幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

毒草だらけのポイズン・ガーデン。

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後にジャガイモの芽が出てくるであろう場所を、一つずつくり抜いていく。

虫食いに遭ったみたいに見えるその姿に「毒対策完了!」と心の中で発しながら、皮剥きに取り掛かった。

ジャガイモの毒は、炒めても、揚げても、オーブンで焼いても無くなることはないと言われており、しっかりと毒を取り除く方法は芽の部分や緑色の部分を完全に取り除くことだと言われている。

美しいものにも美味しいものにも毒を持ったものはある。

そして、その毒も毒でありながら薬になることもある。

結局のところ、互いの領域を脅かすことをぜずに、適切な距離間をもって過ごすことができれば、上手に共存していくことができるのだろう。

これから、美味しく仕上げることをジャガイモに約束し、せっせと皮を剥いた。

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毒と言えば、イギリスにはポイズン・ガーデンと呼ばれる庭園がある。

そこは、その名が表しているとおり、毒草だけを集め育てている庭園だ。

お名前を忘れてしまったけれど、公爵夫人が所有する美しい庭園の一角にポイズン・ガーデンはあるという。

人気の観光スポットでありながら、黒く重厚感がある扉で閉ざされているポイズン・ガーデンだけは入場制限がかけられており、ここは担当ガイドと一緒に入り説明を受けながら見て回るツアー形式の観光スペースなのだそう。

美しさに誘われて、つい手を伸ばしたくなるような植物も多数あるようだけれども、全ての植物が毒を持っていることから絶対に触らぬよう、匂いも嗅がないよう注意されるようだ。

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植えられている植物の中には、大麻やコカインと呼ばれるような類の薬物を作る際に材料になるような植物が多数植えられているため、24時間体制で厳重な警備が行われているという。

しかし、そもそもどうして、このような危険植物だけを集めたスペースを作ったのか。

庭園に興味を抱くと同時に、庭園誕生のキッカケにも興味を抱いたものだから軽く調べてみたところ、この庭園を造った公爵夫人の話に辿り着いた。

彼女は、広大な土地に庭園を造るために世界中の庭園を見回ったようなのだけれど、毒を持たない草花にばかりが注目されることに対して違和感を覚えたのだそう。

そして、毒草のことに関しても毒を持たない草花同様に知ってほしいという思いから、薬物教育という役割を持たせたスペース、ポイズン・ガーデンを造ることにしたようだ。

薬物を植えて育てるわけだから、国の許可も取得済みである。

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私は、この庭園とのご縁は無く、このような庭園があることを知ったのは昨年の晩秋頃の日本で、である。

人は平穏を望みながらも、無意識かのどこかでスリルを味わいたいと感じでいる生き物なのだろう。

今は休園中の観光スポットだけれども、普段は大勢の人が足を運んでいるという。

かくいう私も、例に漏れずのようで、毒草だけを集めた庭を造りたいと思った彼女の斬新な発想に惹かれてしまい、いつの日か足を運んでみたい場所のひとつとして挙げている。

よく知りもぜずに怖いものだと分類するのと、怖いものである理由を知って分類するのとでは身の守り方も変わるように思う。

もうしばらくの間、国内外を自由に行き来することは難しいように思いますので、今回の画像は全てポイズン・ガーデンと、ポイズン・ガーデンがあるアニック・ガーデンの画像をお借りして、お届けしております。

ほんの少しの観光気分とともにお楽しみいただけばと思います。

関連リンク:

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金魚の歩みとモノゴトの見え方と。

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金魚柄の箸置きを丁寧に洗ってみた。

金魚モチーフの季節は夏だから、これを使うのはもう少し先になるのだけれど、これからやってくる季節に思いを馳せて支度中である。

金魚は、豊かさや幸せ、富といった意味を持っているので縁起物として扱われているけれど、同時に魔除け、災厄除けのモチーフとしても大切にされている。

そして、その金魚柄には赤い金魚と黒い金魚がセットで描かれていることがある。

色のコントラストや配色によるデザイン効果を狙ったものであることが多いけれど、赤い金魚には豊かさや幸せ、富を呼び込むという意味があり、黒い金魚には邪気を吸い込むという意味が含まれている。

