よく通る定食屋さんの裏手には、愛情を込めて手作りされたのであろうことが分かる、
大きな犬小屋が置いてある。
絵本に登場しそうな昔ながらの犬小屋、と言えばイメージが伝わるだろうか。
その犬小屋の出入り口の上部には『ピケ』と名前がペンキで書かれているのだけれど、
今は辛うじて読める程度にまで色褪せている。
小屋の横には、頑丈そうに見える太木の杭が地面に打ち込まれ、
長めの鎖が、その杭に固定してあるのだ。
愛情の度合いや感じ方、双方の絆の深さや関係性などは多々あるけれど、
長めの鎖という所も、こちらの飼い主の愛情のひとつなのかもしれない。
ここで飼われている犬は、ある程度の範囲内を自由に移動することができ、
犬小屋付近だけではなく、犬小屋から随分と離れた場所で心地よさそうにお昼寝をしていることもある。
とても穏やかな気質の犬だからだろう。
店の裏手を通る人たちが声をかけながら、笑顔を向けながら通り過ぎる光景を度々目にする。
私は、触れたり、立ち止まって声をかけることはないのだけれど、
それでも密かに、その道を通るときには、ピケのことを目で追い、
いつもと変わらぬ表情や仕草を見ては癒されていたように思う。
そのピケ、2週間ほど前から姿を消している。
長めの鎖は撤収されており、主人を無くした犬小屋は、やけに大きく無機質なものに見えた。
きっと散歩にでも行っているのだろう、一度はそう思ったのだけれど、
老犬であるピケの姿を想像すると妙な胸騒ぎがした。
ただ、その道を通るだけの私には今のピケのことを知る術はなく、
どうしたのだろう、今日は居るかしら。そのようなことを思いながら、その道を使うことが増えた。
離れたところから「今日も居ない」とピケの安否を思いながら、お店の横を通ろうとしたある日、
私と同じことを思っていた人が、ピケのことを尋ねている場面に遭遇した。
私は自然と歩くペースを落としていた。
鎖を新調するのに時間がかかっており、ピケは室内で飼われているということを小耳にし、
無事で居てくれたことにホッと胸を撫でおろした。
すると、「私も気になっていたんです」と飼い主たちの会話に入っていく方がいた。
「あぁ、皆同じだ」そう思いながら私はその横を通り過ぎた。
何気ない日常や自分には無関係だと思っている景色や人物も
いつの間にか自分の暮らしの一部になっていることがある。
その景色や相手のことを深く知っているわけではないけれど、
繋がりは、気付かぬうちにできてしまうものなのだろう。
ピケに何か特別なことをしてもらったわけではないのだけれど、
そこに当たり前のように居てくれるだけで十分に、
癒してもらえていたことを感じさせられた出来事だったように思う。
ピケの目には人間の日々がどのように映っているのだろう。
そのようなことを思った、暖かいある日の午後。