幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

菜の花色をした公園案内人は不死身です。

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中途半端に空いた時間を調整することになったのだけれど、人混みに飛び込む気にはなれず、大きな公園内を散策してから目的地へ向かうことにした。

いつもであれば、犬の散歩やウォーキング、ランニングにボール遊びなど、多くの人で賑わっているのだけれど、連日のニュースの影響なのか、この日の公園内は閑散としていた。

人の気配がないからなのか、外の騒音が遮断させれた敷地内は、風に揺れる木々の葉が擦れ合う音が、普段よりも大きいように感じられた。

時折、映画などのシーンの中で、人々が街から消えた様子が描かれることがあるけれど、それを疑似体験したような感覚である。

その景色を寂しいものとして見ることもできるけれど、自然を独り占めしているような清々しい気持ちもあり、この日は散策を静かに楽しんだ。

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公園内を半周した辺りだっただろうか。

何処からともなく黄色い蝶が現れた。

そして、公園の残り半周を先導してくれるかのように、私の少し先を上下に舞いながら出口方向へと向かい始めた。

名前は分からないけれど、黄色い蝶は不死身だと聞いたことがある。

蝶は代替わりの回数が多く、種類によっては、1年の中で4~5回の代替わりをするものがいる。

そして、蝶の姿になった季節によって春タイプ、夏タイプ、秋タイプと分類されるという。

同じ種族なのに、どのようにしてタイプを見分けるのだろうかと不思議に思ったことがあったけれど、彼らは同じ種族であっても蝶の姿になる季節によって姿、いやデザインと言った方がいいだろうか。

容姿のデザインやフォルムを少しずつ変えているそうなのだ。

だから、私たちがパッと見て何となく分かるアゲハ蝶やモンシロチョウも、実は目にする時期によってその姿が異なっていることになる。

蝶には、このような特徴があるのだけれど、冬の時期だけは成長を止めて冬眠しているため、冬タイプは存在しないのだとか。

しかし、黄色い蝶の中には、蝶の姿のまま冬を越す種族がいるそうで、その蝶は不死身の蝶と呼ばれている。

普段は、暖かい場所で待機しており、春の陽気が感じられる日には、ふわりふわり何処からともなく現れるという。

この日、私の前を行く蝶は、多分これである。

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吉兆モチーフともいわれている蝶だけれど、万葉集の中には登場しない存在でもある。

理由は、魂が姿を変えたものだとか、死者が姿を変えたものだと見られており、この世のものではないという扱いをされていたからである。

私にとって蝶は吉兆モチーフでしかないのだけれど、目の前のものをどう見るか、感じるかで抱く印象も随分と異なるものだと思う。

そのようなことを思いながら歩いていると、公園の出入口が見えてきた。

黄色い不死身の蝶とのプチデートもここまでかと思っていると、公園内へ入ってきたご婦人と蝶を挟むようにして目が合い、お互いにニッコリと微笑み合ってすれ違った。

すると黄色い蝶は器用に方向転換をして、今度はご婦人の前をふわりふわりと。

とても素敵な菜の花色をした公園案内人(蝶)に出会った日である。

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繋がっていた証の扱いも様々である。

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へその緒って英語ある?

横断歩道ですれ違った方々から聞こえた声である。

日常会話の中では、登場回数が多いとは言い難いワードだったこともあり、正しく聞き取れていたのか自信はないけれど「へその緒」という英単語はあるのだろうか?と私も声の主に便乗して思った。

そもそも、へその緒を取っておく国は日本くらいだと聞いたことがある。

外国で生まれたという知人からの話なのだけれど、知人のお母様が出産するにあたり、子どもが生まれたらへその緒を持ち帰りたいという要望を現地の医療スタッフに伝えたところ、理由を事細かに質問され、非常に気味悪がられたというのだ。

最近では、へその緒を渡されても扱いに困るという理由から、日本でも受け取らない方もいらっしゃるそうで、へその緒の扱いは両親の判断に委ねられることも増えていると聞くけれど、日本には、へその緒を大切に保管するという不思議な風習がある。

