幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

お口の中の癖をセルフチェックしてみませんか。

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友人が突然、「普段、口の中で上の歯と下の歯、くっついてる?離れてる?」と尋ねてきた。

私の答えは、「くっつくこともあるけれど、くっついていないことの方が多い」であった。

友人は万年肩こりと万年頭痛持ちである。

そういう体質だと思うことにしており、半分は諦めているのだと笑っていたのだけれど、

このままではいけないと一念発起し、様々な解決策に乗り出していた。

それでも思うように改善しないため、健康診断時に医療従事者に相談してみたところ、

一度、歯科医院で相談してみてはどうかと言われたというのだ。

友人は歯列矯正を済ませており、とてもきれいな歯並びをしていた。

噛み合わせなどが合っていないと肩こりや頭痛を引き起こすと言われているけれど、その線はないような気がした。

しかし、友人の万年肩こりと万年頭痛の原因は「歯」「口の中の癖」だったというのだ。

 

今回は、そのようなお話を少し、と思っております。

肩こりや頭痛がいつものことになっている方、ご自分の、お口の中の癖についてご興味ある方は、

軽く口を閉じ、口の中の上と下の歯がくっついているか、離れているかを確認しつつ、お付き合い下さいませ。

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既にご確認済みかと思うのですが、口を閉じている時、私たちの上下の歯は、触れ合うことはありません。