作者の意図がどこまで働いているのかまでを知る術はないけれど、この組み合わせは縁起担ぎに抜かりがないという見方で楽しむこともできるように思う。

このような意味が含まれていることを知ると、当然のことながら日本では古より大切に扱われてきたモチーフであるように感じるのだけれど、日本で、このような扱いをするようになったのは、大正から昭和頃だと聞いたことがある。

中国では古より金魚を八宝の一つとして扱っていたけれど、日本では八宝でもペットでもなければ、文様として扱われていたわけでもなかったという。

しかし、金魚は江戸時代半ば過ぎ辺りから絵画などに登場するようになり、いつしか着物や浴衣、和装小物で柄やモチーフとして使われるようになり今に至っていると、呉服店の方に教えていただいたことがある。

年齢を問わず身に纏える定番柄だとばかり思っていた私には、目から鱗が落ちたようだった。

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と同時に、金魚柄にひと目惚れしてしまった外国の友人に、金魚は古くからの日本の定番柄のひとつで縁起物だと教えてしまったことがあることを思い出してしまったのである。

まぁ仮に大正からの模様だとして、大正、昭和、平成、令和だから「古くから」というのはギリギリセーフということにしておこうと思っている。

その友人が金魚にひと目惚れしたきっかけは、私が手土産として渡した日本の飴細工を包んでいたミニ風呂敷の柄にあった金魚である。

何か話のネタになるのか、本当に分からないもので、その時は金魚から繋がる日本のあれやこれやを知り得る全ての英単語と知識を駆使して伝えたように思う。

私の話を友人、知人たちは興味深そうに聴いてくれていたのだけれど、お祭りでの金魚掬いの話をした途端、その場の空気が凍り付いたことがあった。

私から見れば夜店の金魚掬いは夏の風物詩のひとつで、懐かしさや高揚感と共に夏祭りの記憶にダイヴすることができるような光景なのだけれど、友人たちが想像した光景は、彼らの目に動物虐待の光景として映ったのだ。

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私はその中の一人に、「考えてみて。あなたが小さなプールに入れられて頭の上から大きな紙が降りてきて、その紙に掬い上げられるところを」と言われたことを、今でも時々思い出すことがある。

そう言われれば、そう思えなくもないけれど、掬い上げられた先に金魚にとってとても幸せな世界が待っていることもあるわけで。

当時、あの場での会話がどのようにして納まったのかは覚えていないけれど本質を見極めることは難しく、幸せは本人にしか分からないものである。

そのようなことを搔い摘むように思い出しながら、金魚柄の箸置きを収納場所に戻した日。

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割れたボタンを付け替えながら眺めた「がまぐち財布」。

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表面を着物の帯に使われるような布地に覆われた「がまぐち財布」を持っている。

その名のとおり、本来はお財布として使うものなのだろうけれど、私はお気に入りの洋服に使われているボタンのスペアを入れて愛用している。

その日はシャツのボタンが割れてしまい、久しぶりに「がまぐち財布」をパカッと開けて指先でお目当てのボタンを探していた。

結局、いつものように早々に「がまぐち財布」をひっくり返して中身をザパーッとテーブルの上に広げたわけなのだけれど、何かの中に閉じ込められていたものを広いスペースに開放すると、普段とは少しだけ異なる魅力をまとっているように見える気がして、ついザパーッと広げてしまうのである。

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「がまぐちの財布」と言えば、私は数年前まで日本古来のアイテムだと思っていた。

しかし、どこぞやかで手に取った雑誌か何かにはヨーロッパから伝わってきた舶来品だとあった。

がまぐち財布が舶来品?と瞬時に思ったけれど、それはきっと子供の頃から旅先の土産もの売り場で度々目にする和柄の布地を使ったそれを目にしてきたからかもしれないとも思った。

このような話には幾つもの説が残されているけれど、私が頻繁に目にするのは、輸入業を営んでいた方がヨーロッパでの仕事中に、当時のフランスで流行っていた「がまぐち」タイプのバッグやコインケースに目を止めて持ち帰ったことが始まりだという話である。