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へその緒は、正しくは臍帯(さいたい)と呼ばれており、母親の胎盤と赤ちゃんを繋いでいるもので、その役割は、母親から赤ちゃんへ栄養や酸素を送るなど重要なものである。

この重要な役割を持つへその緒を保管し始めたのは、江戸時代の頃からだと言われており、日本には非常に多くのへその緒に関する言い伝えが残っている。

その中には、根拠はないけれど、子どもが大病を患った際には、その子のへその緒をすり潰して粉末にしたものを薬の代わりに飲ませると良いとか、

子どものへその緒を無くしてしまうと、子どもの体が弱くなるだとか、夜泣きがおさまらない子どもにへその緒をなめさせると落ち着いて泣き止むだとか、へその緒を持っていると魔除け・厄除けになるだとか。

他にも、自分がこの世を去るときに子どものへその緒を棺桶に入れてもらうと、閻魔様に会ったときに、このへその緒を見せることができるため、子どもを産んだことを報告することができるなど、様々な言い伝えが残っている。

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私の母は、時代もあったのだろうけれど残しておく派。

そして、私が小学生の低学年の頃だったと記憶しているのだけれど、初めてそれを私に見せてくれたことがあった。

しかし、見せて!見せて!と前のめりに食いついたけれど、煌びやかな見た目をしているはずがないそれを目の当たりにし、リアクションに困ったことを薄っすらと覚えている。

その後も、人生の節目のようなタイミングで手渡されそうになったのだけれど、どうしても受け取る気になれず、今も実家の、母の引き出しに保管してあるはずである。

不意に聞こえた「へその緒」というワードから、小学生の頃の出来事をぼんやりと思い出し、心の中で思うのである。

母上よ、見せ時を誤ったのではなかろうか……と。

生え変わった歯を大切に扱う国は多々あれど、へその緒は日本だけ。

何とも不思議な風習である。

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目覚まし機能を備えた春雷って?

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暖かい日、寒い日、パラパラと雨が降る日があったりもする、寒暖差激しいこの頃だけれども、ひと雨ごとに春が濃くなっているような気がして、季節が移り変わっていく過程はいいものだと思う。

その日は、立ち寄った書店で本を捲っていると「春雷(しゅんらい)」という言葉に目が留まった。

春雷(しゅんらい)とは、今頃から5月辺りに鳴る雷のことで、春の訪れを知らせる雷だと言われている。

また、春雷(しゅんらい)には、冬眠中の虫たちに目覚めのタイミングを知らせる役割があるそうで、別名「虫出しの雷」「虫出し」とも呼ばれている。

ぼんやりと冬眠中の動物や虫たちは寝坊したりしないのだろうかと思ったことがあったけれど、冬眠している虫たちが寝坊せずに春本番の少し前に目覚めることができるのは、

彼らの体内時計の正確さもあるのだろうけれど、春雷(しゅんらい)という名の目覚まし時計のおかげでもあると知り、自然の完璧さに関心したことがある。

しかし、一番は春雷(しゅんらい)という言葉の響きだろうか。

どことなく風情を感じられるこの響きと春の様々な混ざり合い、何とも言えぬ気持ちになるのだ。

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いつだったか、このような気持ちを知人に吐露したことがあったのだけれど、知人から返ってきたリアクションは、実際の春雷(しゅんらい)は、それほど甘くはないよというものだった。

知人から教えてもらった専門的な話はできないけれど、柊希流にざっくりと要約すると、雷と言えば夏の風物詩のような印象があるけれど、春雷(しゅんらい)は夏のそれとは異なる生まれからをしており、雹(ひょう)を降らせやすいという特徴があるという。

雹(ひょう)は、「あられ」と呼ばれる小さな氷の粒が雲の上で大きくなり、空に浮いていられないほどの重さになったときに地上に向けて落ちてくるアレ。

夏であれば、空中の気温によって溶けてしまうため、氷の塊が地上に落ちてくることはないけれど、春雷(しゅんらい)の頃は、夏の頃ほど気温が高くないため溶けずに落ちてくることが多いという。

