幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

誕生色|3月生まれの誕生色、夢宵桜(ゆめよいざくら)色の紹介。

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幸せのレシピ集では毎月、

その月にお誕生日を迎えるレディーの皆さんをお祝いする気持ちを込めまして

いくつか定められている誕生石の中から天然石を1つ選んで、

その天然石に因んだ様々なお話しを少しずつご紹介してまいりました。

今年は2回目のお祝いをさせていただいておりますので、

普段触れる機会が少ないであろう誕生月が持っている

誕生色というものをご紹介させていただいております。

 

誕生色って何かしら?と思われた方の為に簡単にご説明させていただきますと、

誕生色は、「きもののまち」としても知られている新潟県十日町市にある

十日町織物工業協同組合が日本の伝統色をもとにして、

昭和56年に、この誕生色を定めました。

 

この十日町という町は、

江戸時代には越後縮(えちごちぢみ)という独特の縮シボ(シワ)をつけた織物、

幕末以降は絹織物の産地として知られた場所で、

味わい深い染めものと織りものが盛んな素敵な町です。

 

色というのは世界共通の様に見えますが、

それぞれの国が持つ伝統色はとても個性的で表情豊かです。

日本の伝統色は繊細さと鮮やかさを兼ね備えているだけではなく、

名付けられた色名もとても美しいのです。

あなたの誕生色は、あなたにどのような景色を見せてくれるのでしょうか。

この機会に、あなたが生まれた季節に優しく寄り添う和の色を、

そっと覗いてみてくださいませ。

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タイトルにもあります通り、

3月の誕生色の名は、「夢宵桜(ゆめよいざくら)」色と言い

とても雅な響きの色名です。

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お色は、桃色を極限まで薄めたような、

清らかで、ほんのりと甘やかさを含んだ淡い桃色です。

もちろん色名のとおり桜の色を表しているのですが、

夢宵桜(ゆめよいざくら)の桜は、

私たちが春のお花見で目にするソメイヨシノではなく山桜をさしているところが粋なのです。

ソメイヨシノは葉っぱよりも先に花が咲きますが、

山桜は赤みがかった葉が芽吹くのと一緒に花を咲かせます。

 

想像してみてください。

桃色を極限まで薄めたような淡い桃色の桜と赤みがかった芽吹きたての葉が一斉に開いたときの様子を。

遠目からは、その2色が自然と言う名のキャンバスの上で絶妙に混ざり合い、

それはそれは美しい桃色に見えるのではないでしょうか。

そして宵桜ですから昼間の桜ではなく日が落ちてからの桜を指していますが、

月明りに照らされた薄桃色の山桜は漆黒の夜空に

花明かりのように浮かび上がり、さぞかし幻想的な景色が広がることでしょう。

大人にこそ相応しい落ち着きがあって、可憐かつ華やかで、

とても粋な色だと思いませんか?

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夢宵桜(ゆめよいざくら)色は春の訪れを告げる色だと言われております。

3月生まれの皆さんにとっては春を告げるのと同時に、

あなたが生まれたことを喜んでくれている色なのではないでしょうか。

 

「色」という切り口も入り口のひとつで、

そこか先は様々な世界と繋がっております。

今回は桜は桜でもソメイヨシノの景色ではなく山桜の景色、宵桜の景色とも繋がっておりました。

私たちの日常にある様々な入り口を使って

あなたの日々を、自分らしく彩ってみてくださいませ。

 

ここへ足を運んでくださっている3月生まれのレディーの皆さん、

お誕生日おめでとうございます。

こうして今年もお祝いの言葉を贈らせていただけることを嬉しく思います。

新しく始まるあなたの1年が、喜びで溢れる日々でありますように☆彡

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今月の和風月名「弥生」から繋がり広がる様々な世界に触れてみませんか。

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風が冷たい日もありますが、春ならではの話題も増え、季節につられて気持ちも弾みますね。

3月のことを和風月名では「弥生(やよい)」、英語では「マーチ(March)」と申しますね。

今回も和風月名をきっかけに、普段はあまり覗くことない世界をちらりと旅してみませんか?

