伝えたいことは先に言うべきか、それとも最後に言うべきか。
先日、そのようなことを話している方々がいた。
ビジネスシーンの多くでは、結論は先にと良く言われているように、話をよりスムースに進めるための手段のひとつではある。
他にも、集中力に乏しい子ども相手に話すときには、子どもの集中力が切れてしまう前に大切なことをシンプルに伝えておく方が、お互いの意思疎通がスムースにいったりもする。
ただ、あらゆる全てのシーンにおいて、先か後かと単純に決められるようなものでもないため、最終的に、その時々のシチュエーションや相手との関係性に合った方法で伝えるのがベスト、というような曖昧な答えに着地する。
白黒はっきりとさせたい気質の方がそのようなことを言われると、もやもやとする答えではあるのだけれど、モノゴトの中にはほんの少しの歪さのようなものが紛れているように思う。
伝え方には、男性脳や女性脳、性格や置かれてきた環境などによっても変わってくるのだけれど、そこには各々の心模様が刻まれていることもあるようだ。
以前、ご実家がお寺だという方と仕事をご一緒したとき、このようなお話を教えていただいた。
ご実家が、大切な方を御見送りする場所でもあるため、子どもの頃から自宅の玄関先には、亡き大切な方との思い出話をご住職に聞いてもらおうと、多くの方が訪れていたのだそう。
そのような光景はお寺に住んでいるものとしては、日常的な風景だったそうなのだけれども、ご住職があるとき、あの方はもう大丈夫だと言ったのだとか。
知人はご住職のその意味が分からず、何の気なしに大丈夫だとはどういう意味かと尋ねると、亡き方との思い出を話すとき、2つのパターンがあるのだそうだ。
旅立った亡き方の死を受け入れられていない間は、あんなことやこんなことがあったと、思い出話をしたあとに、亡くなってしまったと締め括り、
旅立った亡き方の死を受け入れ、前を向いて歩いていくためのスタートラインに立てたとき、人は亡くなってしまったけれどと言ってから、思い出話を続ける傾向にあるのだそうだ。
このようなお話を聴いて感慨深いものがあったと同時に、大切な人を見送る経験が少なかった当時の私は、どこか俯瞰しているところもあったように思う。
それから、様々な場面に居合わせたり、経験したり、触れたりする中で、改めてこのとき聴いたお話を思い出し、深く腑に落ちたのだ。
このような場面で、「結論から先に言って下さい」と、野暮な物言いをする人はいないだろうけれど、伝えたいことは先に言うべきか、それとも最後に言うべきかの答えは、やはりひとつではない。
そう思うようになった。
遠い日に聴いた、このような話を思い出したのだけれど、
当時しでかしてしまった失敗までも思い出し、
穴があったら入りたいと思う自分を「気にしないで大丈夫!」と強く励ました日。
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