幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

サバとカツオが出会ったら。

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ヒカリモノが好きだ。

ここで言うところのヒカリモノとは、ジュエリーのような装飾品のことではなく、青魚のことである。

青魚と呼ばれている魚の容姿は、背中側は青く、お腹側は白く光っており、アジやサバ、サンマにイワシ、コハダやキスなどの魚が青魚に分類されている。

青魚は足が早いため、日本では古より鮮度が落ちることを防ぐ知恵や、青魚特有の臭みを消して美味しくいただく知恵が多々あるように思う。

しかし、私の周りには青魚を苦手だと言う人が思いのほか多くいる。

そして、サバを青魚の中でも特に苦手な魚に挙げるのだ。

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サバの脂にはEPAやDHAといった栄養が含まれている。

よく見聞きする栄養素で、これらは心筋梗塞や脳梗塞、認知症などの予防や記憶力をアップの手助けをしてくれると言われている。

更に、サバには疲労回復に必要なビタミンB群や、骨や歯の健康に必要となるカルシウムの吸収を助けてくれるビタミンDも含まれている。

ビタミンDの話題には触れる機会が多いので重複してしまうけれど、簡単におさらいしておくと、

ビタミンDは、体内でいくつかの工程を経た後に肝臓に蓄えられ、ここから体内の必要な場所に運ばれ、使われている。

その用途の中には、免疫力をアップさせたり感染症を予防したり、丈夫な歯や骨を作るカルシウムの吸収を高めたり、血管や心臓の働きを良くしたり、血圧を下げるといったものもあるけれど、

他にも、幸せホルモンと呼ばれているセロトニンを作ったり、新しい肌細胞の成長を後押しして肌トラブルの改善に働いたり、ガン予防にも力をかしてくれるなど、とにかくビタミンDを不足させたくないと思わせるものがずらりと並ぶ。

今の環境を思うと、免疫力アップや感染症予防も兼ねて、手軽に美味しくいただきたい食材のひとつとも言えるように思う。

いつだったか、小料理屋の店主に教えていただいたことがある。

サバの臭みは鮮度によるものだけでなく、サバの脂に含まれているEPAやDHAが酸化することでも起こるということと、臭みを抑える方法は多々あるけれど、カツオだしで煮るという方法もそのひとつだということを。

カツオだしの中には、抗酸化作用を持つポリフェノールが含まれているそうで、これが、EPAやDHAが酸化して臭みの原因に変化するのを抑えてくれるという仕組みなのだとか。

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熱湯をかけて臭みを消す霜降りや、味噌や香味野菜、お酒や塩などによる臭み消しをしても、サバの臭みが気になると言う方や、気にするご家族がいらっしゃるご家庭では、

下処理後は、気持ち濃いめのカツオだしを使ってサバの煮魚を作ってみてはいかがでしょう。

生のサバは扱いにくいということであればサバの缶詰を使うのも手。

サバに対する苦手意識からサバ缶までもスルーしている方が多いようだけれど、水煮のものは既に臭みも取り除かれているので、和洋中、お好みの味付けに調理することができます。

ここ数年でサバの栄養価に対する認知度も安定し、手軽で美味しいサバ缶も選び放題。

更には、不足しがちなたんぱく質もしっかりと摂ることができるので、大人にも子どもにもおすすめです。

サバに対してアレルギーがなければ免疫力アップや感染症予防も兼ねて、サバを美味しく召し上がってみてはいかがでしょうか。

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ヴィヴィットピンクの衝撃と江戸の粋。

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風が強かったその日、前から歩いてくる女性が羽織っていたチェスターコートの前身頃の半分が風に煽られた。