その持ち帰ったバッグやコインケースからインスピレーションを得て、より日本らしい「がまぐち財布」が誕生したというのだ。

舶来ものであるならば偶然にも「GAMAGUCHI(がまぐち)」という言葉が外国にもあったのだろうかという想像もしたけれど、

ヨーロッパには「GAMAGUCHI(がまぐち)」と言う言葉は存在せず、バッグやコインケースをあけたときの金具部分が、大きく口を開いたガマカエルのように見えたことから、日本ではそれを「がまぐち財布」と呼ぶようになったそうだ。

また、当時の日本人も縁起担ぎが大好きであることは周知の事実。

「出したお金がお財布に帰ってくる(=帰る→カエル)となれば縁起がよろしい」ということで、「がまぐち財布」は財布の中でも特に縁起物として扱われ、今に至るようだ。

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今でこそ、手軽なお値段でも入手可能な一品だけれども、当時は金属が今よりも高価な材料であったり、その金属を加工できるだけの技術を要したりと、「がまぐち財布」をひとつ作るにも大変だったようで、持つことができる人が限られる高価なお品物だったとか。

キャッシュレス化が進む中、お財布の在り方も変わりつつあるけれど、「がまぐち財布」に限っては財布以外の使い道も多いため、自分好みのお好きなデザインに出会うことができたならば、ちょっとした収納ケースとして手に取ってみるのも面白いように思う。

「がまぐち財布」に限らず、目の前にあるものをどう活かすかは、いつだって自分次第。

そのようなことを思いつつ、割れたボタンを付け替えた日。

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成功は突然に。

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この日は、何度目かの、いや、数十回目の挑戦の日。

自宅でストレッチやヨガのポーズをすることがあるのだけれど、どうしてもできないヨガのポーズがあった。

これほどまでにできないポーズなら、いっそのこと他のポーズを増やしてボディーメンテナンスをした方が効率的なのではないだろうかと半ば諦めの境地で挑んだところ、この日は、何とかカタチになったのである。

苦戦の末、ようやくだと思いながら、何度か繰り返していると、体のどの部分に効いているのか、効かせるためのポージングなのか少しずつではあるけれど、体を通して理解できたように思う。

朝のストレッチを済ませて1日の終わりにちゃぷんと湯船に浸かりながら、出来るようになったポーズのことを思い出していたら、

ふと、初めて自転車に乗れた日の夜のように、明日になってできなくなっていたらどうしようという思いが浮かんで、お風呂上りにもう一度試してみようという気になった。

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そう言えば、エジソンが言っていたらしい。

エジソンとは、電球や映写機、蓄音機もそうだっただろうか。

このようなものを数多く発明した人物で発明王と呼ばれている、あのエジソンのことである。

あのエジソンが何と言っていたのかというと、彼は、私たちの最大の弱点は諦めることだ。

成功したいのであれば、常に、もう一度だけ試してみることが、最も確実に成功する方法である、という内容のことを言っていたそうなのだ。

数多くのものを発明した彼の結果のみに目を向けると、発明王と呼ばれる人はやはり違うなという印象を抱いてしまうけれど、

彼は、発明品の数からは想像もできないくらいの失敗を重ねながらも、「もう一度だけ」を何度も繰り返しながら成功というゴールに辿り着いたというから、体験から出た言葉なのだろう。

彼は、失敗をすればするほど成功に近づいているとも言っていたように記憶している。

失敗すればするほど成功に近づいているだなんて、とてもポジティブで心強い言葉だけれど、私にとってグッとくるのは最初の「もう一度だけ」を繰り返すというフレーズである。

頭では分かっていても、「出来ている」「出来ていない」どちらのシチュエーションであっても、「続ける」ということはとても難しいことである。

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そのような彼の言葉を思い返しながら湯上りのリビングで、出来るようになったヨガポーズをもう一度。

昨日までは出来る気配など1ミリも感じられなかったけれど成功は突然に。

拍子抜けするくらい、想像以上に軽々と出来てしまった自分に驚きながら、途中で諦めずにいて良かった、「もう一度だけ」を繰り返してよかったと思った。

何か頑張っていることが上手くいかないときや出来ないときも、「もう一度だけ」と自分の背中を自分で上手に押してみるのもアリである。

それでも頑張れない時には、一旦離れて自分を甘やかしてエネルギーを補充して、仕切り直してから「もう一度」もアリ、だと私は思う。

本日も、ここへ足を運んでくださった皆様に優しい風が吹きますように☆彡

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お約束はスピナッチを使うことだけ。

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パンを美味しく食べたくて……いや、そのままでも美味しいパンを、より一層美味しく食べたくてサバ缶で和風のリエットを作った。