しかも、雲の上も空中も気温が低いため、大きな雹(ひょう)が出来上がることも多く、農作物をダメにしてしまったり、自動車などを傷つけてしまったり、人に怪我を負わせてしまうことなどもあり、風情云々に浸っていられるほど甘くないという話であった。

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そのようなことを耳にすれば、確かに悩ましい知らせでもあると思うけれど、春の穏やかさと雷の荒々しさのギャップがそう思わせるのか、私にとっては今も変わらず、この時季の風情ある言葉の一つである。

そう言えば、「春雷(しゅんらい)が多い年の夏は気温が上がり、日照りが続く」などと言われているけれど、今年の夏は如何に!?

春雷(しゅんらい)が、ゴロゴロピカリッと鳴った時には、今回のお話の何かしらを思い出していただけましたら幸いです。

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気持ちは上を向いたまま、視線は足元近くへ。

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街路樹の根元に、小指の爪の先ほどの小さな白い花が咲いていた。

管理会社によって植えられたものではなく、何処からか飛んできた雑草の種が、根を張り、芽を出し、咲かせた花である。

一つの存在に気が付くと、ここにも、あそこにもと、次々に白いそれが自分をアピールしてくるみたいに目に飛び込んできて、冬の名残の景色の中にまたひとつ、春が添えられたような気がした。

白い花を付けているそれが、春の七草のひとつである「はこべら」に似ていたと気が付いたのは、自宅に到着した後だった。

暇つぶしに、春の七草に挙げられているハコベラの画像を検索してみると、私が七草粥で口にしているハコベラが出てきたけれど、昼間目にしたそれとは異なるように見えた。

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ハコベラは世界中にある植物で、その種類は100種を超え、日本で目にすることができるハコベラだけでも十数種類もあるようだ。

私が知っているハコベラは、七草粥に入れられる葉野菜で、腹痛薬や胃腸薬といった薬効をもった薬草としても扱われていたというもの。

いつの時代だったか忘れてしまったけれど、ハコベラをすり潰したものを歯磨きペースト代わりに使って、歯肉炎を緩和していたというような話も、何かで読んだことがあり、年末年始の胃腸の疲れを取り除くために七草に入っていることに納得した記憶がある。

しかし、この日私が知ったハコベラの新たな一面は、ハコベラには「ランデヴー」や「愛らしい」といった花言葉が付けられていたことである。

可愛らしい花を咲かせる見た目からは程遠い、大人の香りを漂わせた花言葉だったものだから、そのエピソードを覗いてみたのだけれど、再びイメージを覆されることとなった。

ハコベラの花言葉に使われている「ランデヴー」には、密会や逢引きと言った意味があるけれど、ここでは、人間の恋ではなくハコベラとヒヨコとの出会いを表しているのだとか。

ハコベラは別名「ヒヨコ草」とも呼ばれているそうなのだけれど、ヒヨコが好んで食べる草なのだそう。

だから、ヒヨコがハコベラを見つけるとテンションを上げて走り寄ってくるため、その様子をハコベラとヒヨコのランデヴーということで「ランデヴー」が花言葉に選ばれているのだそう。

花言葉と可愛らしい密会のイメージとのギャップが大きかったものだから、来年の七草粥の頃には、きっと、彼らの密会現場を想像しつつ七草粥を味わうような気がしている。

念のため書き添えておくと、街路樹の根元辺りで花を咲かせているハコベラと七草に使われている葉野菜のハコベラは種類が異なるようなので、くれぐれも、摘んできて食してみようというチャレンジはお控えいただければと思います。

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普段は空の方へと意識が向いてしまうのだけれど、春は地中からジワリジワリとやってくるようなので、信号待ちなどのちょっとした時間には、気持ちは上を向いたまま、視線を足元近くへ向けてみてはいかがでしょうか。