表側はブラックカラーのシンプルなチェスターコートだったけれど、裏地は、時折、海外ブランドの裏地で目にするようなヴィヴィットな強いピンク色をしていた。

女性は慌てる素振りもなく、前身頃の半分を空いた手で引き戻すと、体に密着させるように抑えながら私の横を通り過ぎて行った。

顔が冷たい風で強張りかけていたけれど、不意に目に飛び込んできたヴィヴィットピンクの衝撃で、血がカーッと巡り始めたような気がした。

そして、江戸の粋に通じるように思った。

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日本には、見えない裏地に凝る文化がある。

文化として定着したのは江戸時代に幕府から出された贅沢を禁止する命令だったという。

食べるものに対しても様々な禁止事項が挙げられていたようだけれど、これは着物にも適用されていた。

単純に「贅沢をしていけません」という命令ではなく、身分によって着て良い着物、着てはいけな着物があり、色やデザイン、素材に至るまで細かい決まりごとがあったという。

農民に至っては絹織物で作られた着物を着ることはできず、衣類はコットン100%のみだったという。

今の時代は上質なコットンも多い上に織物技術も進化しており、「コットンは贅沢品ではない」とは言い切れないけれど、この時代のコットンの着物は農民が着るものと決められていたようだ。

しかし、身分と財力が必ずしも一致するとは限らず、江戸の人々は自分自身の楽しみを簡単に手放すことなく頭を捻るのである。

そうして思いついたのは、表地は幕府に決められた通りに仕立てて、幕府の目に留まらない裏地には、本来使用してはいけないと言われている色を使ったり、目を惹くようなデザイン柄をあしらったり、使用してはいけないと言われている素材を使うなどしておしゃれを楽しむという方法である。

もちろん、幕府の人たちに見つかれば、相応の罰をうけなくてはいけなかったようだけれど、分かりやすいおしゃれではなく、人目につかない部分に技術や気持ちを込めていたようだ。

そして、これが後に江戸の粋の一つになるのである。

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目立たない部分や見えない裏側にまで気を配り、技術を使うことができるのは、「日本人ならでは」なのではないだろうか。

「分かりやすさ」や「手軽さ」、「簡単さ」を求め使うことも決して悪いことではないけれど、目立たない部分や見えない裏側に気が付くことができたなら、目の前の世界を深く広く感じることができ、それによって日々が豊かになるように思う。

いつの日か、この様な日本文化の奥の深さに世界がハッとさせられるのではないだろうか、と思ったりもして。

そのようなことを思わせた、ヴィヴィットピンクの衝撃である。

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ミツバチから数珠繋ぎ。

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一斉に開花した沈丁花にミツバチが集まっていた。

ミツバチの群れを横目に思わず沈丁花との間に距離を取ってしまったけれど、久しぶりに耳にしたミツバチの羽音と沈丁花の深く爽やかな香りに少し気分が高揚した。

近年、ミツバチが大量死したり大量失踪したりしているという話題に触れる機会があるけれど、近頃のミツバチ事情はどうなのだろうかと思った。

そう思ったのは、私がこの日目にしたミツバチは5、6匹だったけれど、一カ所でこれだけの数のミツバチを目にしたのは随分と久しぶりの出来事だったからである。

青い鳥の作者、メーテルリンクが著書の中で、ミツバチが絶滅してしまったら、その数年後には人類も滅びると言っていたと言う話がある。

彼がそのようなことを言った理由は、私たちの生活がミツバチによって手助けしてもらっているからである。

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ミツバチは花の蜜を集めているだけではなく、農作物の受粉の手助けをしてくれている。

野菜や果物といった食材だけでなく、牛たちが口にする干し草もミツバチの受粉に頼っているという話があり、ミツバチが消えてしまえば乳製品も口にできなくなるということである。

更には、乳製品が入手できなくなるということは、乳製品を原材料のひとつに扱っている食品も、今のように気軽に楽しめなくなるということも想像できる。

「ミツバチの数が減っているらしい」と聞いてすぐに、ここまで想像することはできないけれど、このようなピンチは一見、自分の生活とは関係ないようなところから忍び寄ってくるようである。

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ミツバチが大量死したり、集団失踪したりしている理由は色々とあるそうで、明確な理由は未だ不明のようだけれど、その原因の多くは、人間による人間ファーストの世の中だからだと言われている。

