幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

読書気分で要点だけをつまみ食い|雨上がりに思い出した、大宴会と日本舞踊。

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雨が上がったその日、イチョウが並ぶ通りを歩くと葉が付いたイチョウの実、いや、銀杏の実があちらこちらに落ちていた。

その光景は、前日の雨風が、イチョウの葉や銀杏の実を枝から振り落とすほどのものだったことがひと目で分かるものだった。

必要なことが必要なタイミングで起きているのだろうけれど、色づく前や熟れる前に木から振り落とされたそれらを目にすると、自然は容赦ないとも思った。

この日は、落ちている大量の銀杏の実を目にしたからなのか、様々な木の実が目に留まった。

名が分かるものは赤く色づき始めたヤマモモくらいだったけれど、季節の移ろいを垣間見ながらの贅沢な移動時間となった。

移動していると、看板を降ろす作業員の方がいた。

度々使う道であるにも関わらず、降ろされている看板を見てはじめて、そこが日本舞踊の教室だったことを知った。

私の目には、古びた様子も破損した様子も無いように映る看板を視界に捉えつつ作業中の横を通ると、聞こえた会話から教室を閉めるらしいということが分かった。

日本舞踊と言えば、古事記の中でもメジャーなお話のひとつ、天の岩戸開きのワンシーンが始まりだと言われている。

今回は、そのようなお話を少し。

ご興味ありましたら、お好きなお飲み物片手に、移動の合間に、お付き合いくださいませ。

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『天の岩戸開き』や『天の岩戸伝説』などといったタイトルで知られておりますけれど、登場人物が多いように思いますので、ここではお二方のお名前にのみフォーカスいたします。

今回の主人公である天照大御神(アマテラスオオミカミ)と日本舞踊の始まりとなった天宇受賣命(アメノウズメ)のお二方です。

※以降、分かりやすさ重視のため、カタカナ表記で失礼します。

ある日、アマテラスオオミカミの元に可愛がっていた弟がやってくるのですが、この弟のやんちゃっぷりと言いますか、悪行と言いますか、これが度を越しておりました。

これに対して堪忍袋の緒が切れたアマテラスオオミカミは、天の岩戸に隠れ引き籠ってしまうのです。

アマテラスオオミカミは太陽神と言われておりましたので、太陽神が引き籠って表に出て来なくなったことから、世の中から太陽の光が消え暗闇のみの世界となりました。

暗闇のみの世界となったそこには、様々な災いが次々にやってくるものですから、「緊急事態発生!お手すきの神様は至急高天原にお集まりください」という声が八百万の神にかけられ、緊急会議が行われたのです。

議題は、『暗闇の世界に再び光を当ててもらうために、天の岩戸に引き籠ってしまったアマテラスオオミカミに岩戸から出てきてもらうには、どうしたら良いか』というものでした。

そして、閉ざされた天の岩戸の前で大宴会をひらいてアマテラスオオミカミを誘い出そうという結論に至るのです。

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宴の準備が整うと、八百万の神々が再び会して飲めや歌えやの大宴会が始まります。

暗闇に覆われて静まり返っているはずの岩戸の外が賑やかなので、中にいるアマテラスオオミカミも外の様子を気にしていたと思うのですが、

その賑やかさが更に増したのは、美しい女神として人気があるアメノウズメが、大きな桶をひっくり返して作った簡易ステージの上で踊り始めたときです。

あまりにも面白おかしく踊るものだから、その場にいた神々は大笑い。

そして、その踊りにつられた八百万の神々も好き勝手に踊り始めるのです。

岩戸の外の賑やかさが気になって仕方なかったアマテラスオオミカミは、そーっと岩戸を開けて外の様子を窺います。

それに気が付いたアメノウズメは、「あなたよりも素敵な神がいらっしゃるから嬉しくて皆で踊っているのよ」と踊りながら伝えるのです。

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そう聞いてしまったら増々気になるというもの。

アマテラスオオミカミは、その素敵な神様をひと目見ようと岩戸から出てくるのですが、そのまま出て来られたのでは誰もいないことがばれて、再び天の岩戸に引き籠られてしまいます。