サバ缶という存在が、本来であれば手間暇かかることの全てを私の代わりに済ませてくれていたので、所要時間5分ほどで作業が完了してしまった。

もう少し何かを作っていたい衝動に駆られたものだから、勢いに任せて野菜室を空けるとホウレン草とキノコが入っていた。

私にとってこの組み合わせはスピナッチサンドなのである。

それならばと、スピナッチサンドの具を作ってしまおうとキッチン台の前に立った。

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スピナッチサンドとは、スピナッチサンドウィッチの略で早い話、ホウレンソウが入ったサンドウィッチのことである。

どこにでもありそうなサンドウィッチの具材なのだけれど、私はイギリスに住んでいた頃に、これを数えきれないほど食べたのである。

きっと食べすぎて馴染み過ぎてしまったのだろう。

帰国後はスピナッチサンドウィッチを食べたいと思うこと無く過ごしてきた。

しかし、最近はどういう訳だか、あの頃の味をとても懐かしい味として思い出すのだ。

このスピナッチ(ホウレン草)サンドウィッチは、スピナッチサンド、ポパイサンドと呼ばれることもあるサンドウィッチで、具材にホウレン草を使うこと以外の決め事はない自由な一品だ。

パンに挟む具材は、茹でたホウレン草と茹で卵のみじん切りと合わせてあったり、ホウレン草と人参の組み合わせがあったり、キノコやチーズ、その他、お店や各家庭によって様々な組み合わせのものが挟まっている。

私が気に入っていたものは、ホウレン草、マッシュルーム、パンチェッタ、チーズの組み合わせで、リエットのような状態にしたものが挟んであった。

使うパンも、ハードパンやベーグル、チャパタ、食パンなど何でもありで、そのまま挟んだり、挟んだ後にサンドウィッチをトーストしたりととにかく自由。

しかし、ここまでくるとホウレン草のアリ、ナシは関係ないのではないかと思ってしまうけれど、ホウレン草を抜いてしまうと美味しさも味も半減し、やはりそれはスピナッチサンドではないのである。

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この日は、色々と食材が揃っていなかったけれどホウレン草とエリンギと生ハムがあったので、これで自家製スピナッチサンドの具を作ることにした。

作りながら、知人が実家の母の味だと言って作ってくれたスピナッチサンドは、ホウレン草と茹で卵のみじん切りが甘めのマヨネーズで和えてあったことを思い出した。

また別のお宅でご馳走になったものにはカリカリに焼いたベーコンが挟んであって、なかなかベーコンを噛みきることが出来ずに苦労したことがあった。

あまり美味しいものが無いと言われるイギリス。

これに関しては肯定も否定もしないけれど、楽しむことができる味は色々とあるように思う。

こうして、この日はサバのリエットとスピナッチサンドの具を作り終え、いざ実食。

というタイミングでパンが無いことに気付いたワタクシ……。

呆然とした後、これらは数日かけてパスタソースへと変身し、私の胃袋へと旅立っていった。

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スピナッチサンドウィッチは、ホウレン草を使うことだけがお約束という簡単メニューです。

お時間ありましたら、ホウレン草とお好きな具材をパンに挟んでスピナッチサンドウィッチを英国気分で楽しんでみてはいかがでしょうか。

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Tシャツの脱ぎ方さえも愛おしい!?

