを想像する余裕もなく、口にしていたように思う。
誰もが通る、そのようなお年頃だったのだから仕方がないとも言えるのだけれど、それなりに大人になり、ふと同じ銘柄に出会うこともある。
そして、そのとき初めて、貴重なお酒を経験させていただいていたことに気が付くやら、もっと大切に味わえばよかったと悔いるやら、頭の中でグルグルと当時の記憶が蘇り、ありがたい時間だったと着地するのである。
いくつかの日本酒を手に取りながら当時のことを頭の片隅で思い出していたのだけれど、宴席でいただいていた日本酒がとても口当たりがよく、ついついグラスを口元に運ぶ回数が増えていたときのことである。
その方が「和らぎ水(やわらぎみず)」を頼んでくださった。
「和らぎ水(やわらぎみず)」とは飲んだお酒が体にダメージを与えないよう、アルコールを和らげるために飲む水や他の飲み物のこと。
飲みやすい日本酒を口にするときのおともにと、簡単に言えばミネラルウォーターのことだったのだけれど、配慮してくださったのである。
私は、その聞きなれない言葉から、別のお酒を注文したのだろうかと推測し「やわらぎみず」というものことを尋ねたように思う。
するとその方は、日本酒のときには「和らぎ水(やわらぎみず)」、洋酒のときには「チェイサー」と言い分けるのも粋でしょ、とおっしゃった。
「チェイサー」も同じ目的で口にするもののことなのだけれど、こちらは、先に飲んでいるものを追いかけるというイメージから、チェイサーと呼ばれている。
「和らぎ水(やわらぎみず)」と「チェイサー」、何ともお国柄現れる呼び名である。
前者は、お酒や体に優しく寄り添いつつ、深酔いや二日酔いを防ぐために裏でテキパキ働く内助の功といった存在で、後者はアルコールを追う取締り官のようである。
この時から、私の頭の中では「和らぎ水(やわらぎみず)」という表現が定着してはいるのだけれど、咄嗟に口から出る言葉は、言い慣れた「チェイサー」で。
いつになったら自然に「和らぎ水(やわらぎみず)」と発することができるようになるのだろうか、と思う。
粋な大人への道は思うより遠く、やはり日々精進のようである。
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