自分好みの春を見つけて、感じて、心穏やかな1日となりますように☆彡

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頭の中が渋滞してきたら。

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ぽっかりできた隙間時間は、出来るだけパソコンやスマートフォン、タブレットといった電子機器から距離を置きたいと思っている。

しかし、私の現実はと言えば、思ったそばから電話やメールが届いたことを知らせる着信音が鳴ったり、ちょっとした作業をスマートフォンで行ったりと、自分が思っている以上に密度が濃い関係が出来上がってしまっている。

記憶力や集中力が低下する要因は、年齢を重ねたことによるものだけでなく、スマートフォンやタブレット、パソコンへの依存も要因として挙げられるようになり、

物忘れや判断力の低下は、年齢に関係なく、どの世代にも起こり得ることという認識に変わってきているけれど、ここまで密度が濃い関係を長年続ければ、そうなるであろうことは素人でも想像ができる。

そして、今後は今よりも更にスマートフォンやタブレット、パソコンなどの電子機器を手放せなくなる生活がスタンダードになるからなのか、最近では、そのような生活に耐えられるための脳づくりや脳ケアのような話題を多く目にするようになったように思う。

脳づくりや脳ケアといった表現を使うと小難しい雰囲気になってしまうけれど、

簡単に言えば、脳が疲れていると、何となく頭がスッキリしなかったり、体全体がだるいように感じられたり、首や肩も含めて違和感を覚えたりもするので、

年齢に関係なく、日々をスッキリとした気分で過ごすためのコツのようなものである。

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今回は、栄養面から、このような不調を脳に溜め込まないようにするポイントのようなものをシェアさせていただければと思っております。

ご興味ありましたら、お好きなお飲み物片手にお付き合いいただければと思います。

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私たちの脳は、脳内で分泌される神経伝達物質を使って、情報を扱ったり、記憶を定着させたりしているのですが、この神経伝達物質を分泌する力は、年齢を重ねるたびに衰えていくと言われております。

しかし近年では、脳の衰えの原因になるものは年齢だけでなく、

睡眠不足やパソコン、スマートフォン、タブレット、ゲーム機器などを使うことによって、

文字や映像といった情報が休みなく脳に届けられ、これらの情報処理に追われ続けている脳が悲鳴を上げて、

物忘れが増えたり、記憶力や集中力が低下し、適切な判断ができなかったり、何となくやる気が出ないといった症状を招くこともあるのだとか。

ここのところ、様々な情報に触れたり、イレギュラーなライフスタイルを送らざるを得ない方も増えておりますので、体だけでなく知らぬ間に脳のお疲れ気味かもしれません。

身体だけでなく脳もしっかりと休めることは大前提ですけれど、脳が元気に動いてくれるように脳が喜ぶレスキューフードでサポートしていてはいかがでしょう。

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脳が喜ぶ栄養素と言えば青魚に含まれているDHAが浮かぶ方が多いかと思いますが、大豆製品に含まれているレシチンも脳の栄養になるのだそう。

大豆製品と言うとアレルギーをお持ちの方もいらっしゃいますけれど、このレシチンという栄養素には大豆に含まれている大豆レシチンと卵黄に含まれている卵黄レシチンの2種類があるそうなので、大豆がダメであれば卵から摂るというのも、手です。

茹で卵にして白身も一緒に召し上がることができれば、全量とまでは言えませんけれど、1日に必要なたんぱく質を効率よく摂ることもできますので、一石二鳥です。

脳が喜ぶ栄養素は色々とあるのですが、このレシチンは特に神経伝達物質を作る材料の一つですので、小まめに摂取すると良いのではないかと思います。

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毎食考えるのが面倒だということであれば、お味噌汁の具材に緑黄色野菜を使えば、レシチン以外にも脳の栄養になる各種ビタミン(抗酸化ビタミン)を摂取することができますし、