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様々な分野でアマビエさんが大活躍である。

(※アマビエとは何ぞや?という方は、下記の関連リンクからどうぞ。)

アート作品で目にするだけでなく、アマビエさんを模ったスイーツが登場したり、厚生労働省も啓発用アイコンにアマビエさんを使うなど、活躍の場は広がる一方だ。

ただワタクシ、ひとつだけ不安に思っていることが。

それは、いつの日か、うっかり「アマエビ」と発するか書き記すかしてしまいそうな気がしているのである。

今も、その不安を吐露しながら画面上にタイプした「アマビエ」の文字を幾度も確認しているところである。

問題なく書き記していることが確認できたので余談はこの辺で終わりにして、今回はTシャツのお話でも。

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暑くなってきたこともあり、Tシャツを着る機会がこれから増えてくるのだけれど、男性と女性では脱ぎ方が異なるという話がある。

男性の場合は、両手を首の後ろに回してTシャツの襟部分を掴んで引き上げるようにして脱ぎ、

女性の場合は、ウエスト辺りで腕をクロスさせて、裾部分を掴んで体から生地を引き剥がすようにして脱ぐことが多いという。

この違いは、Tシャツの作りが男性と女性とでは異なるという理由からきているようだ。

動きやすさを重視した男性用のTシャツは、サイズに余裕を持たせた作りが多くいため、引き上げるようにして脱ぐ方がラクで、

女性用のTシャツは、今はオーバーサイズのものやメンズライクなものなど幅広い選択肢があるけれど、ベーシックな作りものは、女性のボディーラインをきれいに見せることを重視して、程よく体にフィットした作りになっていることが多いことから、

自然と腕をクロスさせた状態で、腕をクロスさせて裾部分を掴んで引っ張り上げて脱ぐ方がラクだという。

女性は、この辺りの対応が柔軟なので無意識にTシャツの作りを察知し、Tシャツに合わせた脱ぎ方をしていることもあるという。

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このような傾向がみられるため、昨今はTシャツのラインやデザインも多種多様ではあるけれど、Tシャツの脱ぎ方を見れば、どのようなタイプのTシャツを好んで着ているのか、ある程度は予想することができるようなのだ。

私は、このどちらにも当てはまらず、お洋服が伸びないか気にしつつ片腕から引き抜くようにして脱ぐタイプなのだけれど、

時折、Tシャツやカットソーの作りに合わせた脱ぎ方をしてみると、とても理にかなっていると感じるのである。

しかし、そう感じつつも慣れない脱ぎ方は落ち着かず、片腕から引き抜くスタイルに定着している。

他にも、自分で着替えられるようになった小さなお子さんたちのTシャツの着方を観察してみると、親がどのように着せていたのか予想することができるという。

頭らスポッとかぶせてから腕を通すように着せられていた子は、手にしたTシャツを、まずは頭からスポッとかぶることが多いという。

一方、両腕を袖に通してから頭にかぶるようにして着せられていた子は、まずは両腕を袖に通すことから始めることが多いのだそう。

ここから、本人が試行錯誤を繰り返して自分が一番着替えやすい方法に着地するようなのだ。

ちょっとした人との違いや癖の中にも過ごしてきた歴史が刻み込まれているようで興味深く、違いが愛おしいものに見えてくる。

Tシャツを脱ぎ着する際には、今回の何かしらを思い出していただいて自由な視点でお楽しみいただければと思います。

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「免疫力」と「ときめき」アップ月間なんていかがでしょうか? 

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窓を開け放った時に流れ込む風が初夏の香りをまといはじめた。

「猛暑」や「酷暑」などと呼ばれる気温は苦手だけれど、季節の狭間は全ての「良いとこ取り」のような気がして気分が躍る。

近年の気候はスパルタ気質なのか、人の体が暑さに慣れぬ前からぐんぐんと気温を上げていくところがある。

健康のために行うダイエットも大切だけれども、このスパルタを跳ね返すためには、健康のためにしっかり食べることもダイエットと同じくらい大切だと感じるこの頃である。

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健康と言えば、幸せのレシピ集内ではビタミンDの話題に度々触れている。

免疫力を上げる栄養素は?と言われて真っ先に思い浮かぶのはビタミンCだけれど、ビタミンDには免疫力を上げて体調不良を予防する効果も期待できることが分かってからは、ビタミンDの注目度も増しているように思う。

ビタミンDに関してご興味ある方や、おさらいしておきたい方は、下記の関連記事のリンクをチェックしていただきたいのだけれど、日本人女性は、世界中で見るとビタミンDが不足している方が多いと言われている。