本日もワタクシ柊希がナビゲートいたします。

お時間がありましたら、

あなたのリラックスモードのスイッチをポチリと押してお付き合いくださいませ。

 

3月は誰もが知っている「弥生」と呼ばれる月ですが、

日本ではこの時季になると草木が芽吹き、生い茂りはじめますよね。

先人たちはこの様子や景色を「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」という言葉で記しました。

ただ、会話などで口にするには少々長いと思いませんか。

先人たちもそう感じたかどうかは定かではありませんが、

「弥」には、ますます、いよいよ、という意味が、

「生」には、生えるといった意味が含まれていることもあり、

「弥や生ひ(いやおひ)」と短縮され、

更に「弥生(やよい)」と呼ばれるようになったと言われています。

皆さんも薄々お気づきかとは思いますが、

先人たちは自然と共存することが上手だったように感じます。

私たちも“自然と共存する”というフレーズを見聞きしますが、

先人たちはそのようなことを敢えて言わずとも、

“自然”に寄り添い、“自然”を感じ取ることを通して共存していたのでしょうね。

弥生(弥生)の他にも3月は桜月(さくらづき)、花月(はなづき)と記されることもあり、

和風月名を見るだけでも春の華やかな空気を感じることができます。

 

一方、英語の「マーチ(March)」から国外ではどうだったのかを見てみますと、

こちらは当時の時代背景が色濃く表れています。

 

古代ローマ暦では新年は3月から始まっていました。

戦いが多い時代でもありましたから、年が明けると直ぐに軍事関係の物事が動き出していました。

このような時代背景から3月は、

古代ローマで農耕と戦争をを司る神様マルス(Mars)を称える月となり

マーチ(March)と呼ぶようになったのだそう。

もし、日本でも戦国時代に和風月名を付けていたら、

今ある穏やかな月名のような名に触れられていたのだろうかと思ったりも致します。

 

このマルスという神様は、ギリシャ神話ではアレス(アレースとも)と同一視されています。

ローマ神話とギリシャ神話ではこのように、「同一視」というケースがよく登場します。

何だか、ゴチャゴチャしているなと思われたこと、ありませんか?

この機会に、どうしてゴチャゴチャしてしまうのか。

今回は神話はそっと横におきまして、ここを簡単にスッキリさせてみませんか?

 

ギリシャにはギリシャ神話が、ローマにはローマ神話があったのですが、

ある時、ギリシャ神話が翻訳され、ローマに入ってきました。

ローマ人は自国で慣れ親しまれている神様たちを

ギリシャ神話の神様たちに当てはめて読むようになりました。

この時、もとから在ったギリシャ神話とローマ神話が混ざり合ったと言われています。

似たようなお話で主人公の名前が違っていたり、

お話は違うというのに同じ神様だという説明があったりしますが、

当時の人々が混ぜてしまっているので、ある意味ゴチャゴチャに感じて当たり前なのです。

最初からそういうものだと思って見ると何だかスッキリしませんか。

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今回もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

今日から3月ですね。

また気持ち新たに一歩ずつ前進しましょうか。

私たちの日々の中にもゴチャゴチャしていると感じるようなことが起こることがありますが、

のんびりペースの一歩も、駆け足の一歩も、動けない時も、

時々立ち止まって辺りを見回すことも、全て一歩だと思うのです。

マイペースで大丈夫、3月も深呼吸して笑顔でまいりましょうね。

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世の中にはタイミングというものが存在します。|お饅頭の起源もそっと覗きます。

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世の中にはタイミングと言うものが存在します。

良いタイミングもあれば、

よりによって、どうしてこのタイミングで?というようなことも時に起こります。

先日、後者のような出来事が私の身にふりかかりました。

 

差し入れにと、とても美味しそうなお饅頭が届いたのです。

私にとって糖分は、適量であれば魔法のアイテム。

しばらく甘いものを控えていたこともあって、

その日はうふふふふと気分が緩やかに上がっていくのを自分でも感じました。

濃い目のお茶を淹れ、食べるための準備だって万端でした。

差し入れてくださった方に「今からいただきます」と

お礼も兼ねて画像とメッセージを送りました。

 

お饅頭を半分に割ると、しっとりとした厚みのある皮の中から

丁寧に作られたことが分かるこし餡が登場しました。

お饅頭をひと口、口の中に入れたあの瞬間の幸せといったら。

すぐさま「あぁ、美味しい」と体の内側から声がこぼれました。

その時、私のスマートフォンがピコーンとメッセージを受信したことを知らせました。

 