この状況を想定していた八百万の神々は、予め鏡を作って用意しておいたのです。

この鏡が、三種の神器のひとつの八咫鏡(やたのかがみ)だと言われています。

宴の間ずっとスタンバイしていた鏡担当の神様は、出てきたアマテラスオオミカミを鏡に映します。

すると、アマテラスオオミカミは鏡に映っているものが自分だとは気付かずに、どんどん鏡に近づいていきます。

この隙に、天の岩戸の出入口を閉じたため、アマテラスオオミカミが再び岩戸に引き籠ることはなく、世の中に光が戻ったという話が、古事記の中で『天の岩戸開き』や『天の岩戸伝説』などといったタイトルで知られているお話です。

そして、このアメノウズメの舞いが、「日本舞踊の始まり」「日本芸能の始まり」などと言われています。

触れる機会はそう多くない古事記ですけれど、書いてあることは、私たちの身近でも起き得る出来事のようなもの収められており、「神様世界の本日のブログ」のような気分で触れてみますと、思いのほか楽しめる読み物であるようにも思います。

日本舞踊に触れる機会がありました折には、柊希訳ではありましたけれど、本日のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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欲張らない保存の知恵。

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大人になると、良くも悪くも器用になりすぎて目の前のことに集中できないことがある。

だから時々、頭の中を空っぽにすることを目的にキッチンに立つ。

その日は、黙々とジャガイモの皮を剥いていたのだけれど、うっかりジャガイモの皮を剥きすぎて、気付けば目の前のボウルが、ジャガイモでいっぱいになっていた。

集中しすぎるのも困りものだと思いつつ、皮を剥きすぎたジャガイモは水に浸して冷蔵庫で保存することに。

皮を剥いたジャガイモや、カット済みのジャガイモは、たっぷりの水を入れたポリ袋(食品対応の)の中に入れ、空気を抜くようにして口を縛った密封状態で冷蔵庫保存すると、カットしたばかりの状態を2日ほど保つことができる。

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ポイントは、ジャガイモが完全に水に浸かっていること。

これは、完全に水で覆われた状態にすることで、ジャガイモが空気に触れることを避けることができ、ジャガイモを変色させる要因であるポリフェノールやデンプンの酸化を防ぐことができるという仕組みを利用している。

このポイントさえクリアできるのであれば、水を張ったボウルや丼ぶりで保存することも可能なのだけれど、水で完全に覆った状態をキープすることを思うと、ポリ袋(食品対応の)を使う方が安心できるように思う。

そして、この保存方法は使用日よりも前に準備することができるので、BBQのときにも重宝する。

強いて気になる点を挙げるならば、水に浸しておく時間が長くなればなるほどジャガイモの栄養素が水に溶け出てしまう点だろうか。

とは言うものの、使い切れない量のジャガイモの皮を剥いてしまっただとか、カットしすぎただとか、明日のBBQにした処理を済ませた状態で持っていきたいといった「時々」のことであれば、栄養が溶け出てしまうことに神経質になる必要はないように思う。

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以前、幸せのレシピ集内でシェアさせていただいたことがあるのだけれど、お豆腐やもやしといった足が早い食材も、ジャガイモと同じように水に浸すことで、少しだけ長く日持ちするようになる。

世の中には様々な保存料があるけれど、保存期間を1週間、1カ月、1年と欲張らなければ、水も安心安全に使うことができる保存料のような役目に果たしてくれるようだ。

まだ試したことがない保存方法だったと言う方は、大切な食材を余すことなく美味しくいただくための小さなコツとして、ちょっとした時短のヒントとして、必要なときに記憶から引っ張り出して活用していただければと思います。

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女性はややこしい!洋装は和装と逆で和装は洋装と逆である!?