人間には無害に等しい農薬を使っているけれど、その農薬がミツバチたちを殺していたり、電磁波の影響により、働きバチたちは方向感覚を失って巣へ帰ることができなくなり、

巣に残された女王蜂や幼虫たちは食べるものが無くなり、ハチの巣丸ごと死滅してしまった例も確認されているのだとか。

日本では、稲穂に使われた農薬によってミツバチに悪影響が及んでいることが確認されており、ミツバチに悪影響が及ばないように配慮するよう呼びかけられている。

フランスでは2022年だったと記憶しているのだけれど、この頃を目途に、公園やその他一部の地域での農薬使用が禁止される流れなのだとか。

今年に入り、働き方を半ば強制的に見直す流れの中に置かれているけれど、幅広い意味で暮らし方そのものを見直す時期にあるように思う。

羽音を響かせながら密を吸うミツバチを見て、そのようなことを思った日。

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何気ないティータイムを一石二鳥以上の時間に。

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愛飲しているルイボスティーのティーパックを全て使い果たしてしまった。

いつもはここで、別の飲み物へとシフトすることが多いのだけれど、もうしばらくルイボスティーを飲んでいたいという体の声に従って、新たなルイボスティー探しの旅へ出ることにした。

ルイボスティーとひと口に言っても、茶葉の発酵具合は会社それぞれ。

新たな自分好みの茶葉に出会うべく、まずは、近所にあるオーガニック食材専門店をのぞいてみることにした。

見慣れたルイボスティーの横にはグリーンルイボスティーが陳列してあった。

これまでは横目で確認するに留まっていたグリーンルイボスティーを冒険がてら手に取ると、背後からお店のスタッフに声をかけられて、タイミング良く試飲サイズのグリーンルイボスティーを手渡された。

なんでも、ルイボスティーには発酵茶葉と不発酵茶葉の2種類があるそうで、グリーンルイボスティーは後者のことなのだとか。

私が飲みなれている一般的なルイボスティーの色を赤とすると、グリーンルイボスティーの色は緑茶のような緑色をしており、味も緑茶のような爽やかさがあった。

結局この日は、発酵、不発酵の2種類のルイボスティーを手に帰宅した。

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ルイボスティーに限らず、お茶には発酵茶葉と不発酵茶葉がある。

細かく分類するならば、その中間となる弱発酵のものもある。

緑茶は茶葉を発酵させていない不発酵、ウーロン茶は弱発酵、紅茶やプーアル茶、ほうじ茶、鉄観音茶、ルイボスティーは茶葉を発酵させている。

それぞれに、それぞれの美味しさと嬉しい効果のようなものがあるため、目的に応じての見分けるも良し、気分によってあれやこれやと楽しむ良し。

お茶は、バリエーション豊かで美味しくて、ヘルシーで頼りになる飲み物である。

そのお茶を中国に古くから伝わる知恵を使って分類すると、体を温めることを得意とするお茶と体を冷やすことを得意とするお茶に分けられる。

その見極めのポイントが発酵しているか否かで、発酵茶葉を使ったお茶であれば体を温め、不発酵茶葉を使ったお茶であれば体を冷やすと言われている。

単純に寒ければ温かいお茶で体を温めて、熱ければ冷たいお茶を飲むという風に選びがちだけれど、お茶を、このような視点で選び分けるのも手である。

緑茶には、カテキンによる殺菌作用があったり、ビタミンCが豊富なので、この時季にたくさん飲むことがあるけれど、体を冷やすことを得意としているため、緑茶だけに偏らずに発酵させた茶葉を使う紅茶やほうじ茶などを口にするのも良いのではないだろうか。

そして、これから気温が上がるにつれて冷たい飲み物を美味しいと感じられるようになるけれど、冷たい飲み物を飲みたいけれど体は冷やしたくないような時には、体を温めることを得意としている発酵茶葉を使ったウーロン茶や紅茶をアイスでいただいて涼を取るのも手である。

