幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

エフォートレスライフを目指す前に必要なこととは。

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久しぶりに友人とランチをしたときのこと。

友人が「初めて聞いた時は、え?何?って思ったけど慣れるもんだよね。

“エフォートレス”よりも“こなれ感”の方が分かりやすいけどさ。」とこぼした。

刻んだ青じそが混ぜ込まれたおろしポン酢を店主ご自慢のハンバーグに乗せ、

それを口元に運びながら、心の中で「(あぁ、確かに)」と大きく頷き賛同した。

そして、口の中に広がるお肉とおろしポン酢のハーモニーに、

「(やっぱり、このハンバーグは美味しい)」と思うや否や、

「声、でてないよ」と指摘され我に返った。

 

日本ではファッションやメイク、ヘアスタイルなどファッション用語として使われることが多く、

冒頭の会話にもあったように“こなれ感”や“抜け感”などと訳されている。

「努力」や「奮闘」などを意味するエフォートという単語に、

「~の無い」という意味のレスをくっつけて出来たエフォートレスという慣用句。

おおもとの意味は、努力や奮闘を必要としない、苦労のない、肩ひじを張らない、

楽な、無理の無い、といったもの。

ファッションやメイク、ヘアスタイルでこの匙加減を間違えれば、

だらしない印象ややつれた印象を与えることもあり、

言葉通り努力や奮闘が全く無いかと問われれば、そうとも言い切れない。

そう思うと、“こなれ感”や“抜け感”といった意訳は程よい言葉の匙加減、のように思う。

最近では、ファッション以外のジャンルでも使われ始めているため、

少し意識をして辺りを見回してみると意外な所で目にすることも増えた言葉だ。

 

海外でもファッション用語として使われてはいるけれど、

私の印象としては、日々の暮らしや、人との関わり方、自分自身との関わり方や在り方など

ライフスタイルに対して使われることが多いように感じている。

人は、ファッションやメイク、ヘアスタイルだけに止まらず、

自分自身や自分の日々をエフォートレスにすることを求め始めているのかもしれない。

ひと昔前の言葉を借りるならば「ありままの自分」で肩ひじ張らずに自然体で過ごすこと、

とも言い換えられるだろうか。

ただ、言葉そのものを体現することが目的になってしまうと、方向性がずれることもあるだろうし、

体現しようとするあまり違う無理が生じ、

良い意味での「ありのままの自分」を見失うことも珍しくない。

エフォートレスを目指す前には、

不完全さがあるからこそ自分の魅力が魅力として認識できるということ、

無くしてしまいたい不完全さも魅力のひとつだということを認めることも必要なことなのかもしれない。

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「錚々(そうそう)たる」という言葉、本当は皮肉たっぷりの言葉だったのです。

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ある日、仕事で畏まった席に同席させていただく機会があった。

その場に居るほとんどの人たちが壇上の方の話に耳を傾け、

その場の緊張感に飲み込まれてしまいそうになっている中、

いつも飄々としている当時の私のボスが、こそこそ話を始めた。

「今話している彼、そうそうたる顔ぶれだって言っていたけれど、“そうそう”って漢字で書ける?」と。

内心、そのような話は後にしてほしいものだと思いつつ漢字を思い浮かべようとするも

“そうそう”という漢字を思い出すことができなかったワタクシ。

だけれども、「書けません、わかりません」と言うのも味気ない気がして、

「私の頭の中ではモザイクがかかっています。」と小声で返した。

すると、胸の内ポケットからミニ手帳を取り出し“錚々たる”と豪快に書き上げた。

大人の堂々とした手遊びだ、と思った。

ボスに手遊びで静かになる様子はなく、こそこそ話の続きが始まった。

 

現在は皆さんもご存知のとおり、数ある中でも特に優れている場合に使う言葉で、

錚々たるメンバー、錚々たるラインナップなどと使われているはず。

だけれども、この言葉は中国故事が語源となっており、本来の意味は皮肉たっぷりなのです。

 