お饅頭片手にメッセージを覗き込むと、

柊希さん、こういうお話好きでしょ。という言葉と共に、

そこにはお饅頭のエピソードが綴られていました。

このエピソードがティータイムにはどうなのか?という内容で、

冒頭の、「よりによって、どうしてこのタイミングで?」という状況に陥ったわけでございます。

偶然にも、今美味しいお饅頭片手に幸せのレシピ集へ遊びに来てく出さっている方。

申し訳ございませんが、お饅頭を美味しく召し上がった後に

再度お立ち寄りいただくことをおすすめ致します。

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そのエピソードというのは、お饅頭がどのようにして生まれたのかというお話でした。

漢字を見ると分かりますがお饅頭は「頭」と関係がある食べ物でした。

場所は中国、時は三国志の時代にまで遡ります。

当時、天才軍師と言われていた諸葛孔明(しょかつこうめい)という人物がいました。

彼が、南方の敵を征伐し自分の生活拠点へ戻るために河を渡ろうとしたのだそう。

ですが、運悪くその土地の河が氾濫し渡ることができなくなりました。

 

この土地の人々は、河が氾濫するのは河の神様が怒っているからだと信じており、

神様の怒りを鎮める為に、人の頭を切り落として捧げてきたのだそう。

これを聞いた諸葛孔明(しょかつこうめい)は、

河が氾濫する度に人の命が奪われるようなことはあってはならないと言って、

練った小麦粉の中にお肉で作ったあんを詰めた、今で言う“肉まん”のようなものを作らせました。

これを“饅頭”と呼び、人の頭の代わりとして河の神様に捧げたところ河の氾濫は治まったのだとか。

諸葛孔明(しょかつこうめい)は、今後、河の氾濫に対しては人の頭ではなく饅頭を捧げるよう

この土地の人々に命じて軽やかに去っていったそうです。

お饅頭は、このような事をきっかけに食べられるようになり、

中国全土に様々な形で広がり、やがて日本にも渡ってきたとのことでした。

 

わたくし、皆さんとこのお話をシェアしたく、

出来る限りオブラートに包んだ表現を選ばせていただきました。

しかし、私の元に届いたエピソードはホラー映画のようなタッチの表現だったのです。

もちろん、お饅頭は美味しくいただきまして、

その後、差し入れ主と連絡をとったわけですが、

このタイミングで、このエピソードを、このタッチで届けるのは如何なものかしら?

と愛情を込めて申し上げましたところ、

「あ、本当だ」とエピソードの提供者はケラケラと笑っておりました。

私もつられてケラケラでございます。

やはり、適量の糖分は人をまあるくさせてしまう、魔法のアイテムのようです。

今回のお話は、お饅頭を召し上がりながら、うっかり目の前の方に話してしまわぬようお気をつけくださいませ。

世の中にはタイミングというものが存在いたしますのでね。

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海苔を消化できるのは日本人の特権だってご存知かしら?

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炊き立てのご飯を眺めていたら、

子どもの頃に読んだ本に登場したあるシーンを思い出した。

お婆さんが炊き立てのご飯を塩おむすびにする。

そして、今日は特別だよと言っておむすびに海苔を貼りつけてくれるシーンだ。

どこにでもあるようなワンシーンなのだけれど、

ごはんの艶、ふっくら感、立ち上る湯気や、ほのかに甘い香りなどの描写が素晴らしく、

そのシーンを読む度に「おむすびを食べたい」と思っていた。

その本のタイトルも、作者も、そのストーリー自体もキレイさっぱり忘れてしまっているため

再びこの本を手に取ることは困難だろうと思っているのだけれど、

あのシーンをもう一度、活字で読みたいなと時々思う。

そのようなことを思い出しながら、おむすびを握る準備を始めた。

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海苔、皆さんはどのくらいの頻度で召し上がりますか?