触れるときというのは、お喋りをするときや食事中がほとんどで、時間にして、1日20分程度なのだそう。

24時間のうちの20分と聞くと、意外と少ないと感じる方が多いかと思うのですが、これが正常な状態とのこと。

しかし、私たちはパソコンやテレビ、スマートフォンをのぞいているとき、

仕事やスポーツ、お掃除といった何らかの作業をして目の前のことに集中していると、

無意識に上下の歯をくっつけていることが多いようなのです。

他にも、ストレスを感じているときなども、

上下の歯をくっつけることで無意識にストレスを発散させようとしていることもあるのだとか。

歯を食いしばる状態は顎の筋肉を使うため、長時間キープすることは難しいけれど、

軽く上下の歯をくっつける状態は、顎の筋肉をそれほど使うわけではないため、

長時間キープすることができてしまう点が厄介なのだそう。

これが、いつの間にか癖になり、小さな負担を与え続けた結果、

肩こりや頭痛、知覚過敏や歯周病の進行、腰痛や耳鳴りなど、様々な不調の元になるというのです。

上下の歯を離すということは、お顔の緊張状態を緩めることになります。

これは、体の不調を防ぐだけでなく、お顔の筋肉を自然な状態に戻すことにも繋がり、

表情やお肉の付き方、リンパの流れなど、様々なことも一緒に本来の姿に戻すことができるのだそう。

お顔の血行がよくなったり、表情筋肉がしなやかに動くようになり、表情もパッと華やぎます。

お仕事やプライベートでパソコンやスマートフォンを覗き込む機会がある方は、

そのような時に、無意識に上下の歯をくっつけていることが多いそうですので、

上の歯と下の歯がくっついていることに気が付いた時には、

意識して歯と歯を離し、顔の緊張を緩めてみてはいかがでしょうか。

ビューティーケアとヘルスケアは、一石二鳥以上を狙って、同時に賢くポイントを押さえてまいりましょ。

何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

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“おあいそ”と“お会計”。

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飲食店で時々、「おあいそ」と耳にすることがある。

先日も、偶然にその言葉を耳が拾い、ヒヨッコ社会人だった頃の遠い記憶が薄っすらと蘇った。

そのお店に馴染んでいるような、経験豊富そうな、

ツウであるように聞こえる「おあいそ」という言葉を発した同僚に対し、

当時の上司がやんわりと「このお店を気に入ったか」「また来たいと思うか」と尋ねた。

同僚は間髪を入れず、「また来たい」と答えた。

すると上司は、それだったら「おあいそ」ではなく、「お会計」と言った方がいいと思うなと微笑んだ。

その場の会話は、「そうなんだ」程度に留められたのだけれども、

後日、同じシチュエーションの際、同僚は「お会計」という言葉を店員に伝えていた。

それを見た上司は、「そっちの方がいいでしょ」と意味ありげに言い、同僚も「はい」とはにかんだのだ。

なに、なに、今の意味ありげなやり取りは。

そう感じた私は、こっそりと同僚にやり取りの真意を尋ねてみたのだけれど、

同僚からは「おあいそ」の意味を調べてみてとだけ返ってきた。

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「おあいそ」という言葉。

これを、漢字で記すと「お愛想」となるのだけれど、これは「愛想尽かし」という言葉を略したもの。

諸説あるのだけれど、遊郭や歌舞伎の演目の中で使われていたと言われている。

古の時代の遊郭では、お客が、気に入った遊女に対する気持ちを無くし、

今後は、このお店には来ないという気持ちを、「愛想尽かし」という言葉で表現していたという。

ここから、「おあいそ」本来の意味には、

「もう、このお店には来ない」と言う意味が含まれているため、

お会計のことを「おあいそ」と言うのは、このお店にはもう来ませんと宣言していることと同じだと言われている。

 

そして、歌舞伎の演目の中に登場するシチュエーションは、

想いを寄せている相手に対して何らかの事情があり、

「あなたの事は嫌いだ」と告げなければならない、というもので、

そのような言葉を告げることや、そのような気持ちを態度で表すことを「愛想尽かし」と表現していた。

ここから、お店の方がお客様に対して使ったり、お客がお店に対して使うようになったのだとか。

日本には「ツケ」という、食事やお酒の代金をその場では支払わず、後日まとめて支払うというシステムがあった。

このシステムは、お互いの信頼関係があってこそのもの。

そして、お客がこのシステムを使ってツケておいてもらうということは、

これからも、自分とお店との関係が続くことをお店側に伝えることでもあったという。

逆に、ツケを使わずに完済してしまうのは、「もう、このお店には来ない」という意味となり、

そのようなシチュエーションの際に使う言葉が「ツケにしないのは、愛想尽かしだけど」というもの。

そして、時代を経る中で、ツケのシステムが一般的ではなくなり、

その都度、清算してもらうことが新常識となった。

時代の常識が変化する中、お店側がお客様に対して使う言葉として、

お金を払って帰れなんて本当は言いたくないのだけれど、

そのような、愛想ないことを言って申し訳ないのだけれど、と金額を伝える前置きとして使っていた言葉が「おあいそ」だ。

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こうして、「愛想尽かし」という言葉を時代の変化と共に見ていると、

お店側もお客側も使ってはいるのだけれど、

お客側が「おあいそ」と使うのは違う、ということが分かるのではないだろうか。

一見、ツウで粋であるようにも聞こえる「あおいそ」という言葉だけれど、

知らずに「もう、このお店には来ない」と言ってしまっているのは、残念である。

ツウであるようにも、粋であるようにも聞こえない「お会計をお願いします」「お勘定をお願いします」だけれども、一番シンプルで誤解のない言葉なのだ。

当時、「おあいそ」という言葉の本来の意味を学んだと思っていたのだけれど、

下手に格好つけるくらいなら、素直に、ありのままで十分。そのようなことも学んだのかもしれないと思うこの頃だ。

 

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“夏の果て”と“秋近し”から見る私たちの心模様。

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視界の端で揺れていたそれはコスモスだった。

一瞬、もうコスモス?と思ったけれど、季節は夏の果(て)であり、秋近しだと思い納得した。

「夏の果(て)」と「秋近し」という言葉は、ちょうど今頃を表す季語である。

両方とも、同じ景色を表す言葉なのだけれど、使い手が、どのような思いで今の季節を感じ、見ているのかによって、

選ぶ言葉が異なる面白い言葉でもある。

そして、現代の若者たちという表現が良いものかどうか分からないのだけれど、

和歌や俳句を嗜む現代の若者たちは、「秋近し」よりも「夏の果(て)」を選ぶ傾向にあるという記事を、いつだったか、どこかで目にした記憶がある。

 

私たちの季節に対する体感から見る夏というのは、

梅雨が明ける少し手前の6月から、8月下旬頃までではないだろうか。

夏を満喫し、お盆が過ぎ、海にクラゲが出るようになり海水浴も一区切り。

いつの間にか夏のBGMである蝉の声が聞こえなくなり、空が高くなり始め、子どもたちの学校も再開し、

たくさんの夏の想い出を胸に、季節も人も、いよいよ秋の頃へと向かっていく。

時代も変わり、自然環境も変わり、夏の暑さは、ひと昔前と比べ物にならないほど厳しいものになっている。

それでも、私たちは、文明の利器の数々を使いこなし、夏を思いっきり楽しむことができている。

だから、夏という季節の感じ方が先人たちと現代人とでは異なり、

それが和歌や俳句を嗜む現代人、現代の若者たちの和歌や俳句から垣間見ることができるというのだ。

 