ストーリーを丁寧にご紹介しますと日が暮れてしまいますので、

今回はストーリーの詳細は割愛させていただきますが、

「錚」は金属、特に鉄でできた楽器を鳴らしたときの音のことを表しています。

そして、“錚々たる”には、「金や銀で出来た楽器の音色と比べたら、

鉄でできた楽器では大した音は出せないと思っていたけれど、

鉄で出来た楽器の中にもましな音を出すことができるもあるのだ。」という意味があります。

ある皇帝は、これを元にして敵対していた軍勢の中から降参した一部の将軍たちに向かって

「お前たち、凡人にしてはマシな方だな」という意味で“錚々たる”という言葉を言い放ったのだそう。

これが、“錚々たる”という言葉が持っているエピソードです。

 

時代を経る中で「凡人の中で少しだけ」という皮肉部分が抜け落ち、

現在では私たちが知る「特に優れている人」を指す言葉として馴染んでいる。

ただ、この故事を知っている当時の私のボスは“錚々たる”という言葉を耳にすると、

現状と故事の登場人物たちとを重ね合わせて(楽しんで)いるようだった。

そして、私もまた、このフレーズを耳にすると柊希脳内劇場の幕が上がるのだ。

あの上司にして、この部下あり……、だったのかもしれない。

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春の夕暮れに思ふこと。

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贅沢にも色々とあるけれど、私にとっての「贅沢」のひとつは、ひとりで気ままに過ごすティータイム。

場所は自宅でもいいし、お気に入りのカフェでも、初めて入るカフェでもいい。

気候が穏やかになるこの時季は、テラス席からお花見をするのも楽しいもの。

お花見とはいっても生花ではなく、行き交う人たちのカラフルな春の装いがそれ。

その日は、少しでも春を感じたくて選んだサクラフレーバーの紅茶をいただきながら

行き交う人々を眺めていた。

すると、私の隣のテーブルに小学生くらいの女の子と、彼女のお婆ちゃんらしきご婦人が座った。

椅子の大きな背もたれに自分の体をじりじりと寄せるようにして座る彼女が微笑ましかった。

しばらくすると、ご婦人のこのような会話が漏れ聞こえてきた。

「お家に帰ったら3色団子を食べるけど、どうやって食べるんだったか覚えてる?さっき、お茶のお稽古のとに教えたでしょ。」と。

もしかして、このご婦人はお茶の先生なのかしら。

そう思うと、隣のテーブルで決ままに過ごしていた私の背中もすぅーっと伸びた。

そして、私自身、あまり使う機会が無くなっていた串団子のお作法を思い出すことになった。

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串団子は、そのまま串から直接いただいても良い和菓子だけれども、フォーマルな場面で黒文字(くろもじ)が添えられていたら、

黒文字(くろもじ)を使ってお団子を串から外し、黒文字(くろもじ)で切り分けたり、刺すなどして食べるのがお作法だ。

黒文字(くろもじ)は、和菓子をいただく時に添えられている楊枝のこと。

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自宅には黒文字(くろもじ)を常備しているけれど、私自身は串団子を食べる時に黒文字(くろもじ)は使わない。

そもそも、既に手もお皿も極力汚さずに食べられる状態にしてあるのだし、お行儀の悪いことをしていると錯覚させられるあの感覚と、ある種の豪快さを味わうのも串団子の醍醐味だと思うのだ。

お作法には意味があり、思いやりがベースにある素敵な風習だと思っている。

加えて、やはりひと通り知っておいて損はしないものだとも。

だけれども、それ一辺倒になるのではなくて、使い時、使い所、お作法の匙加減を操れてこそではないかと思うのである。

そして、大きな声では言えないけれど、オトナだって時には、ほんの少し、お行儀の悪いことだってしたい。

365日、24時間、完璧なオトナでいるなんて面白味に欠けるじゃないかと。

あの小さな彼女もいつか、このような事を思うことがあるのだろうか。

今日もまた、相変わらず答えの無いことに思いを巡らせながら春の夕暮れを味わいつつ帰路についた。

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幸せのレシピ集の中で巡るオトナの社会科見学|密かに人気を集め始めている「シーシャ」ってなあに?

 

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前回、りんご飴のお話と一緒に少しだけ触れたシーシャ。

実は、ここ数年、密かに人気を集め始めておりまして、

取り扱い店も少しずつ増えているようなのです。

聞き慣れない言葉ですので、

お店を見かけても気に留める間もなく通り過ぎている方も多いかと思います。

この機会に、シーシャがどのようなものなのか、

幸せのレシピ集の中で巡るオトナの社会科見学と題しまして

ワタクシと一緒にシーシャの世界を簡単に覗いてみませんか?