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召し上がる機会が多いお茶の茶葉が発酵タイプか不発酵タイプか知っておくと、美味しく体調を整えられるようにも思います。

「体質」と呼ばれるものには、持って生まれた体質と自分自身の食の好みや食生活から作られた体質がありますので、

何気ないティータイムも、様々な角度から楽しんでみてはいかがでしょうか。

何かしらのヒントやキッカケにしていただけましたら幸いです。

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雛人形にも第二の人生があるようだ。

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ひな祭りのお飾りとして準備した生け花を片付けた。

暖冬の影響か、私が部屋を暖めすぎていたからなのか、今年の春告げ花たちは駆け足で咲き散っていった。

あっという間だったけれど、春色や各々の甘い香りなど十分に楽しませてもらったように思う。

うさぎの雛人形は、普段であれば旧暦のひな祭りまで飾っているのだけれど、その日はお天気が良かったものだから軽く虫干しのようなことをして片付けた。

うさぎの雛人形が私の手元にやってきてからしばらくの間は、彼らが届けられたときに入っていた専用箱に入れていたのだけれど、友人の子どもが何気なく発した「暗い箱の中に一人で居るのは可哀そうだね」という言葉が妙に気になって、少し大きめの箱に向かい合わせで収納するようになった。

完全に自己満足ではあるけれど、きっと、箱の中にいるときも楽しく過ごしているのではないかと思っている。

そのような出来事を別の友人に話すと、その友人は、「365日に近い長い月日の間、ずっと顔を見合わせて過ごすなんて、私だったら窮屈だ」と笑った。

こちらは、こちらで酸いも甘いも嚙み分けた発言で、私もつられて笑ってしまった。

さて、どうするか。

結局、向かい合わせに箱に入れ、その隙間を埋めるようにして薄い不織布(ふしょくふ)を入れ、相手のことが全く見えないわけではないけれど目隠しにもなり、彼らにも程よいプライベートができたのではないだろうかとう自己満足に落ち着いている。

たかが雛人形、されど雛人形。

同じものを見ていても反応や感じることは十人十色で、そこには個々の経験や感じたことが詰まっているようで面白い。

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私の雛人形事情はさておき、最近では、雛人形は代々受け継ぐことはせずに、一代限りを正式とする流れがあるのだとか。

そのようなことを耳にすると、無粋にも少子化の流れと経済を関連付けてしまうけれど、雛人形は本来、子どもに降りかかる災いごとを引き受けてもらうもの。

そう思えば、その流れもあながち間違いとは言い難いけれど、代々子どもたちを守ってくれたお雛様たちだから、代々受け継ぐという見方もできるから、私の個人的な印象としては、各ご家庭が何を選択するのか、選択肢の幅が広がったように思う。

仮に、一代限りというスタイルを選んだ場合は、お役目を終えた雛人形をどうしたらいいのかという問題が出てくる。

人形供養を行っているお寺などもあるけれど、なかなかハードルが高いように感じている方も多いのか、『福よせ雛プロジェクト』というものがあるそうだ。

これは、「一般社団法人・日本社会文化教育機構」というところが行っている活動で、お役目を終えた雛人形たちにアレンジを加えてジオラマのような展示品に生まれ変わらせるそうだ。

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お行儀よく座っていた雛人形たちがひな壇を飛び出して、道路交通整備をしていたり、マイク片手に歌っていたり、お内裏様が小さな赤ちゃんを抱きかかえて子育てをしていたりと、ユーモア溢れる姿に、自然と口角が緩んでしまう。

人だけでなく、人形もまた自由に生きたい。

そう思っているのかもしれない。

そのようなことを思いながら終えた2020年のひな祭りである。

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選択肢はひとつではない。

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先日まで消毒関連の商品が完売していたドラッグストアに商品が入荷していた。