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今年は浴衣を着る機会があるだろうか。

そのようなことを思いながら、全ての浴衣を取り出した。

梅雨が明けたら風を浴衣に軽く通して、虫食いに遭っていないか、色褪せた部分はないかなどを確認する恒例作業である。

初夏から夏にかけて纏うものだけれど、柄の意味を知ってしまうと、より適した着用時季というものが其々の浴衣にあるため、和装は洋装とは別の楽しみや奥深さがあるように思う。

和装に凝りだしてしまうと、それはそれで大変そうだとも感じるため、今は程よいところで気持ちを止めているところである。

今年は着る機会がないかもしれないと思い、確認も兼ねて鏡の前で羽織って遊んでいたのだけれど、ふと、バスローブの合わせを未だに迷うことを思い出した。

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バスローブは、お風呂あがりやシャワーから出た後に着る、あれ。

体が濡れたままの状態でサッと羽織って水滴を吸わせることができるため、慣れてしまうと非常に便利で、お肌にも優しいアイテムなのだけど、私が上手に探せていないのだろう。

使う度に肌触りが良くなるような、何度もリピートしたくなるような「とっておき」を見つけるのが難しい印象がある。

そんなバスローブだけれど、内側に紐やボタンが付いているものは、何も考えずに紐やボタンを頼りに着るだけで男性は右側を体に付けた後に左側をかぶせて完成し、女性は左側を体に付けた後に右側をかぶせて完成するようにできている。

しかし、大まかなサイズがあるだけの男女兼用タイプは、紐やボタンといった道標がないことから、浴衣や着物を連想させ、どちら側が先だったかしらと混乱してしまうのだ。

何も考えずに纏えば、うっかり和装の癖が出ていたということもよくある話だ。

着物を知っている日本人だから乱してしまうのだけれど、いつだったか友人が、そもそもバスローブは外国のものなのだから洋服の一種だと思えばいいんじゃないかと言ったのである。

確かに、男性もののシャツはボタンが右についており、女性ものはボタンが左についているので、これを基準にすれば間違うことなく着ると分かり今に至っている。

男性は偶然にもバスローブも着物も右前なので迷うことはないけれど、女性は異なっているので覚えやすい方を基準にして「洋装は和装と逆」あるいは「和装は洋装と逆」と覚えておくと迷わずに済むように思う。

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とは言うものの、バスローブはプライベートなものなので、誰かに見られるとすれば親しい間柄の人だけ。

私個人としては、着たいように着ればいいと思っているのだけれど、和装で前合わせを間違ってしまうと死装束になるという認識が「これは、どちらが前?」と思わせてしまうようだ。

そのようなことを思いながら浴衣のお手入れをした日。

バスローブを使う機会がありました折には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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ハイブリッドベジタブルとの再会を胸に、その名を記憶に刻んだ日。

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今年の春、プチヴェールという名の野菜を知った。

フランス語で「小さな」という意味のプティと「緑」を表す「ヴェール」という言葉をくっつけて「小さな緑」と名付けられている野菜だ。

初めてのものを見るととりあえず、調理方法も分からないのに好奇心に任せて手に取ってしまうのだけれど、この野菜は初めて口にしたのに初めてではない味がした。

美味しくいただきはしたものの、腑に落ちなかったのだろう。

私の手帳の雑記ページにはプチヴェールとピンク色のペンで書き残されていた。

先日、そのピンク色の文字を手帳の中に見つけたのだけれど、潔いほど記憶に残っておらず、小さな緑とは何ぞや?とネット検索をかけた。

すると、春先に口にしたあの野菜画像が画面にズラリと並んだのと同時に、春の記憶が鮮明に蘇った。

まずは、もう一度食べてみるかとスーパーに足を運んだのだけれど、そこでプチヴェールの旬が冬から春にかけてだということと、何でもいつでも簡単に手に入ると無意識に思っている自分に気付き帰宅した。

幾つかの季節を迎えなければ手に入れられことにヤキモキしつつ、プチヴェールを気休めに調べてみることにした。

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初めて口にしたにも関わらず、初めてではない味がしたのは間違っていなかったようで、プチヴェールはケールと芽キャベツを掛け合わせたハイブリッドベジタブルだった。