先人たちにとっての夏は、5月から8月初旬の立秋前辺りまでである。

とは言え、暑い季節であることに変わりはなく、彼らにとっての夏は楽しむものではなく、

無事に過行くことを待つような季節だったという。

一方の秋は、過ごしやすくなるだけでなく、春同様に、先人たちが大切にしてきた豊穣の季節。

このような状況から、秋を待っていたというポジティブな気持ちを込めて、「秋近し」と言う言葉を使っていたという。

「夏の果(て)」も「秋近し」と同じ頃を表しているのだけれど、こちらは、

過ごし難い季節が無事に過ぎたという安堵感を含ませた言葉として使われている。

「秋近し」をポジティブなと言葉と言うならば、「夏の果(て)」は少々ネガティブなニュアンスが含まれている。

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ここで先ほどの、夏という季節の感じ方が先人たちと現代人とでは異なり、

それが和歌や俳句を嗜む現代人、現代の若者たちの和歌や俳句から垣間見ることができるという話に戻るのだけれども、

現代人にとっても「秋」には秋の楽しみがあり、待ち遠しい気持ちもゼロではない。

しかし、夏を満喫する術を手にしているからだろうか。

秋を迎える喜びを感じる前に、まずは、過ぎ行く夏を振り返って懐かしみたいという気持ちが先に立つようで、

この時季には、「秋近し」よりも「夏の果(て)」という季語が選ばれることの方が、多い傾向に変化しているという。

このようなことを知ると、古い、新しい、という概念も、とても曖昧なものに感じるのだから不思議である。

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スイカの種と迷信の真意はいかに!?

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背後から「すみません」と声をかけられた。

ぎこちなさが感じられる日本語に振り替えると、アジア圏であろう方が「スイカの種は、どこで買えますか」と言った。

私が立っていた場所は、ドライフルーツやナッツ類の品揃えが豊富な陳列棚の前。

棚を、端から確認しようとすると、彼女は「ここにはありません」と言った。

近くにいた店員に尋ねると、取り扱っていないということだったのだけれど、

それを聞いた彼女は、スイカの種はとても健康に良くて、

日本で作られた(たぶん、加工されたという意味)スイカの種だったら安全だと思ったと言い、その場を去った。

その後、店員と、子どもの頃にスイカの種を食べると虫垂炎になると言われることがあるという、

ホントかウソか分からない、迷信のような話題を交わし、私も陳列棚の前を離れた。

その後、何となくスイカの種について知ってみたくなり、

いや、スイカの種についてと言うよりは、ホントかウソか分からないソレの真意を確かめてみたくなり、調べてみることにした。

結論から言ってしまうと、スイカの種は食べても大丈夫なもので、

食べたからといって虫垂炎になることはないし、お腹の中で発芽するということも無いという。

何らかの手違いでスイカの種を大量に食べてしまったとしても、

スイカの種を覆っている皮は非常に強く、胃酸に溶かされることもないため、

消化されることなく体外へ排出されることがほとんどなのだそう。

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そして、このスイカの種。

近年では健康に良い食材として注目されているのだという。

スイカの種に含まれている食物繊維は、腸内細菌のバランスや調子を整え胃腸を健やかにする手助けになるし、

体を錆びさせない抗酸化作用をもったアミノ酸が含まれているそうなのだけれども、

これが血の巡りをよくしてくれるため、

成人病の予防や代謝を良くしてくれるといったことが期待できるのだそう。

他にも、私たちの体に必要不可欠なビタミンやミネラルが幅広く含まれているため、

スイカの種を煎じたスイカの種茶は、全ての栄養がしっかりと溶け出すため、健康茶の一種だという。

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おつまみやお菓子作りなどで目にするひまわりの種と似たような扱いなのか、