目立つところには、一人一点限りという貼り紙があったけれど、急ピッチで製造に取り組んでくださっている方々のおかげなのだろうと思った。

私のこの日の目的は目薬の調達だったのだけれど、店内をぐるりと囲むようにしてできている長蛇の列に、妙な緊張感を覚えた。

世の中の動向を感じてみるかと店内を見回っていると、安価だけれども幅広い菌やウイルスに対応できる、頼りになるキッチンハイターやブリーチなどは、陳列棚にびっしりと並んでいた。

ついでに、無水エタノールの有無を店員に尋ねてみたところ、店内の在庫は一度も品切れになることなく取り扱っているということだった。

自分で液体を薄めたり、移し替えたりしなくてはいけないとなると、普段よりも多少の手間や不便を感じることはあるけれど、それさえも楽しむことができれば過剰な不安からは解放されるように思う。

このような状況のときには、減らせる不安は速やかに取り除くに限る、と私は思う。

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そのようなことを思いながら目薬をカゴに入れ、再び店内を見回っていると、商品がごっそりと無くなっているスペースを発見した。

何、何、何!?

興味津々に近づくとハンドクリームが無くなっているのである。

店員の話によると、手の消毒を頻繁に行うようになった方々が、手荒れを気にして買い求めているそうで、今度はハンドクリームの売れ行きが進んでいるのだとか。

ハンドクリームの在庫は買占めるようなことをしなくても十分にあるため、明日、明後日には補充できるのだけれど、減っていく状況を前にした人たちが、自分の分や家族の分、友人の分もなどと言って買っていくのだそう。

手荒れの状況も人それぞれで、肌質や体質、職業柄などで、ひどい手荒れにお悩みの方は、使用できるハンドクリームが限られていることもあるだろうから、本当に必要としている方のもとに必要なものが届くような状況であればいいのだけれど。

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幸せのレシピ集内で、消毒液の作り方に触れた際に、「手荒れが起きやすくなるので保湿を忘れずに」という点にも触れたのですが、手が荒れてから回復させるのは時間もかかります。

これが小さなストレスになるのは厄介ですし、手肌が乾燥しているとウイルスが付着しやすくなるという話もありますので、今はまだ大丈夫という方も手荒れ対策をしておくと良いのではないでしょうか。

「ながら対策」ではありますけれど、朝晩の洗顔後に化粧水や乳液、クリームやオイルといったものを使用される方は、お顔と同じ工程を手にも行っておくと、激しい手荒れに悩まされるという状況を食い止めることができるようにも思います。

特に、保湿系の化粧水でしっかりと水分を補っておくと随分とコンディションに差がでてきます。

そして、この後にハンドクリームで仕上げておくと少量で安心感もアップします。

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何かしらの偶然が重なると一時的に、普段とは異なる光景が目の前に現れることもあるけれど、そのようなときには慌てずに、選択肢はひとつではないことを思いだしてから判断しても遅くはないのではないかと感じたある日の光景である。

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ワット数違いもドンとこい。

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気になっていたレシピを試してみることにした。

私の場合はズボラ癖が出てしまうのか、ざっくりとレシピを把握した後は、食材や調味料、それらの分量を自分好みにアレンジしまうことが多いように思う。

そして、そのようなとき。

いつだったか、タモリさんがテレビ番組内で料理を作りながら話していたことを思い出すのだ。

「時々、○○の代わりに○○を使ってもいいですか?〇〇の分量は少し減らしてもいいですか?などと尋ねる人がいるけれど、こっちは一番美味しいと思う食材や調味料を、コレだと思う分量でレシピ化しているのだから、そのまま作って欲しい」というようなことを。

この話を初めて聴いたとき「ごもっとも」と思ったのだけれど、私がレシピ通りに作り上げることは相変わらず稀で、その度にタモリさんの言葉が私の頭の中を占領するのである。

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調理と言えば、調理工程の中で電子レンジを使うことがある。