ケールと言えば、私は青汁で口にすることがほとんどなので、ケールと聞けば苦みを持っている野菜というイメージが増すけれど、芽キャベツと掛け合わせてあるからだろうか。

軽く茹でてお浸しでいただいてみたところ、キャベツや菜の花の親戚といった印象の、ほんのりと甘く、どこか慣れ親しんでいる味がした。

ビジュアルは、芽キャベツが葉を濃く緑色に染めて広げたような、葉牡丹を芽キャベツサイズにまで小さくしたような可愛らしい見た目をしているのだけれど、栄養は、βカロテンやビタミンC、鉄分にカルシウムやカリウムを含むミネラルが桁違いの量、含まれている。

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初めて手に取る食材は、その扱いに戸惑うこともあるけれど、プチヴェールはキャベツや芽キャベツ、ほうれん草などと同じように使うことができるため、ちょっと気分を変えてみたいときにも良いように思う。

次にプチヴェールを手に取った際には、天ぷらやベーコンとのソテーでと楽しみにしているのだけれど、目下の目標は、プチヴェールの存在を旬まで忘れないことである。

だからその日は、プチヴェールと記してあるすぐ横に、ハイブリットベジタブルであることとメニューを書き加えた。

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プチヴェールは既に、様々なメニューやサプリメントに使用されて大活躍中のようですが、旬は11月頃から。

ご興味ありましたら、その名をもう少しだけ頭の片隅に忍ばせつつ、その時をお待ちいただければと思います。

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無理に枠にはめる必要はないようだ。

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和柄が側面をぐるりと囲む蕎麦猪口を出し、ミックスナッツを入れた。

カランカランッと食欲をそそる音がしたかと思えば、あっという間に蕎麦猪口内が密状態になった。

食塩がまぶしてあるものも美味しいけれど、自宅用に購入するものは決まって塩分不使用のタイプである。

再び封をしてキッチンカウンターの上に置いたのだけれど、パッケージの裏に書いてあったイルカのイラストに目が留まった。

最期にイルカショーを見たのはいつだっただろうか。

確か夏が来る前の、ちょうど今頃の時季だったことや、そこで食べたかき氷の色がキレイな青色をしていたことなどを、ぽつりぽつりと思い出した。

イルカショー、久しぶりにみてみたいかも。

そのようなことを思いながら再度、パッケージに視線を落とすと『イルカとクジラの違い』というタイトルに気が付いた。

イルカはイルカで、クジラはクジラじゃないの?と思いながら文字を追うと、違いは大きさのみで、単純に全長が4メートル未満であればイルカ、4メートル以上であればクジラだと結んであった。

え?それだけ?と、思わず心の声が漏れてしまいそうな事実に拍子抜けした。

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イルカと言えばハッピーモチーフとして人気があり、様々な伝説が世界中に残っている。

日本各地にも覚えられないほどの数の話があることから、古から人々に愛されてきたことが想像できる存在だ。

日本で見聞きする話に登場するイルカは、お詣りをするイルカが多いように思う。

私の記憶に薄っすらと残っているのは、富士山詣り、お伊勢詣り、その他にも祀られている神様をお詣りしに行くイルカなのだけれど、その道中で起きた話が物語として残っている。

このような話が残っているからイルカは神様の使いだと言われるのか、神様の使いだからこのような話が残っているのか、この辺りは分からないけれど、お詣りに向かうイルカたちを想像すると、口元が緩んでしまうのだ。

イルカは、ギリシャ神話にも度々登場する。

神話と聞けば小難しい印象が先に立つこともあるけれど、何のことはない。

ある意味、人間よりも人間くさい神と呼ばれる方々の日常をのぞくことができる読み物である。

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ギリシャ神話に登場するイルカの群れは、とある音楽家を助けている。