中国や台湾では、スイカの種を炒ったものに、塩や醤油などで味付けをしたものを、

“おやつ”や“おつまみ”として食べることがあるのだそう。

日本では、種が少ないスイカの方が食べやすいと人気だったりもするけれど、小さな種の中は、栄養の宝庫のようだ。

さすがに、自分で種を取り除いて加工するのは大変なので、“スイカの種”を口にする機会を待とうと思っている。

もし、スイカの種を口にする機会がありましたら、

今回のお話を思い出しつつトライしてみてはいかがでしょうか。

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一尺の薪をくべるより一寸の蓋をしろ。

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あんこ餅を器に盛りつけた。

十分すぎるほどの小豆あんが、たっぷりとまぶしてある“あんこ餅”だ。

盛り付けながら、今は亡き祖母が作ってくれていたそれを思い出した。

少し作ったところで美味しくないと言い、毎回、こんなにも大量のあんこ餅を誰が食べるのだろうかという量をドンッとテーブルに出し、取り分けてくれていた。

ひと皿でお腹いっぱいになっていたのだけれど、

お代わりをすすめてくる祖母に対して、「こんなに沢山は要らない」とピシャリと言えたのは実の娘たちだけである。

孫である私は、せっかく作ってくれたことを思うとおかわりを断ることができず、

結果、しばらく“あんこ餅”は見たくないと思うくらいの量を食べていたように思う。

どのようなことに対しても豪快だったという印象が残る祖母から、

料理の小技や、料理にまつわることわざのようなものを、

知らぬ間に受け継いでいたことに気が付いたのは、随分と大人になってからのことだった。

ある時、祖母との会話の中身が、既に自分の一部になっていることに気付いてハッとし、

姿形は無くなってしまっても、こうして心の中で生きていくのかと、

何かがストンと腑に落ちた瞬間も幾度かあった。

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記憶に残っている会話の中には、「一尺の薪をくべるより一寸の蓋をしろ」という言葉もあった。

当時の私からすれば、薪をくべるという動作が、日本昔話の世界観であり、今一つピンとこないと言うと、

祖母は笑いながら、煮たり、炊いたりするときには落し蓋を使いなさいということだと言った。

煮ものなどは火加減や味加減も大切だけれども、鍋に蓋をしておけば、熱が奪われにくく、

水分が過剰に蒸発することを防ぐことができる上に、

落とし蓋にぶつかった煮汁がお鍋の中で、しっかりと隅々まで巡ってくれるため、

短時間で味が食材に均一に染み渡り、煮崩れが無い見栄えの良い煮ものが出来上がる。

というのが煮物のセオリーだけれども、祖母は、そのような事を、もっと簡単な説明と、

幼い子には少々聞きなれない料理のことわざと共に私の記憶に刻んでいたのだ。

もちろん、祖母には孫の記憶に刻んでおこうという意識はなかっただろうけれど。

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普段は使う機会も目にする機会もない「一尺の薪をくべるより一寸の蓋をしろ」という言葉だけれど、時々、祖母の豪快さと交わした会話と共に思い出す。

そして、今の私は、キッチンペーパーで作った落とし蓋を2枚用意し、

その間には追い出汁用の鰹節を挟み、追い出汁と灰汁取りを兼ねた落し蓋を使うのだ。

今に置き換えるなら、「強火にするより一寸の蓋をしろ」だろうかなどと思いながら。

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お通しと突き出し、どちらを使う?

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随分と前のことなのだけれども、その日、仕事をご一緒した方々と居酒屋で軽く食事をすることになった。

席に着き、注文したお料理が届く前に、飲み物と一緒に運ばれてきたお通しは、

とても手の込んだもので、その後のお料理への期待値が高まるようなものだった。

各々が、自分の目の前に置かれた小皿の中を覗き込み、似たようなことを感じたのだろう。

数人が、お通しの中身について、ポツポツと言葉を発した。

その時に、「このお通し」と「この突き出し」という二つの言葉が宙で混ざり合った。

今や、この言葉の両方ともに、注文したお料理が運ばれてくる前に出されるお料理であることは、広く知られているけれど、

どちらの言葉に慣れ親しんでいるかで、出身地が分かると言うのだ。

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まずは、この注文したお料理が運ばれてくる前にお料理を出す習慣は、

江戸時代にはまだ存在していなかったそうなので、割と新しい習慣だと言われている。

そして、これを「お通し」と呼ぶのは関東なのだそう。

語源は、「注文の通し」で、お客様の注文を間違うことなく厨房や受付に通しました、伝えました、という意味や、

お客様を席へお通しした(ご案内した)という意味があると言われており、

その印として、お客様には、お酒の肴になるようなものや、お水が出されるようになったと言う。

一方の関西では、このお料理のことを「突き出し」と呼ぶことが多いという。

こちらの語源は、お客様の注文とは関係なく、お料理を突き出すことから、「突き出し」と呼ばれるようになったのだとか。

 