お手軽な食材のひとつだけれども1日2枚ほど食べるだけで、

ビタミンB1、B2、Aは1日に必要な摂取量を満たしてくれる優れものです。

他にも良質なミネラルやビタミン、食物繊維に鉄分、カルシウムなどもたっぷり含まれているので

「海苔は1日2枚で医者いらず」という言葉まで存在するのだとか。

お手軽過ぎて軽んじてしまいそうになりますが目新しい食材に手を伸ばさなくとも、

私たちの身の回りには子どもの頃から慣れ親しんだレスキュー食材が既に控えてくれているのです。

そして、驚くことに、この海苔を消化できるのは日本人だけ。

これは、数年前にフランスの研究グループが英科学誌「ネイチャー」に発表した論文の内容で、

当時、少しだけ日本でも話題になりました。

今回は、そのようなお話をすこし、と思っております。

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日本では古より様々な海藻が食べられてきました。

その中でも海苔は最高級品として扱われ、

平安時代の貴族たちは海苔を佃煮にして食べておりましたし、

税金の代わりに朝廷へ納められた時代もありました。

これが江戸時代辺りから養殖の技術などが確立され紙漉きの技術が取り入れられ

紙のような状態の海苔が登場し、誰もが口にできる食品のひとつとなりました。

面白いのは、明治時代に来日した西洋人たちの反応で、

日本人は黒い紙を食べているぞ!と驚いたのだとか。

 

こうして古より生の海藻から焼き海苔まで幅広い海藻を食してきた日本人は、

生の海藻を食べることで生の海藻に付着していたバクテリアを体内に取り込み、

海苔に含まれる成分を分解し、消化できるような体質になったのだそう。

偶然とはいえ、先祖が海藻を食べ続けてきたからこそ、

先天的にこの消化する力を持っているというのです。

ですから、焼き海苔など一度熱を加えたものは外国人も消化できますが、

海藻サラダなどの生の海藻を消化できるのは日本人だけなのだそう。

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海藻類は体内をお掃除してくれますし、

カロリーこそ十分ではないもの見方を変えればヘルシー食材です。

ヘルシーかつ私たちの体に必要な栄養素をたっぷり含んでいるなんて魅力的ですよね。

あまりにも身近過ぎて空気のような存在になっている海苔や海藻類ですが、

この辺りで見直してみてはいかがでしょう。

私も、1日2枚でいいなんてズボラな私にもぴったりじゃない、と

改めて海苔に意識を向けている今日この頃です。

高血圧などを気にされていたり塩分が気になる方は、

素焼きされただけの海苔と味付け海苔を使い分けられるとからだにも優しいですよ。

私は血圧が低すぎるので意識して塩分を摂らなくてはいけない体質なのですが、

素焼きの海苔の方が好みなのです。

なかなか思うようにはいきませんが、

今日も美味しく楽しく健やかにまいりたいと思います。

皆さんもご一緒に、美味しく、楽しく、健やかに!いかがですか。

関連リンク:Nature Research

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シーザー・サラダと関係があるシーザーさんの正体とは!?

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数年前に友人と食事をしていたときのこと。

とてもゴージャスな器に盛られたサラダが出てきたのです。

新鮮なロメインレタスに、

ニンニク、オリーブオイル、レモン果汁をお塩とコショウで整えたドレッシングがかけられ、

割ればとろーりとした黄身が顔を出す半熟卵と

カリカリのクルトン、パルメザンチーズのトッピングがたまらないハーモニーを奏でる、シーザー・サラダです。

シーザー・サラダという名に負けずとも劣らないゴージャスな器だなと思っていると

友人がこう言ったのです。

「イタリアンを食べにきたのにメキシコのサラダが出てくるなんて、

日本に居れば簡単に世界中を旅できるね」と。

「ん?シーザー・サラダってヨーロッパ辺りのサラダじゃないの?」と返す私に

「え、そこ?その様子じゃジュリアス・シーザーの大好物だとか思ってる?」と友人。

フォークで半熟卵を割り、溢れ出た黄身に若干にやけながら頷くと、

あの俗説に根拠はないのだと言うのです。

わたくし、「なんですと!?根拠がないですって!?ローマ皇帝とサラダは無関係!?」

というような表情を友人に向けたのだと思います。

その日のサラダのおともはシーザーサラダの話題でした。

今回は、そのようなお話をすこし。

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わたくしは、このサラダはローマ皇帝・ジュリアス・シーザーと関係のあるサラダだと思って疑わずにいたのですが、

このサラダを作ったのは皇帝ではないシーザーさんでございました。

このサラダが誕生した時、アメリカは禁酒法時代だったようです。

お酒を飲むことができないアメリカ人たちは、

メキシコのある街までお酒を飲みに行っていたのだそう。

 

