風が強かったその日、前から歩いてくる女性が羽織っていたチェスターコートの前身頃の半分が風に煽られた。
表側はブラックカラーのシンプルなチェスターコートだったけれど、裏地は、時折、海外ブランドの裏地で目にするようなヴィヴィットな強いピンク色をしていた。
女性は慌てる素振りもなく、前身頃の半分を空いた手で引き戻すと、体に密着させるように抑えながら私の横を通り過ぎて行った。
顔が冷たい風で強張りかけていたけれど、不意に目に飛び込んできたヴィヴィットピンクの衝撃で、血がカーッと巡り始めたような気がした。
そして、江戸の粋に通じるように思った。
日本には、見えない裏地に凝る文化がある。
文化として定着したのは江戸時代に幕府から出された贅沢を禁止する命令だったという。
食べるものに対しても様々な禁止事項が挙げられていたようだけれど、これは着物にも適用されていた。
単純に「贅沢をしていけません」という命令ではなく、身分によって着て良い着物、着てはいけな着物があり、色やデザイン、素材に至るまで細かい決まりごとがあったという。
農民に至っては絹織物で作られた着物を着ることはできず、衣類はコットン100%のみだったという。
今の時代は上質なコットンも多い上に織物技術も進化しており、「コットンは贅沢品ではない」とは言い切れないけれど、この時代のコットンの着物は農民が着るものと決められていたようだ。
しかし、身分と財力が必ずしも一致するとは限らず、江戸の人々は自分自身の楽しみを簡単に手放すことなく頭を捻るのである。
そうして思いついたのは、表地は幕府に決められた通りに仕立てて、幕府の目に留まらない裏地には、本来使用してはいけないと言われている色を使ったり、目を惹くようなデザイン柄をあしらったり、使用してはいけないと言われている素材を使うなどしておしゃれを楽しむという方法である。
もちろん、幕府の人たちに見つかれば、相応の罰をうけなくてはいけなかったようだけれど、分かりやすいおしゃれではなく、人目につかない部分に技術や気持ちを込めていたようだ。
そして、これが後に江戸の粋の一つになるのである。
目立たない部分や見えない裏側にまで気を配り、技術を使うことができるのは、「日本人ならでは」なのではないだろうか。
「分かりやすさ」や「手軽さ」、「簡単さ」を求め使うことも決して悪いことではないけれど、目立たない部分や見えない裏側に気が付くことができたなら、目の前の世界を深く広く感じることができ、それによって日々が豊かになるように思う。
いつの日か、この様な日本文化の奥の深さに世界がハッとさせられるのではないだろうか、と思ったりもして。
そのようなことを思わせた、ヴィヴィットピンクの衝撃である。
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