その食事会に参加していた面々で、各々が言い慣れている方、聞きなれている方、使い慣れている方と、

出身地を照らし合わせてみたのだけれど、ざっくりとではあったけれど、

東日本と西日本に分けることができ、興味深かったことを覚えている。

「お通し」や「突き出し」は、席料をいただく替わりに出されることもあるし、

純粋にお客様をおもてなししたいという、お店側のご厚意で出されるものもあれば、

オトナの事情が絡んで出されるもの、

食材を無駄にしないために出されているものと事情は様々だけれども、

海外にはない新しい日本の文化、習慣のひとつであるように思う。

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皆さんの地域では、「お通し」と「突き出し」どちらを使う機会が多いでしょうか。

それとも、この地域による違いは無くなりつつあるのでしょうか。

お店での呼び方によって、店主の出身地が分かることもあるのかもしれません。

「お通し」、「突き出し」を召し上がる機会がありましたら、今回のお話をチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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秋空のもと、あれやこれやと。

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まだまだ残暑厳しく、差し込む日差しにも力強さが残ってはいるのだけれど、

先日、ふと見上げた銀杏の木には、早くも銀杏の実が点在していた。

ハッとして、ここ最近を振り返ると、日の入りが早くなったように感じるし、

先週辺りから、エアコンの設定温度を数度上げていた。

キッチンで火を使うことも、煮込料理を作ることも、苦ではなくなっていたし、

朝夕の、もわっとするような暑さはいつの間にか和らぎ、

昼間の蝉の合唱が減った替わりに、夜はコオロギの鳴き声が響き始め、

夏の間、待ち侘びていた秋は、着々と近づいてきていた。

そのようなことを思いながら、もう一度空へと視線を向けると、

空は高く、吹く風には秋の匂いが混じっていることにも気が付いた。

秋を視界に捉えると、過ぎ行く夏の後ろ姿を少しばかり淋しくも感じたりして、

夏休みの宿題をやっつける子どものように、

今年もまた、駆け込みで、夏らしいことに手を伸ばし直す自分に呆れている。

しかし、季節の狭間で気持ちの揺らぎを感じつつ楽しむのも一興、と思う。

さて、次の休みには何を。と思っているとスッと横から手が伸びてきて、1枚の紙を差し出された。

足を止めないまま、思わず受け取ってしまったそれ。

時々、いらっしゃるのだ。

こちらの思考が働く前の、体の反射神経だけを刺激するような「手渡しの技」を持った、

チラシやティッシュ配りの達人が。

その一瞬を見分ける技に、思わず「天晴!」と心の中で発してしまう。

その日も、天晴!と発しつつチラシに視線を落とすと、家に棲みついてしまった害虫や野生動物などを駆除してくれる万屋の宣伝だった。

先日も、そのような業者にフォーカスしたテレビ番組をちらりと目にしたのだけれど、

自然界に食べ物が無くなるこの時季、田畑や街中にまで食料調達にくる野生動物たちがいる。

その野生動物たちによる被害総額は年間、数十億近くだという。

農作物によって生計を立てている方、そしてその農作物の恩恵を受けている私たちにとって、

それは死活問題でもあるため、駆除という方法を取ることが多いようだけれど、

野生動物たちもまた、同じように家や食べ物を奪われヒトと同等の、もしかしたらそれ以上の被害を受けている。

彼らは、ヒトのように被害総額を算出したり、訴えてくるようなことはしないけれど、

ただ必死に、生きられる場所を求め、そこで生きているだけなのだと思う。

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ボタンの掛け違いを正す作業は、私たちが思う以上に時間と根気がいる作業だ。