私の記憶も少々曖昧になってきているので、ざっくりとしたあらすじでの紹介になってしまうけれど、これは、音楽コンクールで優勝して大金や財宝を手に入れた音楽家の話。

この音楽家は大金や財宝と共に、船で自分の国へ帰ろうとしたのだけれど、その船に乗っていた水夫たちに、大金と財宝目当てで襲われてしまうのだ。

音楽家は、自分が置かれた立場を理解し、最後にもう一度だけと楽器を奏でながら歌い、そのまま海に飛び込んだという。

すると、演奏と歌声にひかれて集まってきていたイルカの群れが音楽家を背中に乗せ、船よりも先に目的地の港に送り届けたのだとか。

それからしばらくして、あの水夫たちの船も港に到着するのだけれど、彼らは事情を聴いていた国の者たちによって取り押さえられたという話である。

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他にも、イルカは海の神、海の王と呼ばれるポセイドンの恋路や夫婦仲を取り持つこともしているのだ。

ポセイドンはある女性にひと目惚れしたのだけれど、なかなか良い返事がもらえなかったという。

それならばと、海の宝石など、様々なものを贈って求愛してみるのだけれど、これも上手くいかず、何かを作って贈ることに。

このときに作ったものの中にあったイルカを女性がとても気に入り、夫婦になることができたという話や、

晴れて夫婦になれたものの、自由奔放で荒々しいポセイドンのことを好きになれなかった妻が家出をした際、妻を見つけ出しポセイドンのもとへ帰るよう宥めたのがイルカだという話もある。

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そうそう、夜空に浮かぶ星座の中にイルカ座というものがあるけれど、これは、イルカに何かとお世話になっているポセイドンの感謝の気持ちなのだとか。

自由奔放で荒々しい面がクローズアップされることが多い海の神、海の王だけれど、あの大きな手で試行錯誤しながらイルカを作ったり、お世話になったからなーなんて思いながらイルカを星座にしたのだろうかなどと想像すると、不器用さが浮き彫りになり可愛らしく見えたりもする。

そして、人々がイルカを見て癒される理由が何となく分かったような気もしたりして。

そのようなことを数珠繋ぎに思ったけれど、この日一番の衝撃は、イルカとクジラの違いは「大きいか小さいか」だけということである。

イルカもクジラも人だって、無理に枠にはめる必要はないということのようだ。

イルカやクジラを目にする機会がありました折には、今回の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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お月様とヘアサロン。

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今回は髪の毛が伸びるスピードが増しそうだ。

ヘアサロンへは、先日足を運んだばかりなのだけれど、手帳を捲りながらそのようなことを思った。

手帳と髪の毛の成長に何の関係が?と思われそうだけれど、眺めていたのは手帳に記されていた月の満ち欠け。

髪の毛が伸びるスピードと月の満ち欠けには関係があると言われているのだ。

植物を摘んだり、果実を収穫したり、木を伐採したりする際のタイミングを月の満ち欠けで決めているという話は思うよりも多く見聞きする。

たったそれだけのことで何が変わるのだろうかと思うこともあるけれど、実際にタイミングを変えて手を加えたそれらを比較すると、適したタイミングで処理が行われたものは、切り口やその後の様子が驚くほどに異なるという。

自然の神秘ということなのだろうけれど、私たちの体や気持ちも植物たちと同じで、気が付く、気が付かないといった差はあれど、月の満ち欠けの影響を受けているのである。

特に女性の体とそれの関係は様々な視点から見ることができ、中でもホルモンバランスの変化は特に分かりやすい例でもあるのだけれど、髪の毛を切るタイミングが髪の毛に与える影響も同じくらい興味深いものなのだ。

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新月の翌日から月が少しずつ満ちて満月に近づく期間は、簡単に言えば体が様々なものを吸収しやすい時期なので、体に良いものを口にしたり、お肌や髪の毛に必要な栄養を補うなどすれば、ぐんぐんと吸収してくれる、ちょっとお得な栄養補給期間ということになる。

しかし、同時に体に不要なものも同じように吸収し、溜め込んでしまう時期でもあるため、口にするものや肌に乗せるものに注意をするだけでも、不要なものを溜め込むことなくなるため、心身ともに軽やかに過ごすことができるのだ。