調理工程だけでなく、出来合いのものを温めるときなどにも電子レンジは使われる。

このときに、「500ワットで2分温める」というような目安が記されていることがあるけれど、自宅の電子レンジに、指定されたワット数設定が無い場合もある。

そうすると、一か八かといった形でエイッと温めていたのだけれど、指定されたワット数と過熱時間を自宅の電子レンジのワット数と過熱時間に変換することができることを、昨年末に遅ればせながら知ったのである。

今回は、そのようなお話を少し、と思っております。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。

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あるレシピを友人に伝えた際に、あまりにも素早くワット数と過熱時間を変換したため、そのカラクリを訪ねてみると中学生の頃に習ったというではないか。

しかし、私の記憶には何も残っておらず教えてもらうことにした。

過熱時間を出すためには、「指定された過熱時間(秒)×(指定されたワット数÷使用する電子レンジのワット数)」 という式を使うのだそう。

例えば、1000ワットで2分加熱する必要があるけれど、自宅の電子レンジが500ワットでしか使うことができない場合は、2分×(1000ワット÷500ワット)=4分となり、

500ワットで5分加熱する必要があるけれど、自宅の電子レンジが600ワットでしか使うことができない場合は、5分×(500ワット÷600ワット)=約4分となる。

ただし、使っている電子レンジや食材の状態によって温まり方に差が出てくるため、これはあくまでも目安であることに変わりはなく、

食材や食品の状況を確認し、必要であれば10秒ずつ再加熱をするなどする必要があるけれど、これを使うと必要以上に食材の水分を飛ばすことなく過熱することができるのだ。

中には、計算するのが面倒だという方もいらっしゃるかと。

そのような場合には、指定されたワット数と自宅の電子レンジのワット数の差100ワットごとに、約30秒の時間をプラスしたりマイナスにしたりすると、加熱時間の目安となるようだ。

例えば、指定されたワット数よりも自宅の電子レンジのワット数が100ワット高ければ、過熱時間を30秒減らし、その逆であれば過熱時間を30秒増やすという具合に。

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私の過去の記憶の中に、このような計算式を見つけることはできなかったけれど、

この計算式を知ってからは、どのようなワット数に対しても無駄なく対応できるようになった。

そして、遅ればせながらワット数の変換を静かに楽しんでいるこの頃である。

必要がありました折には、ちらりと思い出してお役立ていただければと思います。

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スミレとアリの言葉なき契約と、遠い記憶と。

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自宅近くに、まだ一度も入店したことがない天然酵母パンを専門に扱うパン屋がある。

お店の前を通ると香ばしいパンの香りに誘われて、ふらりと中をのぞいてみたくなるのだけれど、タイミングが合わず、そのうちにと思いながら数カ月が経っている。

シンプルでスタイリッシュな印象の店構えだけれど、どことなく温かみを感じる雰囲気もあり、店内にはいつもお客さんの姿がある。

店の外には壁に沿うようにして木製のベンチのようなものが置いてあり、その上には、寄せ植えの鉢が3つ並べられている。

2カ月ほど前にパン屋の前を通った時には、真冬の寒空の中、パンジーの黄色がひと際鮮やかで目をひいたけれど、今回は紫色をしたスミレが鉢の中で満開になっており、店主の好みを垣間見たような気がした。

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スミレ。

花屋や園芸ショップなどで鉢植えのものを購入することもできるのだろうけれど、私のイメージは、わざわざ購入する類の花ではなく、“道端で偶然に出会いたい花”である。

スミレは花が終わると、種が詰まった房のようなものをパチンッと弾けさせたときの勢いで種を飛ばして繁殖の場を広げていくという。

ただ、これだけでは種の移動距離は知れており種族を繁栄させられないため、スミレは秘策を使っているのだ。

その秘策というのは、弾け飛ばした種をアリに遠くまで運んでもらうというもの。

しかし、ただでさえ自分たちのことに忙しくしているアリが、無償でこの仕事を引き受けてくれるとは考え難く、だったらスミレは、どのようにしてアリと契約を結んでいるのかと思ってしまう。

