断捨離してしまおうかと出しておいたあたり鉢(すり鉢)の中でゴマを擂った。
ゴリゴリと心地よい重低音に浸っていると、擂りたてのゴマから香ばしい香りがし始めた。
この香りを楽しめるだけでも十分に、役割を果たしてくれているあたり鉢(すり鉢)なのだけれど、他のもので代用できることもあり、断捨離ターゲットに浮上中である。
しかし、このあたり鉢(すり鉢)は、なかなかの手強さなのだ。
ターゲットに浮上しては良さを再確認させられて収納場所へと逆戻り、これを幾度繰り返しただろうか。
私だって名残惜しくもあるけれど、そろそろね……と思う春である。
外国で暮らしていた頃、相手に媚を売るという味合いの「ゴマをする」という言葉を口にしようとして黙ってしまったことがある。
ものは試しにと直訳して発してみたけれど通じるはずもなく、その時に思いついた媚を売るようなシチュエーションや、誰かに取り入るようなシチュエーションを挙げられるだけ例に挙げて、これって何て言うの?と尋ねたように思う。
もっとスマートな尋ね方もあるのだろうけれど、私の尋ね方はいつもそのような感じだったものだから、私が幾つかの例を挙げ始めると、今回は何を知りたいの?と返す知人もいた。
その時は、「ゴマすり、ゴマすりをする」といった表現を知りたかったのだけれど、表現にまつわる興味深い話を聴くことができたのである。
それは、私たちがイメージする「ゴマすり、ゴマをする、媚を売る」といったシチュエーションを表現する単語は存在していたのだけれど、イエスマンやアップルポリッシャーという表現を使うことがあるという話である。
直訳するとイエスマンは、何に対しても「イエス」「はい」「OK」とい人という意味で、アップルポリッシャーは「リンゴ磨き」という意味である。
当時の私が耳にしていた、彼らが日本人に対して抱いているイメージは「イエスマン」だった。
私は、「ノー」と言いだせない性格や、笑ってやり過ごしがちな様子を指してそう呼んでいるのだと解釈していたのだけれど、イエスマンに含まれている意味を知って「媚を売ってばかりの人たち」というイメージだったのかと、驚いたことを覚えている。
そして、世界中の情報を簡単に入手できるようになった今でも、日本人はイエスマンだというイメージを未だに抱いている人も多い。
だから、世界中からの注目を浴びる次のオリンピックでは、この辺りのイメージも変わるのではないかと密かに思っている。
話が逸れてしまったけれど、もう片方の「リンゴ磨き」は日本の「ゴマすり」の語源と似たような始まりをしていた。
日本の「ゴマすり」という言葉の語源は所説あるのだけれど、その中には、小坊主たちが、お寺修行のひとつにあった「ゴマをする」という修行を熱心に行うと和尚さんの機嫌が良かったそうで小坊主たちが熱心にゴマをする光景が「ゴマすり」の語源だという説がある。
そして、英語圏には「1日1個のリンゴを食べていれば医者はいらない」ということわざがあるのだけれど、「リンゴ磨き」という言葉が生まれた当時、既にリンゴは体に良いフルーツとして知られていたという。
これを知っていた子どもたちは、ピッカピカに磨き上げたリンゴを贈られたら悪い気はしないだろうという考えから、磨いたリンゴを学校の先生に贈って先生のご機嫌を取っていたそうで、ここから媚を売ったり、取り入るといった様子を表現する際に「リンゴ磨き(アップルポリッシャー)」と言う表現を使うことがあるという。
そのようなことを教えてもらった当時のことを懐かしく思いながらゴマを擂り終えたのだけれど、さて、このあたり鉢(すり鉢)をどうするかである。
ゴマを擂ったのは私だけれど、あたり鉢(すり鉢)にゴマをすられたのは私の方だったようで、今回もまた収納スペースへとあたり鉢(すり鉢)を戻した日。
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