その街には、イタリア系移民のシーザーさんが腕を振るうレストランがありました。

レストランは彼の美味しいお料理とお酒を求めるお客さんで賑わっていたのだそう。

ある日、大切なお客様をお迎えする前に、

ほとんどの食材が底をつくという状態になったというのです。

シーザーさんは、このピンチをお店に残っていったあり合わせの食材で乗り切ります。

この時に作ったものが現在のシーザー・サラダの始まり。

あり合わせの食材で作ったサラダだったけれど人気メニューとなり、

以後、「シーザー・サラダ」と呼ばれてアメリカにも伝わったのだそう。

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この料理人のシーザーさんは後にオリジナルドレッシングの販売会社を作り、

世界中の人々にドレッシングを届けています。

カルディーニ・ブランドの名で日本でもドレッシングやクルトンなどを購入することができますので、

輸入調味料を扱うお店へ足を運ばれる方の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれないですね。

カルディーニ・ブランドのラベルにはシーザーさんの肖像画がありますので、

手に取る機会がありましたらお顔を確認してみてくださいませ。

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シーザー・サラダの背景をいくら覗いてみても、

あのジュリアス・シーザーはどこにも登場しないのです。

私の脳内では皇帝がお抱えの料理人に「これは美味いじゃないか、明日も作ってくれ」

などと言っているところを想像していたものですから妙な気分でございました。

人の想像力というものは、どこまでも膨らむもののようでございます。

シーザー・サラダやシーザードレッシングを召し上がる機会がありましたら、

もう一人のシーザーさんのことを思い出していただけましたら幸いでございます。

今日も良き風が、あなたに“ふわり”吹きますように。

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不器用な男の子からの赤いバラ。

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ボランティアでイギリスの小学校へ書道を教えに行っていたことがある。

好奇心旺盛な子どもたちに週に1度、1時間だけ

本物を本来の形で伝えて欲しいという趣旨で依頼を受けた。

だけれども、子どもという存在のやんちゃさは世界共通。

30人ほどのやんちゃ盛りに何かをさせるというのは正直、骨が折れる時間だった。

どんなに時間をかけて準備をしていても思うような時間を組み立てることが出来ず、

帰り道、涙ぐんで随分と弱気なことを思ったこともあったと、これを書きながら思い出した。

私の未熟さも大きかったのだけれども、これでは本物どころか、何も伝えられない。

そのようなことを関係者に漏らしたところ

親睦会を兼ねて子どもたちとBBQをすることになった。

子どもだけではなく、その家族も参加できる一大イベントとなり、

ちょっとしたお祭り気分を味わいながら子どもたちとも随分と打ち解けられた気がした。

 

その時、1人の男の子が母親に手をひかれて私のそばにやってきた。

「ほら、話したいことがあるんでしょ」

そう母親に背中を押されるもモジモジとしていてなかなか口を開かない彼は、

私の授業をいつも混乱させるクラスで一番やんちゃな男の子だった。

「じゃぁ、お母さんが話そうか」

そう母親が言うとそれを制止して彼が話はじめた。

 

「スパゲッティは、むかしは手で食べてたんだ。」

 

私は、突然始まった話に少し困惑しつつも、頷きながら、彼の話に耳を傾けた。

 

「あるスパゲッティ好きの王様がいて毎日スパゲッティを食べてたけど

手で食べる料理はお客さんに出せないでしょ。

だから、家来に今みたいなフォークを作らせたんだ。知ってた?」

 

彼の緊張感が私にも少し伝わり、

知らなかったと少しだけ大げさに驚くと、彼は得意げに続けた。

 

「フォークの歯は3本だと悪魔の尻尾みたいで気味悪いから4本なんだよ。

これも知らなかった?」と。

 

どちらも初耳話だったため素で驚いていると、

料理人をしている父親から教えてもらった話なのだと嬉しそうに話してくれた。

教室で見ていた彼とは違う彼を見ることができて良かったと思っていると

本当に話したいことはそれなの?と母親が私にも聞こえるように彼に耳打ちをした。

すると、

「いつも授業の邪魔をしてごめんなさい。

僕はアートが苦手だから書道もきっと上手くない。

でも、フォークの話を聞いてくれたから僕もやってみるね。」と。

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何て不器用で可愛いのだろうと思っていると、

彼は母親の背中に周り何かを受け取ると

ごめんなさいの印だと言って赤いバラを1輪、私に差し出したのだ。

この歳でこれは反則じゃないかしら、と思ってしまったことを悟られぬよう

私は、飛びっきりの笑顔でバラを受け取った。

あの時、自分が何を伝えたのかももう忘れてしまったけれど、

翌週の授業からは、彼が中心となってくれたおかげもあり、

学校からの帰り道に私が涙ぐむことは無かったように思う。

 