発酵食品(味噌)で腸内環境を整えられたり、体内で発生させてしまった毒素を排出させられたりもします。

更には、朝に食べるお味噌汁は、口にしてから12時間から15時間ほどで眠りを誘うメラトニンに変化すると言われていますので、寝つきを良くするスイッチにもなります。

※詳しくは下記の関連記事リンク先の『早めに眠りにつきたい日の朝食に加えたいもの。』からどうぞ。

考えることが多すぎて、頭の中がうわーっと渋滞してきたら、まずは深呼吸を3回。

考えなければいけないことは一旦、横に置いて、脳と自分に必要な栄養と睡眠をチャージします。

そして、スッキリとした頭で、もう一度考えてみてはいかがでしょう。

何かしらのキッカケやヒントの種にしていただけましたら幸いです。

関連記事:

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動き出した春に思ふこと。

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手帳に印字してある七十二候は、春の兆しに誘われて草木が芽吹き始める頃を知らせる「草木萌動 (そうもくめばえいずる)」の時期に入っていた。

もうしばらくの間、地上にいる私たちはアウターを完全には手放せないように思うけれど、地中では既に気温が上がり始めて雪が溶け、空気も暖まり、満を持して草木が動き出すようだ。

先日は、通りすがりの生け垣の隙間から萌黄色をした細い茎が伸びており、その先で黄色い花が揺れているのを目撃した。

また別の場所では、割れた地面の上を這うようにして伸びた雑草の中にピンク色の小花がいくつも咲いていたし、塀の僅かな隙間からも、日差しを求めて顔を出したような紫色の小花が風に揺れていた。

私の体感温度は、春の兆しに追い付いてはいないけれど、これはもう、春の兆しではなく春じゃないかと、植物たちを見て思った。

分かりやすい春の風景も良いけれど、こうした隙間から顔をのぞかせている春の植物を見つけると、何だか微笑ましくて、降り注ぐ太陽までもが笑っているような気がしてしまうのだから、春は不思議な季節である。

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逃げるようにして去っていった2月には木の芽月(このめづき)という異名があり、この頃に降る雨を木の芽起こしの雨(きのめおこしのあめ)と呼ぶのだけれど、木の芽起こしの雨(きのめおこしのあめ)が降る度に、季節は春へと近づいていくと言われている。

実際に今年の2月の下旬頃にはシトシトと雨が降る日もあり、まだまだ先人たちの暦が通用する環境であることを思うと、ほんの少しホッとしたりもする。

よく、季節の変わり目に降る雨が次の季節を連れてくるだとか、ひと雨降るごとに次の季節に近づいていくなどと言うけれど、季節の変わり目に降る雨は、植物や大地に必要な栄養であり、私たちにとっても気持ちや体を次の季節に慣れさせるために必要な、まさに恵みの雨ということのようだ。

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こうして暦の上でも自然界でも春が動き出したわけですが、世の中には不安を募らせるような報道が行き交っています。

このような時だからこそ、遊び心や笑顔を忘れずに、しなやかな気持ちを持てればと思います。

外出できないことを不自由に思ってしまうとストレスをため込んでしまいますが、この機会に断捨離をしてみるだとか、ストレッチをしてみるだとか、本や漫画を読んでみる、ゆっくりお風呂に浸かってみる、豪快にお昼寝を楽しんでみる、今年の目標を見直してみる、全力で頑張らない時間を満喫してみる、暖かくなったらしてみたいことを考える……など。

普段できないことや、気になっていたことにトライする時間に使ってみたら、ストレスタイムを充実したハッピータイムに変えられるようにも思います。

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また、お子さんがいらっしゃるご家庭では、食事を用意する回数が急に増えることが様々な負担に繋がることもあります。

完璧でなくても大丈夫。

肩の力を抜いて、出来ることを出来るときに、出来る方法で出来る分だけで大丈夫だと、自分で自分にOKサインを出してくださいませ。

きっと、どのような時も自分次第で如何様にも変えられます。

だから、春を祝う「ひな祭り」の本日も、ご機嫌スマイルでまいりましょうね☆彡

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ドキリとする前に推測せよ!?