 

|シーシャって何かしら?

シーシャをひと言でいうならば、水タバコ。

発祥は諸説あるものの、エジプト、ペルシアという説が多いようです。

日本でも密かに人気を集め始めておりますが、

これは日本に限ったことではなく、近年では世界的に広がっているようです。

 

|タバコって、あの煙モクモクの嫌なにおいがするタバコ?

タバコですし、煙も出るのですが、私たちがタバコと聞いて想像するものとは違います。

フレーバーは、ミント、フルーツミックス、ラズベリー、オレンジ、ダブルアップル、

スイカ、ピーチ、マスカット、レモン、マンゴー、チョコミント、などが伝統的とのこと。

例えば、レモンとオレンジを割合を変えて組み合わせるなどして、

様々なフレーバーを出すこともできるのだそう。

 

|タバコだもの。体に悪いんじゃないのかしら?

こちらに関しては賛否両論あるようなのですが、

まず、伝統的なタイプのものは、タバコの葉を使用していますのでシーシャを楽しむことが出来るのは20歳以上のオトナのみ。

とは言え、タバコの葉に含まれるタールやニコチンが気になりますよね。

タールやニコチンはタバコの葉の加工過程で取り除かれますし、

水タバコは、煙を一度、水にくぐらせてから楽しむことから、

一般的なタバコよりは健康被害や嫌なにおいは無いようです。

一般的なタバコと比べると害がないと言われても、

健康面が気になると言う方も多くいらっしゃいます。

そのような方の為に、タバコの葉を使わずに茶葉やさとうきびなどの繊維を

フルーツのシロップに漬けたもので作られている水タバコ風のものもあるようです。

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|シーシャは何を、どんな風に楽しむの?

一般的なタバコや葉巻と違い、

異国情緒溢れる素敵なボトルから伸びているホースのようなものを使って、

シェイクを飲むようなイメージで、ゆっくりと時間をかけてフレーバーを楽しむのだそう。

この時に、水の音がポコポコとするようなので、この音を楽しむのも粋なのでしょうね。

本場では、コミュニケーションツールのひとつでもあるのだとか。

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私は、色々なジャンルの映画を見るのですが、時々、この水タバコを目にしておりました。

ストーリーの時代を問わず、

とても雰囲気のある映像の小道具として登場することが多かったので、

実物はどこで目にすることができるのだろうかと思っていたところでした。

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映画や小説、ドラマなどでこのようなものを目にされた際には、

「あ、あの水タバコね」「どんなフレーバーかしら」「本物?水タバコ風?」など、

様々な角度から作品のシーンを楽しんでいただけましたら幸いです。

今回は水タバコそのものにスポットをあてましたが、

水タバコを数人で楽しむ時にはマナーがあるようです。

経験をしてみようと思われている方は、

お店の方にマナーなどを教えていただくことも含めて楽しまれてみてくださいませ。

もちろん、たばこの葉を使っている水タバコは二十歳を過ぎてからですよ。

本日は、幸せのレシピ集の中で柊希と巡るオトナの社会科見学にお付き合いいただきましてありがとうございました。

落ち着きと胸の高鳴りにキュートさをトッピングしたような『りんご飴とシーシャの専門店、ポムダムールトーキョー』のりんご飴。

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どんなに気分が沈んでいても、

好きなモノと時間を共にするだけで身体の奥底から不思議な力が湧いてくることがある。

それは、様々な物であったり、家族であったり、恋人であったり、仲間であったり、

愛犬、愛猫であったり、きっと、まだまだたくさんの不思議な力を持つモノがある。

私にも、そのようなモノがたくさんあるのだけれど、その中のひとつに「りんご飴」がある。

お祭りという非日常空間で夜店の灯りに照らされた真っ赤なりんごは、

ほんのり色付けられた薄い飴で覆われており、

まるでおとぎ話の絵本の中に出てくる艶めいたりんごの様でもあり、

異世界への渡るための秘密の切符の様でもあり、気分が上がるのだ。

子どもの頃からそのようなことを感じていたものだから、

大人になった今でもりんご飴を手にすると、

手持ち棒をクルクルと回しながらりんご飴に光を当て、

光の反射の奥に見えるかもしれない異世界を想像してしまう。

そうしているうちに、沈んでいた気持ちを異世界へ置いてきてしまうのか、

何処からともなく力が湧いてくるのだ。

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そのような事を身近な人たちに話すと「なんてお手軽なんだ。」と笑われるけれど、