満月の翌日からは月が少しずつ欠けていく期間なので、今度は、体から不要なものをはじめとする様々なものが出ていきやすいデトックス期間となる。

これを知っていれば、この期間は栄養を補うことよりも、この流れを利用してデトックスを意識するとスムースに身体を整えることができるという仕組みだ。

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この月の満ち欠けをヘアケアに当てはめてみると、

月が満ちていくタイミングでカットをすると、髪の毛も体も栄養をぐんぐんと吸収する時期なので、髪の毛に栄養が行き渡りやすく伸びるスピードが増したり、トリートメントの効きが良くなることで髪の毛が元気になるといった変化が起きる傾向にあることが分かる。

一方の、月が欠けていくタイミングでカットすると、様々なケアが無駄になるというわけではないのだけれど、髪の毛の成長が緩やかになるため、カットした状態を出来るだけキープしたいようなときには、この期間を上手に使うことで、欲しい状態を手にすることができるというわけである。

月の満ち欠けは、食生活やダイエット、髪の毛の他にも爪切りやネイルケアのタイミングなどにも使うことができるため、臨機応変に自分の身体を丸ごと癒したり整えたりするためのサインとして楽しんでみるのもアリ、であるように思う。

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そろそろ満月がやってきます。

この時季は雷が発生しやすいこともあって、7月の満月は雷月、サンダームーンの異名を持つお月様です。

梅雨時期ではありますけれど、お月様や夜空を見上げて一息ついてみたり、月の満ち欠けを使って体をケアしてみたり、お好きなスタイルで満月を楽しんでみてはいかがでしょうか。

※「月の満ち欠けのタイミングで行うこと」をもう少し具体的にのぞいてみたい方は、関連記事も合わせてどうぞ。

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七夕に降る雨は涙。 

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毎年この時季になると、七夕飾りの竹が設置されるショッピングモールがあるのだけれど、今年は竹の代わりに、感染症を防ぐため竹や短冊を設置しないことが書かれた貼り紙があった。

この短冊を利用したことは無かったけれど、竹に飾られる短冊が日に日に増えていく様子は、季節を感じられる光景だったものだから、中止のお知らせを残念に思った。

命に関わるような優先すべき大切なことは優先していかなくてはいけないけれど、自分の中に、気持ちが豊かになるような物事も新しい形で両立させていきたいと思う気持ちがあることを認識させられたようにも思う。

これまで通りに戻すのではなく、これまで通りを新しい形で作り上げる過程で、もっと素敵な何かがこれから多々生まれていくのだろう。

やはり大変なときというのは大きく変わるときであり、変わることが可能なときでもあり、ピンチはチャンスである。

大きな七夕飾りを目にする機会は減りそうだけれども、今年も卓上サイズの小ぶりな竹を購入し、自宅でささやかな七夕を楽しめたならと思う。

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星に願いをかける七夕と言って浮かぶのは、年に1度しか会うことができない織姫と彦星だ。

幼き頃は、この日に雨が降ると、年に1度の2人の逢瀬を案じていたけれど、2人が会えるよう手助けしてくれる存在がいるので、織姫と彦星は、雨が降っても降らなくても会えるらしいと知ってからは、晴れの七夕も雨降りの七夕も穏やかな気持ちで楽しんでいるように思う。

そう言えば、この七夕に降る雨は、「催涙雨(さいるいう)」や「七夕雨(たなばたあめ)」と呼ばれている。

織姫と彦星の話には雨が降ると会えないという話と、織姫と彦星が会えるように手助けをしてくれる存在がいるため、彼らは雨が降っても降らなくても会えるという2種類の話がある。

だから、この日に降る「催涙雨(さいるいう)」や「七夕雨(たなばたあめ)」と呼ばれる雨には、2人が会うことが出来ずに流す涙だという見方と、無事に会えて再び別れなくてはいけないことに対して流す涙だという見方があるのだ。

私は、織姫と彦星は、2人を手助けしてくれる存在によって、雨が降っても降らなくても会えるという話を好んでいることもあり、この日に降る「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」は、別れの涙だと見ている。

そして、織姫と彦星は雨が降っても会うことができることを前提にした場合、七夕の朝に降る「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」は、会えなかった1年分の涙で、

