幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

春の日永のひとこまに。

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あっという間に太陽が沈んで空が暗くなる冬は、ただそれだけで気持ちが急くこともあったけれど、その冬が春へ季節のバトンを手渡したのだろう。

気が付けば、昼間が随分と長くなったように思う。

夕暮れどきの空の色も冬のそれとは異なり、どことなく柔らかい色合いに変化している。

その日は、物事が思うようなペースで進まずにスケジュールが押していたのだけれど、外に広がる残り香のような昼間の日差しが長閑に感じられたものだから、ガーデンチェアの上に体操座りをしてミルクティーで一息ついた。

まだ少し空気が冷たかったのか、体の奥へと落ちていくミルクティーの温かさが、じんわりと体中に広がった。

平安時代には既に使われていた言葉の中に、日永(ひなが)、短夜(みじかよ)、長夜(ながよ)、短日(たんじつ)という言葉がある。

これは、季節によって変化する日の長さを表す言葉なのだけれど、お日様の日差しに目を向けるのか、夜の長さや短さに目をむけるのか。

先人たちが、巡ってきた季節の特徴を丁寧に拾い上げて、四季を感じ分けていたことが窺える言葉だ。

春は昼間が長くなってくるので日永(ひなが)と表しているけれど、春よりも更に昼間が長くなってくる夏は、お日様の日差しには目を向けず短くなる夜にフォーカスし短夜(みじかよ)と表現し分けている繊細さが、何とも心地よい言葉である。

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時折冷たい風が吹く日もあるけれど、短日(たんじつ)と呼ぶには既に昼間が長く、間違いなく日永(ひなが)の頃だと思っていると、お祝いごとのお知らせが届いた。

ここのところ、お祝いごとや嬉しいお知らせが続いており、ハッピーのお福分けをいただいている。

その中には、小さなお子様の入学の知らせも複数あり、ワクワクとドキドキが合わさった、今しか感じることができない気持ちを味わっていらっしゃることだろうと思った。

と同時に、「早生まれ」と呼ばれる子どもたちの成長ペースを心配する声も、時折、耳にする。

ある程度の年齢になれば、生まれた日による1年の差は大した問題ではないけれど、成長し始めたばかりの子どもたちを同時に見渡すと、早生まれの子どもたちには、影響が表れることがある。

この時にできた差は、月日を重ねるごとになくなると分かっていても、親の立場から見れば過剰に意識してしまうことも当然あるだろうけれど、このようなときほど周りの子と比べずに、深呼吸、深呼吸。

同じ時間を過ごすなら、比べた結果に対して一喜一憂して疲弊するよりも、今しか感じられない瞬間を楽しむ方が、豊かな時を重ねながら共に成長できるように思う。

子どものことに限らず、大人は大人で自分を誰かと比較してあれこれ思うこともある。

だけれども、それは前向きな何かに気付くための比較であって、ネガティブになるためのものではないという視点があれば、感じることや見えている景色も変わってくるようにも。

ネガティブがやってきたら、ものは試しに深呼吸。

これ、地味におすすめである。

春の日永のひとこまに、そのようなことを思いつつ、私も深呼吸を繰り返した。

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