フラワーショップから連れ帰った赤いバラを見ていたら、

そのような出来事を思い出した。

子どもだって大人になったって不器用で素直になれない瞬間はあるけれど、

相手が大人でも子どもでも、男性でも女性でも、

素直に向き合う勇気には未来をほんの少し変える力があるのかもしれない。

最近、意地を張ってしまったなという方、素直じゃなかったなという自覚がある方、

少しだけ勇気を出せたなら胸の奥の緊張がゆるっと解れるかもしれません。

※フォークのお話の詳細はまた機会がありましたら……。

像出典:https://jp.pinterest.com/

歯科医院で出っ歯を架け橋にして出た話題って?

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歯科医院の待合室で少し緊張気味に順番待ちをしていたときのこと。

治療を終えて安堵の笑みを浮かべた小学生くらいの男の子が

私の近くに座っていた母親の横に滑り込むようにして座ったのです。

治療中の緊張が解れたのか男の子は急におしゃべりになり、

学校であった出来事を次から次へと母親に話していました。

微笑ましく思いつつスマートフォンの中を覗いていると

男の子がこのようなことを話し始めたのです。

「出刃包丁ってね、出っ歯の人が作ったから出刃包丁って言うんだよ」と。

聞き拾ってしまった会話に、私は心の中で「(そんな馬鹿な)」と返します。

同じようなタイミングで男の子の母親も笑いながら

「それ、ほんとなの~?」と返していました。

すると男の子は少々ムキになって「ほんとだよ、先生に教えてもらった」と言っているではないですか。

私は彼らには気付かれぬように、こっそりと調べ始めました。

ちなみに、出刃包丁というのは一般的な包丁よりも幅と厚みがある包丁で、

特にお魚を捌くときなどに重宝する包丁のことです。

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出刃包丁は、江戸時代の鍛治職人が考案したもの。

刀が不要になりつつある世の中で職人技をどう活かそうか模索中だったのかもしれません。

そのような中、この包丁を売り出してみると評判も良く多くの人々に広まったのですが、

包丁と一緒に、この包丁を考案した鍛治職人の歯が「出っ歯」であることも広がり、

「出っ歯(の鍛治職人)が作った包丁」と呼ばれるようになったのだとか。

これが更に変化し「出歯包丁」と呼ばれ、

包丁は刃物であることから「歯」を「刃」に変えたらどうかという話までも持ち上がったようで、

現在の「出刃包丁」という漢字と呼び名が生まれ現代にまで残っているそうです。

「(そんな馬鹿な)」と思うような名付けは意外にも、身近にあるものですね。

そして歯科医院で出っ歯を架け橋にして出刃包丁の話題とは、

「少年よ、なかなかいいチョイスじゃないか」と話題提供者の男の子へ視線を送ろうとするも時すでに遅し。

その親子は既に歯科医院を後にしていました。

 

そう言えば、「包丁」という名も人が絡んでいるのです。

中国の古い書物に『荘子』というものがあります。

思想家、哲学者と呼ばれている荘子さんが書いたもので、

この書物の中に「丁(てい)」という名の料理人が出てくるのです。

中国では料理人のことを「庖(ほう)」と呼んでいました。

 

当時の王様が丁さんに牛を捌くよう命じたところ、

丁さんは軽やかに牛を捌いたんですって。

その一部始終を見ていた王様は丁さんの技術を褒めたのだそう。

ですが丁さんは謙虚かつストイックな料理人で王様に、このように返します。

「私が目指すのは技ではなく道。

目で見るのではなく、心のままに自然の筋にそって刃を進めれば、

刃が骨や筋に当たってしまうことはありません」と。

これを聞いた王様は、丁さんの言葉から「それは人生の歩み方にも通じる」と感動し、

以降、調理の時に使用する刃物を「庖丁(ほうてい)」と呼ぶようになったのだとか。

この話の哲学的なストーリーが後世に伝わる過程で

庖丁(ほうてい)の呼び名も日本へと伝わります。

ただ、日本では更に変化が加わり「包丁(ほうちょう)」と呼ばれています。

片や哲学的なストーリーが由来、片や出っ歯が由来と

由来にメリハリが効きすぎておりますが、包丁にはこのようなストーリーが隠れております。

包丁をお使いになる際には、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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お好きな卵焼きはどのような卵焼きかしら?