昼間に降るそれは、1年振りに再開できた嬉しさからくる涙、そして夜明けに降るそれは別れ際の涙だともいわれているのだ。

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今年の七夕トピックは、雨にフォーカスしてみました。

梅雨時季ということもあり、お住まいの地域によっては晴れていたり、曇り空であったり、雨降りであったりとお天気も様々ですけれど、

一口に催涙雨(さいるいう)、七夕雨(たなばたあめ)と言っても、見える景色は見る人の数だけあるようです。

今年は、2人を手助けしてくれる存在のことや、時間帯によって「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」の意味が変わることなどを思い出しつつ、七夕をお楽しみいただけましたら幸いです。

※織姫と彦星の逢瀬を手助けしてくれる存在のお話にご興味ありましたら、関連記事も合わせてどうぞ。

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遠いあの日のハジメテとリンク。

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買い置きをしているグリーティングカードが底をついてしまいそうだったため、慣れているお店へと足を運んだ。

気付けば約4カ月振りの店内で、慣れた場所だというのに、「ハジメテ」を経験するときのようなワクワクと緊張感に包まれた。

数カ所あった入り口は1カ所のみに絞られ、手の消毒を済ませてから入店するスタイルが採用されていた。

すぐに見つけることができる場所に置いてあった買い物かごは全て撤去してあり、必要であれば店員から消毒済のものを受け取るルールだ。

ちょっとしたことのように見えるけれど、店員の方々の負担が増えていることは明らかで、とてもありがたいと思った。

これまでは、購入予定の無いものにも簡単に触れていたけれど、これからは本当に検討するときにのみ手に取ろうと改めて感じたりもした。

ゆっくりと見ていたい気持ちもあったけれど、この日は送り先が決まっている分のグリーティングカードを選び、足早にお店をあとにした。

それでも、以前のような生活に触れられたような気がして、ささやかなハッピーを静かに噛みしめる帰り道となった。

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グリーティングカードと言えば、英国で足繁く通ったグリーティングカードの専門店がある。

当時の友人が紹介してくれお店(メディチギャラリー)なのだけれど、そこはロンドン最古のグリーティングカードのお店で、店内に足を踏み入れると、不思議な懐かしさを感じる空間があり、一瞬で虜になった。

古き良き日本ならぬ古き良きロンドンの姿は私には分からないけれど、きっと、そのような表現が似合うような場所だ。

並べられているカードの雰囲気は様々で、流行りのおしゃれさやカッコよさといった雰囲気というよりは、ここでしか出会うことができないような、つい、誰かに送りたくなってしまうようなグリーティングカードで、それらを前にすると胸がいっぱいになるのだ。

グリーティングカードで胸がいっぱいになるだなんて大袈裟だと思われてしまいそうだけれど、私自身、そのような気持ちになったのは、あの場所だけである。

聞けば、このお店は美術作品を世の中の人たちに見てもらいたい、知ってほしい、広めたいという思いから、作品をグリーティングカードにして販売し始めたお店なのだとか。

私が通っていた頃は既に、お店オリジナルのカードは無くなっていたけれど、このようなエピソードがあることからも、「ロンドン最古の」と言われていることが頷けるように思う。

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当時の私は、足が弱く遠出ができないと言う、ご年配の知人の代わりにラッピング用品を買いに行くことがあった。

というのは、英国では購入した贈り物は自分でラッピングするという習慣があったからである。

特に印象にのこっているのは、クリスマス前。

購入するプレゼントの多さにも驚いたけれど、それら全てを自宅でラッピングするという手間が想像以上のものだったのである。

正直、大変すぎると感じたのだけれど、その部分も含めて楽しんでいる姿は、微笑ましく、温かい時間だった。

いつの間にか私にグリーティングカードをストックする習慣が付いてしまっているのは、あの頃の出来事や経験が少なからず影響しているように思う。

メディチギャラリーのことは、すっかり忘れてしまっていたけれど、約4カ月振りに足を踏み入れたカードショップで感じたワクワクと緊張感が、遠いあの日、メディチギャラリーにハジメテ足を踏み入れた時のそれと似ていて、忘れていた記憶を引っ張りだしたのだろう。