秋空のもと、万屋業が増えていること、彼らが扱う業務の中身からも、世の中の状態は見えるものだと感じた日。

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卵の殻でナチュラルクリーニング。

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愛用しているスイングボトルがある。

毎日使うものではないのだけれど、その青空と夜空を写し取ったような色に魅せられて、数年前に購入したものだ。

割ってしまわぬように大切に使っているお気に入りなのだけれども、

この手の、口が狭くて中が広がっている形状のものは洗いにくいところが玉に瑕である。

花瓶であれば、洗剤とお湯を投入して振り洗いで済ますこともできるけれど、

口にするものを注ぐスイングボトルや水筒、

液体調味料を移し替えている調味料ボトルといったものに洗剤を使うのは躊躇してしまうのだ。

重曹やクエン酸を使ってみたり、専用スポンジを使ってみたり、

ステンレス製の小さな玉を投入して洗うデキャンタクリーナーを使ってみたりもしたけれど、

どの洗浄方法も、スッキリさっぱりとまでの洗いあがりにはならず、

何か良い手はないものかと数年前まで洗浄ジプシーをしていた。

そのような時、お料理の先生をしている方とお話をする機会があった。

彼女は、古くさいかもしれないけれど、と柔らかく微笑み、卵の殻で洗ってみたら?とアドバイスしてくださった。

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卵の殻は万能である。

細かく砕いた粉はシンク汚れや水垢、お鍋やコンロの焦げを落とす研磨剤になるし、

植物の根元や近くに撒いておけば、土壌改良剤になるのと同時に害虫駆除をしてくれると言う。

他にも、殻の内側にある薄皮は火傷薬になるという話の記憶もある。

しかし、何一つ試すことなく過ごしてきていたのである。

私の、そのような心の声が顔に出ていたのかもしれない。

彼女は、「知っているかもしれないけれど、騙されたと思って一度」と言った。

確か、その日のうちに卵を買って帰り、彼女に教えていただいた通り、

軽く洗った卵の殻の水分を拭き、ビニール袋に入れて殻を粉々にし、

その粉と水をスイングボトルに投入して、シャカシャカと振った。

振りが足りなかったのでは?ということを避けるため、1分ほどボトルを振ったように思う。

その後、何度か水ですすいだのだけれど、

ずっと気になっていた汚れと、

洗ったは良いけれど、目には見えない余計なものでボトルの内側が覆われているのではないか、という気がかりが、同時にクリアになっていた。

その後、殻の砕き具合を変えることで洗いあがりが多少変わるような印象を受けたため、

私は、出来る限り細かく砕いで、しっかりとシャカシャカ振り、熱湯消毒で完成させている。

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卵の殻によるお手入れも、ここ数年で注目度が上がり、暮らしに取り入れる方が増えている、

環境への負担が少ないナチュラルな素材を使ったお掃除、ナチュラルクリーニングのひとつです。

私の例は、毎日洗う必要がないスイングボトルだったからこそ、使うことができている洗浄方法ですので、

直ぐに活用できるものではないかもしれませんが、

お手持ちの専用洗剤で落としきれなかったとき、落ちにくいと感じたとき、

うっかり専用洗剤やアイテムを切らしてしまっているときなど、

何かしらの暮らしのヒントにしていただけましたら幸いです。

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雪ほたるを愛でながら。

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とある店先でアイビーの鉢植えに目が留まった。

鉢カバーの大きさは、大人二人がかりで持ち上げられるかどうかというほど大きいもので、

壁を覆うように蔓を伸ばしたそれとはまた異なる存在感を解き放っていた。

アイビーと呼ばれる植物はとにかく種類が豊富で、

ひと目見たくらいでは、それがアイビーだと気付かないくらいの姿にまで改良されたものもある。

寒い冬を越えられるだけの強さを持ち、鉢植えでも水耕栽培でも育つため、ズボラさんでも育てやすく、

見た目も可愛らしいものから、シックなものまであるため、観葉植物としての人気も高い。

しかし、例外というものも必ず存在する。

私も、何度か観葉植物として迎え入れたことがあるのだけれど、私とは相性がいまひとつ噛み合わず、すぐに枯れてしまうため、

私にとってのアイビーは、外で眺めて楽しむ植物という位置づけになっている。

単純に、私の育て方に問題があるのだろうけれど、

観葉植物と人との間にも、相性のようなものがあるのではないかと、密かに思っていたりする。

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その日は、カフェの店先をおしゃれに演出していたアイビーに惹かれ、店内に入ることにした。