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ある日、友人に妙なお願いごとを言い渡されたのです。

そのお願いごととは、「今度、私の父に甘い卵焼きを作ってあげて」というもの。

友人が家族でお寿司屋へ行ったとき、

そこで出された卵焼きが甘く、友人家族はひと口食べた後、手を付けられなかったのだとか。

しかし、横を見ると父親だけが美味しそうに食べており、

もしかして甘い方が好きなの?と問うと「うん」と可愛らしく頷いたのだというのです。

友人宅の卵焼きはお出汁が効いた塩気のある卵焼きだったそうなのですが、

お父様は、「奥さんがせっかく作ってくれた卵焼きだから」という理由で

結婚当初から何十年もの間、甘い卵焼きの方が好きだと言わないままいたのだそう。

友人に「愛だね」と返すと、

お母さんの卵焼きも美味しいから不満はないと言いながらも、

家族が残した甘い卵焼きまで美味しそうに食べる父親を見て、

家庭で食べる甘い卵焼きを食べさせたくなったのだというのです。

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私の実家は「甘い卵焼きも、塩気のある卵焼きも、出汁巻き卵も美味しいわよね」という家だったため、

卵焼きを作るときには、今日はどの卵焼きを食べたいか、家族で多数決をとっておりました。

時々、今日は甘い気分じゃないのに甘い方か、などと肩を落とす日もあったのですが

どの卵焼きにも抵抗を持たないまま大人になりました。

良く言えば柔軟性があるとも言えるのですが、

地域性や自分の故郷の味というものに少しだけ疎いことは否めません。

一般的に関東の卵焼きは、お砂糖を入れた甘みのあるもの、

関西の卵焼きは、お塩やお醤油、お出汁などを効かせた塩気のあるものと言われておりますが、

皆さんのお宅で召し上がるシンプルな卵焼きはどのような卵焼きでしょうか?

また、お好きなお味はどちらのタイプでしょうか?

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日本の食文化は思っている以上に地域によって異なることが多いものです。

見比べてみると歴史なども感じられて興味深いものではあるのですが、

ひとり暮らしや、就職、結婚、転勤などを通して

初めて慣れ親しんだ場所から離れてみて始めて気が付くものもあります。

時節柄、引越を控えている方もいらっしゃるかもしれませんね。

故郷の味を大切にしつつ、新しい味もどうぞ楽しんでみて下さいませ。

 

私はと言えば、友人と友人のお父様との約束は未だ果たせていないのですが、

一緒に我が家で飲む際にはご所望の甘い卵焼きを

おもてなしの一品としてお出ししたいと思っているところでございます。

今夜の一品に「卵焼き」いかがでしょうか。

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“SU☆SHI”と歌舞伎と助六と。

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素朴だけれども手間暇かけて作られる海苔巻きといなり寿司。

時々口にすると、ほっと和むのは日本人だからだろうか。

スペインを旅していた時、何だか妙な時間に小腹が空いてしまい

ホテル近くにあった深夜営業中のスーパーへ買い出しに出かけた。

日本食も定着しつつあるのだろう、お弁当や軽食が並ぶ冷蔵ケースには、

SU☆SHIとメタリックな虹色の文字で印字してあるラベルがひと際目立つ助六寿司があった。

日本国内では、どちらかと言えば控えめな彼ら(海苔巻き&いなり寿司)が

異国では夜の照明に照らされて光り輝くパッケージを纏わされているなんて

祖国に居る同士たちは想像すらしないだろう。

空腹も手伝って妙な思考を繰り広げていると「ごめんなさい、これいいかしら」と

スレンダーな美女が横からSU☆SHIへ手を伸ばした。

お夜食にはヘルシーな日本食をということなのだろうか。

これも立派な炭水化物なのだけれど、などと思いながら

残り1つになったSU☆SHIを手に私もレジへ向かった。

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そう言えば、どうしてこの組み合わせを助六と呼ぶのだろうかと疑問に思ったことがあった。

疑問に思ったことさえ忘れてしまっていたのだけれど、

その何気ない疑問は社会人になりたての頃にあっさりと解決した。

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海苔巻きといなり寿司を詰め合わせた寿司折をのことを「助六」と呼ぶようになったのは江戸時代中期だったそう。

当時流行っていた歌舞伎の演目に「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」というものがあったようなのだけれども、