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先週届けていただいた桃と桜、菜の花が着々と開花し始めた。

今回はお店の方のご厚意でピンク色のカーネーションも加えられており、優しい春の色合いがリビングを彩っている。

今にも開きそうなほどぷっくりと膨らんでいる桃の花の蕾はなかなか開かず、その傍にあった小さな蕾が予告なく開花したりするものだから、次はどこの蕾が開くのか。

朝のちょっとした楽しみになっている。

ルイボスティーで体を温めながら春の花を眺めていると、既に開花した桃の花がこちらを向いていた。

小さいけれど力強さ漲るその姿は、桃の花の目ヂカラと言ってもいいような雰囲気をまとっていた。

目ヂカラといえば、いつだったか目の疲れを取る方法のひとつに「ウィンク」が効くという話を耳にしたことがある。

目の疲れを取りたいならば、目薬を点したり、目の周りを優しくマッサージするといった方法が一般的だけれど、

ウィンクは、目の周りの筋肉を使うため、テレビやパソコン、スマートフォンと言った生活必需品によって酷使されて凝り固まった目の周りの筋肉が程よく緩み、目の疲れが取れるのだそうだ。

そう言われると、ウィンクが目の疲れに効くという話も納得できると感じた私は、タイミングよくお話する機会があった医師に尋ねてみたのだけれど、「え?そうなの?」と聞き返されることに。

それならば、もう少し深く探ってみようかしらという思いも湧かなったわけではないけれど、私はウィンクが得意ではないことを思い出し、

もっと簡単に目の周りの筋肉をほぐす方法を探す方が効率的な気がして、ウィンクと目の疲れの謎は謎のまま胸の奥にしまっておくことにした。

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そもそも日本人には、コミュニケーションのためにウィンクを多用する習慣がない。

もちろん、ウィンクをナチュラルに使いこなす方も時折いらっしゃるけれど多くはないため、そのような方に不意にウィンクを向けられると、胸の辺りを何かが右往左往してしまうように思う。

きっと、映画やドラマの中のスペシャルな仕草という刷り込みがあるのだろう。

しかし、外国の方は、異性に対しても同性に対してもウィンクを多用する。

そこに恋愛絡みの感情が含まれていることもあるけれど、実際のところは無いことの方が多く、挨拶や合図と言ったアイコンタクトのひとつのようだ。

そうそう、私の知人の中には、照れたときにウィンクをしてしまう癖を持った方もいて、とても自由に使うことができるコミュニケーションツール、ボディーランゲージのようなものなのだと知った。

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いつだったか、こういった「ウィンク」について話したことがあったのだけれど、日本人はウィンクをされることに慣れていないからなのか、日本人に向けてウィンクをすると挙動不審になる人が多いため、そのリアクション見たさにウィンクをしてしまうことがあるという話があった。

そして、友人たちが私に言ったのである。

欧米人の全ての人がウィンクを多用するわけではないけれど、もしウィンクされたならば、ドキリとする前に意味を推測せよ!と。

話を聴きながら、「肝に銘じておこう」。

そう思ったあの日のことを思い出させた桃の花の目ヂカラである。

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シャチホコ夫婦のオシゴト。

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車窓から見える景色を眺めていると、戸建ての屋根の端に立派なシャチホコを飾っているお宅があった。

車窓内を一瞬と言ってもいいような早さで流れた景色だったこともあり、私が目にしたものが本当にシャチホコだったのかを確かめる術がないまま月日が過ぎた。

戸建ての屋根に飾られていたシャチホコのことなどすっかり忘れていたのだけれど、年始辺りに再び、車窓を流れる景色を眺めていると、体が、一度気に留めた景色だと覚えていたのか、シャチホコ少し手前からそのお宅の存在に気が付いた。

徐々に近づく屋根の飾りに意識を集中して通り過ぎると、今度は間違いなくシャチホコだと確認できた。

天守閣の屋根に飾られているような大きなものではなかったけれど、戸建ての屋根に飾るには十分すぎるほどの大きさをしたそれを見て、お城好きな方が住んでいらっしゃるのだろうかと想像した。