ビタミンDは日光浴と食事の両方から摂ることができるのだけれど、自宅で過ごす時間が増えている今は、老若男女を問わずビタミンDがこれまで以上に不足しがち。

免疫力を上げておくためにも食事から摂るビタミンDを意識しても良いのではなだろうか。

特別なことをしてみるのもいいのだけれど、普段の生活を送る中で意識の矛先を必要に応じて少しずつ変えていくことができれば、「こうしなくてはいけない」といったストレスを抱え込むことも減るように思う。

自宅のお庭やベランダ、テラスなどで1日1度のティータイムを過ごすだけでもビタミンDはしっかりと体内で作られるので、長時間の自由な外出が難しい今は「自宅de外カフェ」なるものを楽しむのも手。

過去記事内では、ビタミンDを多く含む食材などにも触れているので、自分やご家族の好みであったり、普段の食生活を軸にして取り入れやすいもの、取り扱いやすいものをプラスしたりと、何かしらのヒントやきっかけにしていただければと思う。

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先日、久しぶりに連絡を取り合った友人が免疫力の話題に触れたこともあり、こちらでも免疫力に関する話題をシェアさせていただきました。

気付けば、ブログ内でビタミンDを叫んでいることが多いようなので、柊希がまた言っている……と思われる方もいらっしゃるかもしれないのですが、

そう感じられた方は、既にビタミンDの知識が知恵になった証拠でもありますので、使い時にバシッと使って健やかチャージをしてみてくださいませ。

まだ、自分の中には定着していないと感じられた方も大丈夫です。

ワタクシもすぐ忘れてしまうので、こちらで折に触れて脳内整理をさせていただいておりますので、柊希の脳内整理にお付き合いいただければと思います。

そう言えば、友人との会話の中には「ときめき」というワードも幾度が登場したのですが、ときめかない理由は、目の前のものごとを減点しながら見るからではないだろうかと思うのです。

もちろん、減点しながら見るということは「自分にとっての理想や目標がある」ということでもあるので悪いことではないけれど、減点すれば、点数はいつの日かゼロに。

反対に、ゼロから眺めて加点していく視点で見てみると点数が増えていき、ワクワクして、ときめきにも繋がるのではないかと。

日々の暮らしも、自分自身や自分以外の誰かに対しても、加点視点で見ることができたなら、ときめきもアップしていくように思います。

今月は「免疫力」と「ときめき」増量月間ということでまいりましょ。

本日も良き日となりますように☆彡

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ジャパニーズパープルに染め上げられた髭。

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テーブルの上に広げた色鉛筆を横目に、ルイボスティーのお替りを求めてキッチンへ向かった。

新しいティーパックをマグカップに入れてお湯を注ぎ入れながら、「あれは髭だろうか」と思った。

私が手っ取り早く頭の中を空っぽにしたいときにすることの一つに、大人の塗り絵がある。

はじめは、塗り絵をしながらも脳内で様々なことを考えているのだけれど、次第にそれが落ち着いて、ただただ無心に色を塗り重ねていくだけの状態に入ったときの心地良さがたまらないのである。

その日は、空いた時間を利用して小さな図柄を一つ塗り終えたのだけれど、もう一つと欲が湧いた。

塗り絵本を目の前に立てて目を閉じ、小さな深呼吸をした後にページをエイッと開くと、ツタンカーメンが現れた。

ツタンカーメンが出てくるような雰囲気の塗り絵本ではなかったこともあって「えっ!?」と声を出してしまったけれど、その日、2度目のお題はツタンカーメンに決定した。

黒い線で描かれたシンプルなツタンカーメンを、どのような色で仕上げようかと考えを巡らせながら気になったのが、冒頭の「あれは髭だろうか」である。

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髭は、様々なダメージから肌を守るためのアイテムとして生やし、伸ばしていたという面もあるけれど、それとは別に権威を表すもの、神聖なものとして扱ってきた文明が多数存在している。

このようなことを思うと、ツタンカーメンの「あれ」も間違いなく髭だろうけれど、あれほどまでにも立派な髭に整えられるものだろうかと思いかけて、整えていたはずだと思い直した。

