コンビニの列に並んでいると、前のご婦人が店員に「電話で支払えるか試してもいい?」と尋ねていた。
手に握られていたスマートフォンには、瓢箪やダルマの根付けがいくつもぶら下がっており、ひと際目立っていたのはキティーちゃんの根付けだった。
失礼ながら、「何だか色々とお若い」と思った。
漏れ聞こえてくる話によると、息子さんに電子マネーの設定をしてもらっているそうなのだけれど、人が多い場所で試して失敗したら困るから、ゆっくり試すことができそうなタイミングを探していたとのこと。
ご丁寧に、後ろに並ぶ私にも急ぎであれば先にどうぞとお気遣いいただいたのだけれど、何となくその行く末を見届けたい思いが先に立ち、順番を待つことにした。
ご婦人は店員に手順をひとつ、ひとつ確認しながらスマートフォンをかざした。
すぐに支払い完了を知らせるメロディーが鳴り、商品とレシートを手渡されると、興奮気味に「私にもできたわ、簡単ね、すごいわね、便利ね」と言った。
店員に、簡単で便利だし、お金に直接触らなくていからコロナウイルスの対策にもなると言われたご婦人は、何度も深く頷きながら「ここのそじでも、頑張って使ってみるものね」と言って出口へと向かっていった。
思わず店員と目が合い、お互いに声は出さなかったけれど「ここのそじ???」という空気があったように思う。
店を出た私は、店のすぐそばにある横断歩道で信号待ちをしながら「ここのそじ、ここそのじ、ここのそじ……」と頭の中で復唱した。
ふと、もしや三十路のバージョン違いでは?と思い調べると「ここのそじ」は「九十路=90歳」とあった。
9、90歳?
思わず、既に記憶から薄れかけていたご婦人の姿を急いで思い返した。
間違いなくご年配と呼べる女性ではあったけれど、私が思う90歳像からは色々と大きくかけ離れており、人生100年時代という言葉がとても現実味を帯びたものに感じられた。
30歳を表す三十路(みそじ)という言葉があるけれど、他にも20歳から10歳刻みで二十路(ふたそじ)、三十路(みそじ)、四十路(よそじ)、五十路(いそじ)、六十路(むそじ)、七十路(ななそじ)、八十路(やそじ)、九十路(ここのそじ)とある。
数を10ずつ刻んで数えるときに「そじ」という言葉を使うのだけれど、三十路は10×3なので、3つの「そじ」ということで三十路。
九十路は10×9、9つの「そじ」ということで九十路と記される。
いつぞやかに、そう知りはしたものの、三十路以外の言葉は使う機会も見聞きする機会も無いに等しかったものだから、突然「ここのそじ」という響きを耳にしても直ぐには90歳に繋がらず、ご婦人の御年に気が付いたのは、姿が見えなくなってからであった。
日々を前向きに、しなやかに歩んでいる、人生の大先輩と言える世代の方にお会いすると、漠然としたものではあるのだけれど、大きな力のようなものを分けてもらったような気分になる。
もっと日々を楽しまなくては、そのようなことを思ったコンビニからの帰り道である。
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