残念なことに、りんご飴はふらりと立ち寄ったスーパで気軽に買えるものではない。

ヨーロッパではハロウィンの時に自宅でりんご飴を作る風習があるけれど、

それを日本でするのは少しばかりハードルが高い。

そして、大人ならではの欲を言えば、

もっと安心、安全度の高い、スペシャルなりんご飴なるものを口にしたい。

全くお手軽ではないのだ。

そのようなことを頭の片隅で思っていたのだけれど、3、4年ほど前だっただろうか。

私の素朴な夢が叶った。

お祭りがあった訳でもないのにお土産だと言っていただいたのは、

日本初となる『りんご飴とシーシャの専門店、ポムダムールトーキョー』のりんご飴。

その日から、私の中でのナンバーワンのりんご飴は?と問われれば、

迷わずここの名を挙げている。

 

店名のポムダムール(Pomme d'Amour)とはフランス語で「愛のりんご」と言う意味。

落ち着きと胸の高鳴りにキュートさをトッピングしたような、

大人の味わいが溶けあったような店名に私は一瞬にして虜になった。

いつ口にしても瑞々しくて甘酸っぱい果汁たっぷりのりんごが纏うのは、

後味がスッキリとした上質なお砂糖を使った薄くてパリッとした飴。

ひと口味わえば、この繊細なバランスの虜になる人も多いのではないだろうか。

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『りんご飴とシーシャの専門店、ポムダムールトーキョー』は新宿にあるお店ですが、

全国の催事にも出店されていますので、ご縁がありました際にはいかがでしょうか。

その際には、お皿の上で切り分けながら召し上がれ。

思わず笑みがこぼれるオトナのりんご飴です。

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店名にあるシーシャというのは、エジプト発祥の水たばこです。

たばこの一種ではありますが、

大きくて素敵なボトルから水の可愛らしい音を聴きながら香りや煙を楽しむもので、

一般的なたばことは少々異なります。

フレーバーは、ミント、フルーツミックス、ラズベリー、オレンジ、ダブルアップル、

スイカ、ピーチ、マスカット、レモン、マンゴー、チョコミント、などが伝統的とのこと。こちらは、次回、ご紹介させていただければと思います。

関連リンク&画像も一部お借りしています:

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間違いも今では真(まこと)、「バックスキン」。

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春らしいスマートフォンケースが欲しくなり、空き時間にバラエティーショップを覗くことにした。

所狭しと様々なアイテムが並んでいる空間は、いくつになっても気分が高揚するし、

世の中の傾向や興味をザッと把握できる場所でもあり、飽きることはない。

そして、店内に足を踏み入れた瞬間、

本来の目的を忘れて目に飛び込んでくるモノからモノへと渡り歩くのもいつものことだ。

ひと通り見て回ったところでスマートフォンケースの陳列棚が視界に入り、

「あ、そうだった、そうだった」と本来の目的を思い出した。

多種多様なケースは眺めているだけでも十分に楽しいのだけれども、

絶対に選びはしないようなものであるにも関わらず、

とりあえず手に取って見てしまうのはどうしてだろう。人の性なのだろうか。

そのような事を思いつつ商品を眺めていると、あるものが目に留まった。

目に留まったのは、ケースではなくポップの方。

そこには「バックスキン(革の裏)を活かしたデザインと~」と続いており、

私はある日の出来事を思いだした。

 