スミレの種の先には白い塊がくっついている。

お米で例えるならば米粒の先についている胚芽で、ピーナッツで例えるならばピーナッツの粒を半分に割ったときの片側についている小さな芽の部分のようなものなのだけれど、

この白い塊部分は、旨味成分と数種類の甘味でできており、アリが好む味をしているという。

そして、この白い塊は、種から簡単に取り外すことができないように作られているため、アリたちはスミレの種を一度、巣へ持ち帰って白い塊を食べるという。

白い塊を食べ終えたら種の部分はアリにとって不要になるため、アリは種を再び巣の外へと捨てに行くのだとか。

アリの中には、巣へ運ぶ途中に挫折してスミレの種を道中に放置する者もいれば、障害物にひっかかるなどして運べなくなる者もいる。

白い塊が、運んでいる途中に偶然にもポロリと取れ、種の部分はその場に放置して美味しい部分だけを持ち帰者もいる。

アリの行動には様々なケースがあるけれど、いずれにしてもスミレの種は、アリの力を借りて自分ではたどり着けないような場所で、花を咲かせることができているそうだ。

アスファルトのひび割れ部分や生け垣の妙な部分から、紫色のスミレが1輪だけ咲いているというような風景を目にすることがあるけれど、あれは、スミレとアリによる言葉なき契約による場合があるようだ。

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学生の頃、遊びに行った友人宅にスミレの鉢植えが置いてあった。

気まぐれで種を蒔いてみたら、可愛い花が咲いたという。

しかし、スミレを持ち込んでから、時々アリが出るようになったと言っていたのだ。

当時の私たちはスミレとアリの言葉なき契約のことなど知らなかったものだから、土の中にアリが居たのではないだろうかと話したように思う。

あれから随分と年月が経った頃に、スミレの種の話を知り、友人宅に時々出るようになったアリは、スミレの種についている甘い塊を嗅ぎつけて来ていたのかもしれないと思った。

わざわざ伝えるようなことでもないと思い、伝えぬまま時が過ぎたけれど、あの出来事は今頃の季節だったのかと思った。

巡り来る季節は様々な記憶を呼び覚ます。

パン屋の前を通り過ぎながら、そのようなことを思った日。

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アタリ卵から卵の旬を思い出す。

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卵を割ったら卵黄が2個入っていた。

卵にアタリもハズレもないけれど、当たりくじを引いたような気分になり、卵黄を溶きほぐす手が止まってしまった。

手が止まったと言っても、ほんの一時ではあるのだけれど「今日の良いことトップ10」入りは確実である。

そのようなことを思いつつ卵を溶きほぐしていたのだけれど、今年に入ってから卵にも旬があり、その旬が春であることを知ったことを思い出した。

私たちが口にしている卵のほとんどが、人工的に採卵されたものなので、卵に旬があると聞くと驚いてしまうけれど、ニワトリも野鳥などと同じで、本来は春から初夏辺りに卵を産んでいたのだとか。

産み落とされる瞬間まで、じっくりと時間をかけて仕上げられる春卵の栄養価は非常に高く、先人たちにとっての卵は、今の私たちが卵へ抱く印象とは全く異なるものだったようである。

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七十二候(しちじゅうにこう)に「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」というものがある。

現在の暦に当てはめると、1月末頃から2月はじめ頃のことで、ニワトリが卵を産んで温め始める頃ですよという意味だ。

とりわけて注意深くのぞく機会がなかった、七十二候(しちじゅうにこう)の「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」だけれど、

卵の旬が春だと知った上で「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」をのぞくと、先人たちが卵をあたため始めたニワトリの姿を見て、春がやってくることを感じ、春や旬の味覚である卵を楽しみにしていたことが分かる。

今でも卵は完全食だと言われたりもして好まれているけれど、正直なところ、先人たちが感じていたような特別さを感じる人は多くないように思う。

更には、卵ひとつをとってみてもこのような状態なのだから、食生活全体を見渡してみると「現代人は食べすぎだ」と言われていることも、それによって起こっている良い状況も、そうでない状況も、色々と察しが付くなとも。