この演目の通称から取られた名前なのだ。

当時の江戸では贅沢を禁止するようお達しがでていた。

お魚を使った握り寿司も贅沢品とされたことから、

お魚を使わない海苔巻きといなり寿司が親しまれていたという。

どちらとも食べたいという人が多かったのだろう。

海苔巻きといなり寿司の詰め合わせが売られるようになるのだけれど、

江戸の人たちは、いなり寿司に使われている油揚げの「揚げ」と海苔巻き「巻き」を取って

この詰め合わせを「揚巻」と呼ぶようになる。

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巷で「揚巻」と呼ばれた寿司折。

偶然にも同時期に流行っていた歌舞伎演目「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の主人公、助六の彼女である花魁の名前「揚巻」と同じだったらしい。

お寿司屋さんたちは海苔巻きといなり寿司を詰めた寿司折の「揚巻」も、

この歌舞伎人気にあやかりたいという気持ちから

「揚巻」と呼ばれていた寿司折に「助六」と名付けたのだという。

 

ホテルに戻り、想像以上にパサパサッとした助六、いや、SU☆SHIを食べながら、

この演目はとても豪快な話で

今もあの市川家の十八番なのだと教えていただいたことも思い出した。※3月に市川海老蔵さんが演じられます。

帰国したら詳しく覗いてみようと思っていたはずなのに、

いつの日か、と思いつつ、あれから随分と年月が経ってしまった。

そして今日は、しっとりとした助六を味わいつつ、再び、「いつの日か」と思うお昼時。

皆さんも助六寿司を召し上がる機会がありましたら、

お寿司のおともに今回のお話をチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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“右脳”使っていますか?

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窓を開け放った時に外から流れ込む風の匂いに春の匂いが混ざりはじめた。

春の匂いなんて曖昧な表現だけれども

昨日までとは違う柔らかさを含んだ空気を

私の本能は春の匂いだと察知するのだろう。

その日は、寒さも和らいでいたため温かい飲み物と厚手のひざ掛け、

そして1冊の本を手にベランダへ出た。

それらをガーデンテーブルの上に置き、まずは思いっきり深呼吸をする。

吸い込んだ新鮮な空気が体中を巡りながら

体内にあった靄のようなものを一掃してくれるかのように感じて、

いつものように、深呼吸に夢中になった。

寒さも和らいだとはいえ、時折吹く風には冬の冷たさも残っており、

私はすぐに湯気を立ち上らせている飲み物へと手を伸ばした。

最近のお気に入りは香ばしいゴボウ茶だ。

ゴボウ茶が体の中央を温めながら奥へと流れ落ちていくのを感じつつ開いた本は、人間の脳に関する本。

脳を使いながら脳の本を読むなんて、いささか妙な気もするのだけれど、

と今回も思いながらエイッと開いた場所には右脳に関することが記されていた。 

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私たちは、大人、子どもに関わらず、

退屈だと感じる話を聴いているときは、相手の声を左脳で聴き、

わくわくしているときは、相手の声を右脳で聴いているのだそう。

例えば子どもに読み聴かせをしているときの子どものリアクションや、

朗読などを聴くときのことを想像してみるとよくわかる。

物語の登場人物を演じ分けながら読まれると自然と聴き入ってしまうけれど、

淡々と棒読みするだけのそれでは飽きてしまい他のことに気を取られてしまう。

右脳が刺激されると様々な感動や感情が生まれ五感がしっかりと働くため

情操豊かな時間を過ごすことができるのだそう。

更に私たちの脳は休むということとは無縁で年齢制限なく発達を続けるのだという。

年齢を理由に制限を設けたり、諦めたりしてしまっているのは私たちの方で、

脳の方は、まだまだやれる!そう思って動いているのだ。

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冬と春の狭間を行きつ戻りつしながら春へ向かうこの時季は、

心身ともに揺らぎがち。

このような時季こそ、五感を右脳を使ってみたらどうだろう。

本を読むもよし、久しぶりに雑誌を捲ってみるもよし、

懐かしい音楽に触れてみるのも、映画を観るのもいい。

ドラマを楽しみに加えてみたり、

日常の中に体が気持ちいいと感じるストレッチをひとつ加えてみる。

美味しそうな香りに誘われるがまま夕食のメニューを決めてみたり、

まだ試したことのないファッションアイテムやカラーにトライしてみるのもいい。

冬の寒さでちょっぴり縮こまっている右脳を、五感を、春の息吹と一緒に目覚めさせてみませんか。

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