実はワタクシ、4、5年程前まで「バックスキン」は、

ポップに書かれていたように革の裏側を意味しているのだと思っていたのだ。

しかし、あるとき外国人の友人に「意味が違う、柊希は間違っている」と指摘され、

長年の間違いに気付くこととなった。

その時の私は、「間違ってないよ、backskinでしょ。BACK。」と自信満々に返したのだけれど、

もともと「バックスキン」は英語で “buckskin” と書くというのだ。

この時点でハッとしたのだけれど、buckというのは「牡鹿」のこと。

それならば、「バックスキン」は鹿革素材ということになる。

だけれども日本人は「背後」を表すbackだと思いこんでしまったようで、

“backskin” と間違ったまま使われ始めた結果、

革の裏側という和製英語を生み出すこととなったのだそう。

もちろん、鹿革があまり出回っていないことも幸いし、

皮の裏側を意味する「バック(back)スキン」なのか、鹿革を意味する「バック(buck)スキン」なのか、

一体どっちなの?という混乱を招くことも無いまま現在に至るようだ。

指摘を受けた当時、「発音だって違うでしょ」と友人に言われ頷いてはみたのだけれど、

正直、話の前後がない状態で単語のみを聞いて聞き分けられる程、

明確な違いは無いじゃないかと思っていたことは、ここだけの話。

私は、聞き間違いとは言え、悪くはない発想だと思っているのですがいかがでしょうか。

「バックスキン」という名の素材に触れる機会がありましたら、

裏側を使用した素材なのか、鹿革素材なのか、

今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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先人たちよ、自由だって、ときに、疲れるものなのでございます。

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仕事柄、目を酷使するため目薬が欠かせない。

3~4種類を常備し、その時々の状況によって使い分ける生活をしている。

その日もPCモニターから目を離さぬままデスクに置いている目薬ボックスに手を伸ばした。

その辺りに転がしておいても良いのかもしれないけれど、

少しでも気分が上がる要素を身の回りに置いておきたくて、

小さめのキラッと輝くジュエリーボックスを目薬ボックスとして使用している。

いざ目薬を点そうと手元を見ると目薬が無くなりかけていた。

もしや、と思い他も確認すると、全てが底をつきかけていた。

私としたことが!軽く身なりを整えて、近所にあるドラッグストアへと向かった。

 

目薬コーナーの前に立ち、しばし固まった。

花粉の季節も手伝ってのことだとは思うのだけれども、

愛用のそれらを探し出すまでに少し時間がかかってしまうほど、多くの種類の目薬が陳列されていた。

もしかして、今使っているものよりも良いものがあるのかしら?と

魅力的な誘い文句の数々を拾い見して思った。

 

そう言えば、本だっただろうか、いや、研究報告書のようなものだっただろうか。

その辺りの記憶は曖昧なのだけれど、読んだことがある。

人は選択肢が多ければ多いほど、

脳と精神的な領域が疲弊し、ストレスを感じ、間違った選択をしやすくなるのだと。

ある心理学者は、このことをジャムを使って実験していた。

それは、店頭に5種類ほどのジャムを並べたときと、20種類ほどのジャムを並べたときでは、

お客さんのリアクション(売上)にどのような違いが生まれるのかという実験だ。

たくさんの中から選ぶことが出来る方が楽しいような気がするのですが、

結果は売り上げに10倍の開きがあり、前者の場合の方が売れ行きが良かったのだそう。※数字は記憶が曖昧です、悪しからず。

 

人は選択肢が情報量が多すぎると、「選ぶこと」そのものに疲れてしまったり、

「自分の選択」そのものに自信が持てなくなることがあるのだそう。

だから、ショッピングであれば、これを回避するために「今日は買わなくてもいいや」と判断したり、

多くを考えずに「いつものものを買う」という判断をするのだそう。

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情報に溢れ、自分の気持ち次第、責任次第で、様々な選択肢が目の前に広がる今。

決められたものを選ぶ以外許されなかった先人たちから見れば、さぞ羨ましいに環境に違いない。

だけれども、人との繋がりでさえSNS等によって、ある意味、情報化され、

自分にとって本当に大切な情報を選んだり、見極めることが難しくなっていることも事実。

いや、見極めるための時間が無いとも言い変えられるのかもしれない。

もし、多くの選択肢を目の前にした際に

「たくさんあって迷うな~」と嬉しい悲鳴を挙げるのではなく、

「何だか面倒だわ、いつものでいいや」と思ったのなら、

あなたの脳と精神的な領域が、

情報過多によるお疲れサインを送っているのかもしれません。

そのような時は、テレビを消してスマホを覗くことも脇へ置いて、

音も情報も無い自分だけの静かな時間を意識して作ってみてはいかがでしょうか。

 

「先人たちよ、自由だって、ときに、疲れるものなのでございます。」

そのような事を思いながら、いつもの目薬に新しい目薬を加えてその場を後にした。

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くまのプーさんの秘密ってなあに?