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年明け早々に、こうした卵の旬についてのぞく機会があったのだけれど、この時知ったことの中にはニワトリの寿命というものがあった。

本来のニワトリは10年から15年ほどの寿命があるのだそう。

これを短いと言って良いのか、長いと言えば良いのか、私には分からないけれど、私たちが口にしている卵を産んでくれている採卵鶏の寿命は2年ほどだという。

いつでも手頃な価格で手に入る卵だけれど、先人たちの頃とは異なる意味で貴重な、ありがたい食べ物のようである。

卵は、この時季にだけにしか食べられないというわけでもないし、人工的に採卵している卵の品質は安定しているので、この時季のものが特に栄養価が高いというわけでもない。

更には、七十二候(しちじゅうにこう)にある「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」は既に過ぎてしまっているけれど、卵を召し上がる機会がありました折には、春は卵の旬でもあるということをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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菜の花色をした公園案内人は不死身です。

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中途半端に空いた時間を調整することになったのだけれど、人混みに飛び込む気にはなれず、大きな公園内を散策してから目的地へ向かうことにした。

いつもであれば、犬の散歩やウォーキング、ランニングにボール遊びなど、多くの人で賑わっているのだけれど、連日のニュースの影響なのか、この日の公園内は閑散としていた。

人の気配がないからなのか、外の騒音が遮断させれた敷地内は、風に揺れる木々の葉が擦れ合う音が、普段よりも大きいように感じられた。

時折、映画などのシーンの中で、人々が街から消えた様子が描かれることがあるけれど、それを疑似体験したような感覚である。

その景色を寂しいものとして見ることもできるけれど、自然を独り占めしているような清々しい気持ちもあり、この日は散策を静かに楽しんだ。

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公園内を半周した辺りだっただろうか。

何処からともなく黄色い蝶が現れた。

そして、公園の残り半周を先導してくれるかのように、私の少し先を上下に舞いながら出口方向へと向かい始めた。

名前は分からないけれど、黄色い蝶は不死身だと聞いたことがある。

蝶は代替わりの回数が多く、種類によっては、1年の中で4~5回の代替わりをするものがいる。

そして、蝶の姿になった季節によって春タイプ、夏タイプ、秋タイプと分類されるという。

同じ種族なのに、どのようにしてタイプを見分けるのだろうかと不思議に思ったことがあったけれど、彼らは同じ種族であっても蝶の姿になる季節によって姿、いやデザインと言った方がいいだろうか。

容姿のデザインやフォルムを少しずつ変えているそうなのだ。

だから、私たちがパッと見て何となく分かるアゲハ蝶やモンシロチョウも、実は目にする時期によってその姿が異なっていることになる。

蝶には、このような特徴があるのだけれど、冬の時期だけは成長を止めて冬眠しているため、冬タイプは存在しないのだとか。

しかし、黄色い蝶の中には、蝶の姿のまま冬を越す種族がいるそうで、その蝶は不死身の蝶と呼ばれている。

普段は、暖かい場所で待機しており、春の陽気が感じられる日には、ふわりふわり何処からともなく現れるという。

この日、私の前を行く蝶は、多分これである。

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吉兆モチーフともいわれている蝶だけれど、万葉集の中には登場しない存在でもある。

理由は、魂が姿を変えたものだとか、死者が姿を変えたものだと見られており、この世のものではないという扱いをされていたからである。

私にとって蝶は吉兆モチーフでしかないのだけれど、目の前のものをどう見るか、感じるかで抱く印象も随分と異なるものだと思う。

そのようなことを思いながら歩いていると、公園の出入口が見えてきた。

黄色い不死身の蝶とのプチデートもここまでかと思っていると、公園内へ入ってきたご婦人と蝶を挟むようにして目が合い、お互いにニッコリと微笑み合ってすれ違った。

すると黄色い蝶は器用に方向転換をして、今度はご婦人の前をふわりふわりと。

とても素敵な菜の花色をした公園案内人(蝶)に出会った日である。

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