私の友人、知人たちの中にはマニアックな趣味を持っている人物がとても多いのだけれど、その中に城好きだと言う者が数名いる。

その中の一人に新年のご挨拶も兼ねて、この話題を振ってみたところ、城好きだという可能性もあるけれど、純粋に火災除けの守り神として設置している可能性もあると返ってきた。

お城のことに疎い私は、シャチホコが火災除けになる理由が分からず、遅ればせながらシャチホコというものを知ることとなった。

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今回はシャチホコって何ぞや?というお話でございます。

ご興味ありましたら柊希の脳内整理を兼ねておりますけれど、話題をシェアしていただければと思います。

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シャチホコと聞くと、海のギャングであるシャチを想像してしまうけれど、あのシャチとは別もので想像上の生き物なのだそう。

シャチホコを感じで記すと魚偏に虎、「鯱」と書くけれど、その姿は、頭は「虎」もしくは「龍」の形をしており、胴体は「魚」、体は鋭い棘で覆われており、胴体の先にある尾ひれは、空を突き刺すような勢いで天を向いているという。

そして、大きな口からは大量の水を吐き出すことができるため、火災が起きた時には口から大量の水を出して火を消すことができるという言い伝えがあることから、建物の屋根の両端に火災除けの守り神としてシャチホコを飾るようになったそうだ。

守り神というのであれば、見晴らしが良い天守閣の屋根の真ん中にドンッと大きなシャチホコを一つ飾っても良さそうだけれど、そうせずに、屋根の両端に一つずつ飾っているのは、シャチホコには雄と雌があり夫婦揃って一対だからなのだとか。

これまで、シャチホコをそのような目で見たことがなかったため、シャチホコを飾っているお城を目にする機会があった折には、今度こそ、じっくりと見上げてみようと思ったシャチホコトピックである。

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あの方の幼少期に触れた日。

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とある天満宮のそばにある信号機に足止めされていると、天満宮の敷地内から数名の学生服姿の少年が出てくるのが見えた。

この時季にお詣りをしているということは、受験を控えた学生だと思うのだけれど、一緒にお詣りにきた友人同士というような雰囲気はなく、顔を互いに見合わせることもないまま、それぞれの方向へと歩き出した。

出来ることを全て行ったら、あとは神頼み。

時代が変わっても、消えずに残っている光景のひとつのようである。

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天満宮と言えば菅原道真、などと思いながら天満宮の前を通っていると、敷地内に咲く梅の花が目に留まり、菅原道真が子どもの頃に詠んだと言われている歌を思い出した。

菅原道真は学問の神様として知られているけれど、神童と呼ばれるほど子どもの頃から頭がよかったそうだ。

大人になってからもそこがブレることはなく、仕事もでき、和歌を詠むのも上手で、更には乗馬や弓の腕もなかなかのものだったと言われているところをみるに、文武両道に秀でた人物だったのだろう。

その彼が4、5歳の頃に詠んだ歌が残っているのだ。

和歌そのものは、私の頭の中からすっかり抜け落ちてしまっており、脳内には和訳しか残っていないけれど『紅色をした梅の花は美しいな、きれいだな。僕の顔にも付けてみたいな』というような意味の歌である。

幼き子が、しっかりと和歌を作っているというところに注目すべきなのかもしれないけれど、私自身は、その可愛らしい視点に触れ、菅原道真にも子ども時代があったのだと、あたり前のことを思った記憶がある。

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そのような子どもらしい一面も持ち合わせていた菅原道真だけれど、大人になると出世を妬まれて、あることないこと噂されて無実の罪を着せられた後、九州の太宰府へと左遷され、無念の思いを胸に、その生涯を終えている。

菅原道真の死後、彼を妬んで陥れた人たちが、亡くなったり疫病が流行ったりと不運続きだったものだから、怨霊などと呼ばれたりもしたけれど、今はそのようなイメージを抱く人も少なくなり学問の神様として親しまれている。