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書店の一角にある洋書が並べられた空間が好きで立ち寄ることがある。

そこには、ありとあらゆるカテゴリー、ジャンルの本が並んでいる。

ネイティブ並みの語学力を持っているわけではないのだけれど、

心躍る感覚と興味という原動力は、

時に、その時の自分に最も必要な力を引っ張り出してくれるような気がしている。

そう信じて疑わないお気楽さが、読みたい、何だか素敵な1冊のように感じる、眺めているだけでワクワクする、

そのような想いを後押ししてくれ、結果としてレジへと足が向いている。

全てを読むには力不足だと分かってはいるのだけれど不思議なもので、

足りない力は何とか補えるものなのだ。

案ずるより産むが易しとはよく言ったものだと思う。

そうして私の元にやってきた洋書もそれなりの数になってきた。

引越の度に手放すことも多いのだけれど、幾度もの選別作業から逃れ続けている本もある。

その中にイギリスの何処かにあった味のある本やで見つけた

皆さんもご存知の「くまのプーさん」がある。

「本を開くと、その本の中の世界での冒険が始まる」といったベタな映画の小道具として出てきても見劣りしないであろう装丁の1冊だ。

最近出版されたのであろうプーさんを前に、

我が家のあの1冊とは長いお付き合いになりそうだ、と思った。

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プーさんと言えばディズニーの主要キャラクターだけれども、

ミッキーマウスと共演していないことにお気づきでしょうか。

ディズニーランド内でもそうですが、

キャラクター商品を見渡してみても両キャラクターの共演、

他のディズニーキャラクターとの共演、ともに無いのです。

 

これには、「権利」という大人の事情が絡んでいます。

プーさんはウォルト・ディズニー社のオリジナルキャラクターではなく、

使用権利はステファン・スレンジャー社という会社が持っています。

ウォルト・ディズニー社は、ステファン・スレンジャー社と原作者のご家族との間に、

プーさんに関する様々な使用許可契約を結びました。

私たちが動くプーさんを観ることができているのは、

この契約から始まったアニメーション制作のおかげです。

このような大人の事情があるため、使用料などを正確に算出する必要があり、

今のところ、プーさんはディズニーキャラクターと共演することができません。

もしも、プーさんとディズニーキャラクターの共演を目にされた時には、

とても貴重なスペシャルコラボレーション企画かと思いますので

思いっきりご堪能くださいませ。

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春告鳥の猛練習。

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我が家のベランダに置いてあるガーデンテーブルは時々、野鳥たちの憩い場と化する。

餌付けをしたわけでも、しているわけでもないのだけれど、

どういうわけだか、どこに住んでも野鳥たちがやってくる。

悪さをしたり巣作りをするようであれば、

こちらも心を鬼にして縄張りの主張をしなくてはならないけれど、

彼らは数羽でやってきては、ただテーブルの上で楽し気に鳴いて去っていくのだ。

最近では、私がお茶をしていても、本を読んでいてもお構いなし。

すぐそばで、小さな頭をコクッ、コクッと揺らし合いながら談笑している。

緊張感をどこかに落としてきてしまったような彼らを視界の端で捉えながら、

そのようなことで厳しい自然界を生き抜くことができるのだろうか?

と余計な心配をしてみたりもするのだけれど彼らに癒されていることもあり、

追い払うことはせずに、付かず離れずの関係を保たせてもらっている。

 

しかしその日は、ベランダからいつもの彼らではない妙な鳴き声が聞こえたのだ。

キュッ、ケホッ、ケホッ……キュッ。

リズムも悪く、詰まり気味の鳴き声に思わず作業の手を止め、

「え……、大丈夫?」と声を出してしまった。

そろりそろりと窓際へ近づき来客を覗き見てみると、

スズメよりも少しだけふくよかで、ほんのりと緑がかったボディーをしていた。

そう、来客の正体はウグイスの子どもだったのだ。

日本ではウグイスのことを「春告鳥」と言い、

私たちは美しい美声で発せられるホーホケキョを耳にして春を味わうけれど、

ウグイスは始めからホーホケキョとは鳴かない、というよりは鳴けない。

春先からホーホケキョと鳴けるように練習に練習を重ね、

少しずつ私たちの知るウグイスへと成長する。

どうやら、その日の来客は、我が家のテーブルの上を自主練の場として選んだようだった。

 