エジプトと言えばクレオパトラ。

彼女の美容知識やメイク技術は現代でも真似られ、応用されているくらいである。

時を同じくして存在していた男性たちも身だしなみには気を配っていたに違いない。

そう思って髭に関して調べてみると、古代エジプト時代の王様は、衛生面を考慮して髭を剃っていたというのである。

権威よりも衛生面を取る辺り、美や健康の最先端をいく文明だったのだと改めて興味が湧いた。

しかし、古代エジプト時代でも髭が大切なアイテムであることに変わりはなかったようで、ここでは、死後の世界の神様とエジプトの王が同じであることを示すための重要なアイテムとして考えられていたようだ。

そこで彼らが考えたのがフェイク髭である。

多くの文明では生前の権威を示すものとして使われていた髭だけれど、当時のエジプト王は衛生面を取り髭なし状態なので、ツタンカーメンにフェイク(つけ髭)を付ければいいじゃないという考えたのではという話があるという。

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現代を生きる私は、剃るも生やすも自由だと思ってしまうけれど、髭ひとつとってみても、その扱いや意味には時代が色濃く反映されているようである。

ツタンカーメンのフェイク髭も神聖なものであることに変わりない、ということを知ったその日の私は、塗り絵モチーフとして目の前に現れたツタンカーメンの髭を、日本で高貴な色と言われているジャパニーズパープルで塗って差し上げた。

そして、和の伝統色で塗りあげたツタンカーメンを眺めながら、和風バージョンも乙ではないかと思うのであった。

「髭」や「ツタンカーメン」の話題に触れる機会がありました折には、今回のお話の何かしらをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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幸せの黄色い……風船。

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自宅ポストの中身をまとめて掴んだ際に、何やらムニュッとした感覚を覚えた。

不思議に思って郵便物を上から捲るようにして確認すると、近所にある洋食屋がテイクアウトを始めたというチラシに、デコレーション袋に入れられた黄色い風船が1つ添えられていた。

ムニュッとした感覚の正体はこれである。

紙切れ1枚よりも読んでもらえる確率があがると考えたのか、小さなお子さんが暇を持て余しているようであればこれで遊んでくださいということなのか、真意は分からないけれど思いが詰められたチラシであることが伝わった。

風船かぁ……。

風船で遊ぶには大人になりすぎてしまっている私は、そのままテーブルに置いているのだけれど、黄色い風船が空高く昇っていく様子を想像すると少しだけ気持ちが晴れやかになるような気がした。

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たくさんの風船を空へ解き放つバルーンリリースと呼ばれるイベントがある。

私は未だ一度も、そのような体験をしたことがなく、目にするのは映像か画像かである。

時折、バルーンリリースに使われた風船だという確証が無いにも関わらず、風に乗って飛ばされてきた風船を目にしてワクワクすることがあるのだけれど、それはきっと、子どもの頃に自宅の庭に辿り着いた風船の記憶が残っているからだろう。

風船から伸びた紐の先には花の種が付いており、「良かったら育ててください」といった類のメッセージが添えられていたように思う。

どこから飛んできたのか、誰が飛ばしたのかも分からなかったけれど、子どもながらにそれまで感じたことのないワクワクを覚えたように思う。

と同時に、誰にも拾われなかった風船は、その後どうなるのだろうかとも。

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大人になりバルーンリリースを行うためには、いくつかの守るべきルールがあることを知った。

その主なルールとは、バルーンリリースに使う風船の素材は、自然に分解されて土に還ることができるラテックスゴムを使うこと。

風船を膨らませる際には爆発したり燃えたりする危険がないヘリウムガスを使い、風船の口元を止める際には風船そのものを引っ張り伸ばして縛るようにして止めることといったものである。

プラスティック製品を使って風船の口元を止めるなどしてしまえば、地球上があっというまにプラスティックゴミで覆われてしまうため、安心安全と環境保護の双方の視点から、このようなルールが設けられているという。

私が子どもの頃に手にした花の種は丈夫な包装が施されていたように思うので、バルーンリリースの規模が大きくなったり、開催頻度が上がる度に、こうしたルールが設けられるようになったのではないかと勝手に推測している。

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そのようなことを思い出しながらもう一度、テーブルの上に置いたままの黄色い風船を手に取った。

せっかくだから膨らませてみるかと、(念のため、消毒を済ませた後に)膨らませてみると想像以上に辛くて驚いた。

肺活量を鍛えておくと、呼吸器疾患の予防になったり、基礎代謝が上がり余計なカロリーをため込みにくい体質に改善したり、体力がついて疲れにくくなるなどのメリットがあると言われている。