彼を語るためのエピソードは多々あるのだけれど、度々登場するのが牛である。

左遷先の太宰府へ向かう途中、離れ離れになったはずの飼牛が菅原道真のピンチに現れて彼を救っただとか、丑年生まれの彼が亡くなった日が丑の日だったり、彼の亡骸を運んでいた牛が動かなくなり、その場所が墓地となったなど、とにかく牛とのご縁が強い方だったようだ。

このようなエピソードが多数残っているため、牛は神様の使いとして見られるようになり、天満宮には牛の像が祀られていることが多いのだそう。

ちなみに、牛の頭を撫でれば知恵を授かり、自分の体の不調箇所を撫でた後に牛を撫でれば牛が不調を受け取ってくれるため不調が快方へ向かうと言われている。

春のご旅行やお出かけで天満宮に立ち寄る機会がありました折には、道真公や牛のことをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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「暮らしを楽しむ」と「丁寧に暮らす」は近いところにある。 

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ここ最近、春のお弁当をいただく機会が続いていたのだけれど、どれも丁寧な仕事ぶりが伝わってくる日本料理で全く飽きることなく堪能することができた。

小さな重箱を開けた時の、目に飛び込んでくる春の色合いは、期待感をしっかりと後押ししてくれるものだった。

同じメニューであっても、お出汁の取り方や使い方、そこに加える味付けで、これほどにも個性が出るのかと感動を覚えた繊細な職人技の数々に、私が最後に行き着くところは日本食なのだろうと感じたりもした。

幸いなことに日本には、各国の美味しい料理や多種多様な美味しさが多々あるものだから、あれもこれもと楽しんでいるけれど、繊細なお出汁を物足りないではなく、美味しいと感じられる味覚は手放したくないと思う。

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日本には古より、季節や旬を先取りすることを「粋」とする風習があるけれど、日本料理の楽しみ方の中には、ひとつの食材を三度楽しむという楽しみ方があると言われている。

例えば、春の山菜。

一度目は、まだ冬の寒さが残る頃に味わって春を先取りするという楽しみ方で、日本料理ではこの時季の食材を「走り」と呼んでいる。

二度目は、山菜が店頭に安定して並んでいる時季にしっかりと味わう楽しみ方で、この頃になると食材は「旬」と呼ばれる。

そして、三度目は来年のこの時季まで食べることができなくなる山菜を味わい納めるという楽しみ方で、旬を過ぎた食材は「名残(なごり)」と呼ばれるようになる。

移りゆく季節を食材と共に惜しんでいるように聞こえる「走り、旬、名残(なごり)」という呼び名だけれど、ここには、日本人が食材の変化を楽しんできたことも含まれている。

野菜は、走りの頃は葉や肉質が柔らかくみずみずしく、旬を過ぎた頃から名残に近づくにつれ繊維がしっかりとしてくるという特徴があり、

魚であれば、個々の産卵時期によって「走り、旬、名残(なごり)」という期間の中で、脂の乗り方に変化が出てくる。

先人たちは、このような変化も季節と共に楽しんできたようである。

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先人たちが、季節と食材をこのようにして楽しんでいたことや、それを表す言葉があることを初めて知ったとき、味わい納めや、食べ納めという表現ではなく「名残(なごり)」と呼ぶ辺りに、日本人の感性だと強く感じたように思う。

そして、多くの食材が、一年を通して簡単に手に入れることができるけれど、旬となればその栄養価が増すと言われているように、

この時季ならではの食材には、この時季の私たちの体に必要な栄養がギュッと詰まっているため、何かひとつの食材だけを過剰に摂りすぎるようなことはせずに、三度ほど味わうという味わい方には、自然や人の体に対する優しさのようなものも感じられたりもして。

初物を手に取る機会がありました折には、旬と名残(なごり)も気にかけて、三度ほど味わってみてはいかがでしょうか。

暮らしを楽しむことと丁寧に暮らすことは、とても近いところに在るように思います。

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