それから短い時間だったとは思うのだけれども、

しばらくの間、そのウグイスはお世辞にも上手だとは言えないような鳴き声を辺りに響かせていた。

いつの間にか姿は見えなくなっていたけれど、

桜が咲くころには、ホーホケキョと素敵なさえずりを聴かせに来てくれるだろうか。

何処かで、あの子のさえずりを耳にすることができるだろうか。

普段は、自らウグイスのさえずりに意識を向けることはなかったのだけれど、

今年の春は、ウグイスの声を拾い聴きする春になりそうだ。

あなたのそばにも、春本番に向けて練習に励んでいるウグイスがいるかもしれません。

練習中のウグイスに遭遇されました際には、

温かい気持ちで見守ってあげてくださいませ。

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あなたの知識ボックスに加えてみませんか?アナログ時計と太陽を使う豆知識。

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初夏頃の出来事だっただろうか。

遠方から友人が子どもを連れて泊りがけで遊びに来てくれた。

気心知れた友人は日常からほんの少し解放されたのだろう。

独身時代の頃のように私の家のソファへ子どもの様にダイブした。

しかし、その直後、母親のそれを真似て

同じようにソファーへダイブした我が子にハッとしたようで

母親スイッチを入れると、よそ様のお宅のソファーにダイブしてはいけないのだと丁寧に教えていた。

友人の名誉の為にひと言書き添えておくと、

この“ソファーへダイブ”というのは、私と友人との間にちょっとしたエピソードがあり、

お決まりのコミュニケーションの一環として成り立っているものである。

 

友人と久しぶりにゆっくりとお喋りを楽しむ予定ではいたのだけれど、

予想通り、私は彼の餌食となり、体力のほとんどを放出することになった。

少しでも一緒に飛び跳ねたい盛りと、

そろそろジッとしていたい柊希との攻防戦が始まった。

そこで、少しでもジッとしていられそうな遊びを考えていると、

彼の手にキラリと輝く時計が目に飛び込んで来た。

 

「ねぇ、それホンモノ?」

少しだけ意地悪な質問をしてみた。

「子どもだけが使える特別なホンモノだよ」と腕をグイッと目の前に差し出された。

文字盤を覗き込むと長針に短針、秒針まであるホンモノだった。

「(よし、この勝負は私がいただいた)」そう思い、時計で方角を見る遊びを提案した。

方位磁石が無くても時計があれば方角が分かる豆知識のようなものなのだけれども、

子どもたちは「あそび」の3文字に弱い。

彼は飛び跳ねることを忘れ私の横にお行儀よく座った。

 

その豆知識、私の知識ボックスにも入れておきたいわ、

と言ってくださる方もいらっしゃるかもしれませんので、

本日は豆知識でブレイクタイム、いかがでしょうか。

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使用しますのは長針と短針のあるアナログ時計と太陽です。

時計は、腕時計、壁掛け時計、目覚まし時計、どのタイプでも使うことができます。

 

まずは、時計を水平に持ち、短針を太陽へ向けます。

この状態をキープし、文字盤の12時がどちらの方向を向いているか確認しましょう。

短針の方角(太陽の方角)と12時の方角の真ん中の先が南です。

後は、これを元に他の方角も知ることができます。

例えば短針が5時を指している場合、5時を太陽に向け、

その状態で12時から5時の中間となる方向が南です。

 

注意する点は3つです。

【1】この豆知識を使うことができるのは太陽が出ている時のみだということ。

【2】太陽を直視してはいけないということ。

【3】午前6時と午後6時を境に、短針と文字盤の12によって出来る角の鋭角側、鈍角側のどちらを使うかによって南と北が逆転するということ。

【3】を、もう少し具体的に説明しますと、

午前6時から午後6時までは鋭角側の真ん中の先が南ですが、午前6時前と午後6時以降は鈍角側の真ん中の先が南です。

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子どもには少し難しい注意点も組み込まれているため、

彼は豆知識をマスターすることにすっかり夢中になり、

この勝負、やはり私の勝利で幕を閉じることとなった。

そして私は、勝利の美酒を味わいつつ友人とのお喋りに花を咲かせることが出来たのでした。

皆さまも、太陽が見えているようであれば

本日の大人遊びとしてお試しあれ。

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