運動不足になりがちなこの時期は、こういったもので遊びながら体の機能を整えるのもアリではないかと思った。

私の願いは「基礎代謝よ、上がれ!」なのだけれど、その他のメリットがおまけのようについてくることは大歓迎である。

そのようなことを思ったものだから、洋食屋店主からのお心配りである黄色い風船をふーっと膨らませるこの頃である。

そして、風船のお礼も兼ねて近々、この洋食屋のメニューをテイクアウトしてみようかとお知らせにあったメニューを吟味する夜である。

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古いコインと神様のご機嫌。

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引き出しの奥からずっしりとした重みの箱が出てきた。

重みを感じながら箱を開けると、お財布に入りきらないほどの量の外国コインが入っていた。

外国から帰国した際に、使いきれずに行き場を失ってしまった外国通貨は、ユニセフ外国コイン募金に寄付することもできるけれど、そのうち使うだろうという気持ちを重ねすぎたように思う。

出てきたコインの中には既に使用できないものも多数あり、「思い出」という価値しか持たないコインを前にどうしたものだろうかと思った。

一枚一枚取り上げて眺めてみたけれど、真っ先に出てきた思い出と言えば、自動販売機でお気に入りのチョコレートバーを買うときによく使ったなといようなもので、思わずこの思い出は要るか?と自身に突っ込んだ。

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何かコインにまつわる思い出はないだろうかと新旧を含めた記憶を引っ張りだしていると、随分と遠い日に足を運んだイタリアのローマでの出来事を思い出した。

その中に観光スポットして有名な「トレビの泉(トレドの泉とも)」のことがあった。

トレビの泉(トレドの泉)は、宮殿をバックにしてローマ神話に登場する神様たちの像が配置してある見応えある噴水だ。

この噴水前に広場があるのだけれど、ここに辿り着く道が3本あることから、イタリア語で数字の3を表す「トレ」と道を表す「ビア」の言葉をくっつけて「トレビの泉(トレドの泉)」という名が生まれたと言われている……と記憶している。

私が初めて目にしたトレビの泉(トレドの泉)はライトアップされた夜の景色で、大人びた雰囲気を放っていた。

しかし、時間を問わず大勢の人がコインを投げ入れており、私も例に漏れずトライすることにした。

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トレビの泉(トレドの泉)には、泉を背にして後ろ向きになり、右手に持ったコインを左肩越しに泉の中に投げ入れると願いが叶うという話がある。

しかし、願えば何でも叶うというようなものではなくコインを1枚投げ入れると再びローマにくることができ、2枚投げ入れると愛する人と一緒にいることができ、3枚投げ入れるとパートナーと別れることができるという願いが叶うというものだ。

ローマでは古から、噴水(泉)に向かってコインを投げ入れるのは神聖な行為だという考えがあり、コインを投げ入れると神様のご機嫌を取ることができる、気を鎮めることが出来ると言われているため、トレビの泉(トレドの泉)に限らず、噴水あるところにコインありといった状況だ。

初めてのコイン投げ入れの前に周りを見回すと、1回の訪問で、1度目は1枚、2度目は2枚投げ入れれば一石二鳥だと言っている強者もいたけれど、当時の私は、あまり深く考えずに再びこの地に来ることができますようにという願いを込めてコインを1枚、泉に投げ入れた。

その願いの結果はというと、それから、そう時間を置かずにローマにくることができたのである。

しかし、人は慣れてしまうものなのか、単純に個々の思い入れや好みの度合いによるものなのか。

2度目に目にしたトレビの泉(トレドの泉)に対して、1度目ほどの感動は無くなっていた私は、コインを投げ入れることすらせずに、その場を後にした。

それから随分と年月が経った今、改めて思い返してみたのだけれど、その後ローマに行く機会はないままなのである。

これは、トレビの泉(トレドの泉)に宿る神様のご機嫌を損ねてしまったということだろうか。

いや、きっと。

十分すぎるくらいローマを堪能できたということなのだろうけれど、もう1度コインを投げ入れておいても良かったのかもしれないと思いつつ、箱に詰め込んであった古いコインを眺めた日。

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