中途半端な時間だったこともあり、店内はほぼ貸し切り状態。

夏の気怠さを、ゆっくりと癒すには十分すぎるくらいの空間だった。

テーブルの上には、外に置いてあったアイビーをカットしたものが、小さな一輪挿しに生けられていた。

緑の葉の縁を白で囲った葉先は、丸みを帯びており、優しい雰囲気のアイビーだ。

以前、丸い葉先のものは“雪ほたる”という品種だと教えていただいたことを思い出し、

使わなくなったマグカップの中に、雪ほたるをポットごと入れても素敵だろうと思いながら、アイスティーを口に運んだ。

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アイビーはウェディングアイテムの素材としても人気があるグリーンだ。

使われる理由は多々あるのだけれど、花言葉に「永遠の愛」「結婚」「友情」「誠実」「夫婦愛」などを持っていることも理由のひとつであるように思う。

しかし、花言葉にも色々とあり、アイビーには「死んでも離れない」という花言葉もある。

これを、怖い花言葉として取り上げられてしまうことがあるため、

こちらを先に知ってしまった方の中には、呪いのようなイメージが湧くのか、

使うシーンによっては、アイビーを避ける方もいる。

私の中では、「死してもなお、離れたくないほどの永遠の愛」ということだろうと解釈しているのだけれど。

アイビーを目にする機会がありましたら、今回のお話をチラリと思い出していただき、

花言葉と一緒にアイビーをお楽しみいただけましたら幸いです。

もちろん、怖いものとしてではなく、温かく愛があるものとしてお楽しみくださいませ。

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ミニマリズムの在り方も様々である。

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ここ数日、断捨離に関して書かれたものに触れる機会が多かった。

そこで目にしたのは、良寛(りょうかん)の名。

良寛(りょうかん)とは、お坊さんであり、書家であり、歌人でもあった人物なのだけれど、

教えを説いたわけではなく、何か特別なことをしたわけでもなく、

山奥の、今にも倒れてしまいそうな小さな草庵でシンプルな暮らしを送っていた。

しかし、彼のことを研究している人は意外と多く、良寛のことを綴った書籍が多数出版されている。

彼は、托鉢によって生計を立てていたのだけれど、

それ以外の時間は子どもたちと遊んで過ごしていたという。

ある日、子どもたちとかくれんぼをして遊んでいた良寛(りょうかん)は、

上手く隠れ過ぎたのか、子どもたちが、かくれんぼに飽きてしまったのか、

見つけてもらえぬまま日が沈んでしまったらしい。

そのような状況になる前に、何とかできそうなものなのだけれど、

彼は、ひと晩中その場所に隠れており、翌朝、村人に発見されるも、

子どもたちに見つかってしまうから静かにしてほしいと村人に言い、隠れ続けていたという。

他にも、家に侵入した泥棒が、寝ている良寛(りょうかん)の布団を引き剥がそうとした際には、

寝たふりをして布団を差し出したという話もある。

これらのエピソードは、子供向けの絵本などで今も触れることができるため、

記憶には残っていなくても、誰もが一度は触れたことがあるエピソードかもしれない。

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私も随分と長い間、彼の名を忘れていたのだけれど、

先日、断捨離に関して書かれたものに触れた際、久しぶりに彼の名に目が留まったのだ。

そこには、彼が残した和歌や手紙などから彼の人生や生き方を紐解いていくと、

ミニマリズムを実践していたことが見えてくるという内容が記されていた。

時代が変われば、そのような見方もできるのかと思った。

そして、ふと、いくつかの事柄が頭に浮かんだ。

彼の書に触れたことがあるのだけれど、上手い下手では語ることができないような、全ての無駄を取り除いたような文字であったこと。

冒頭でも触れたけれど、彼が最後に辿り着いた住まいは、

山奥の、今にも倒れてしまいそうな小さな草庵で、全ての無駄を取り除いたシンプルな空間だったこと。

空間だけでなく、持ち物も少なったという。

当時の必須アイテムのひとつだったはずの足を洗うために使うタライには、すり鉢を代用し、

食器は、拾いものの欠けたお椀を使っていたという話も残されていたはず。

このような暮らしぶりを現代の視点で見ると、

「良寛(りょうかん)は、究極のミニマリズムではないだろうか」という話も、十分頷けるような気がした。

もちろん、この「究極の」という前置きがあってこそなのだけれども。

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適量や心地良さは人それぞれであり、

その時々の状況によって感じ方や必要なものごと、ミニマリズムの在り方も様々である。

良寛(りょうかん)の名を見聞きする機会がありましたら、

彼のエピソードをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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