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夏のご挨拶をする時期が近付いております。

このような時だからこそ、葉書きやグリーティングカードなども使いながら、夏のご挨拶をしてみるのも良いのではないでしょうか。

何かしらのキッカケやヒントにしていただけましたら幸いです。

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身体の機能をフリーズさせないために出来ること。

 

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昨年購入した、気持ち小ぶりサイズのポインセチアが二回りほど大きくなった。

夏の陽気を感じてのことだろうか。

ポインセチアらしさと言っても過言ではない赤い葉は、いつの間にか姿を消し、今は深く濃い緑色一色で、見た目はすっかり夏の植物だ。

冬を越せるのだろうかという私の心配をよそに、マイペースにすくすくと成長しているそれを頼もしく眺めるこの頃である。

成長と言えば、確かこの時季を「ばんしゅう(蕃秀)」と呼ぶ。

これは、『黄帝内経(こうていだいけい)』という中国最古の医学書と言われる読み物の中に登場する言葉で、夏の三カ月間をそう呼ぶという。

私は翻訳してある簡単なものを読んだ…いや、眺めた…ことがあるのだけれど、なかなか興味深いことが書いてあったように思う。

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ばんしゅう(蕃秀)というのは、植物が枝葉を伸ばし、花が咲き乱れる様子を表しているそうで、簡単に言うならば、夏は活動の時季ですよ、成長の時季ですよと言っているのだとか。

そして、この時季の過ごし方としておすすめしているのが、太陽が沈んだら休み、太陽が昇ったら起きて日差しを浴び、適度に汗をかくことなのだ。

もしも、このような流れを無視する生活を送り続けたとしたら、それは身体を傷つけることに繋がり、このときの受けたダメージは秋に入ったときにじわじわと体調に現れ、冬に悪化するだろうと言っている。

これは、中国最古の医学書と言われる読み物なので、当時のあれやこれやを、現代にそのまま当てはめることは困難なのだけれど、

暑さで体力を消耗する夏を乗り切るためには、しっかりと睡眠を取ることや日差しを浴びることが大切だということは、現代の私たちにも通じるように思う。

今年も厳しい暑さの夏になりそうだと耳にし始めたけれど、そうなると、1日の大半を冷房が効いた部屋で過ごす方も多く、このような環境で過ごさなくてはいけない私たちの身体は、汗をかくタイミングを失ってしまいがちとなる。

このような生活が続けば、『黄帝内経(こうていだいけい)』で言われているように、熱や湿気を体内に溜め込み、秋冬の不調のもとを育てることにもなりかねないため、夏こそ湯船に浸かって汗をかくことを習慣化すると、身体の機能をフリーズさせずにすむようだ。

運動することが習慣化している方は問題ないけれど、そうではないと言う方は、毎日湯船で汗をかいて、お風呂あがりにはしっかりと水分を補給することを最低限の約束事にしても良いのではないだろうかと思う。

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まずは1分。

湯船の中では何も考えずにリラックスして、身体をゆるゆるに解しながら汗をかいてみてはいかがでしょうか。

この時季の1分は想像以上に長いので、きっと、いい汗をかけるはず。

今年の後半を健やかに過ごすためのキッカケにしていただけましたら幸いです。

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半夏生期間を楽しんでみる。

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1年の半分が過ぎたなんて本当だろうかと手帳を捲り直してみたけれど、あれやこれやと書き込んである手帳を前に観念した柊希が本日もお届けいたします。

本日は半夏生(はんげしょう)期間の初日でもありますので、そのようなお話をと思っております。

ご興味ありましたら、ちょっとした読書気分で、自然のリズムと接点を持つような気分で、お付き合いくださいませ。

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半夏生(はんげしょう)の日は、毎年変わります。

理由は、半夏生(はんげしょう)の日は、夏至の日から数えて11日目と決められているから。

このルールで今年の半夏生(はんげしょう)を見てみると、2020年の夏至は6月21日でしたので11日後の7月1日、本日が半夏生の日ということになります。

そして、半夏生(はんげしょう)期間というのは、半夏生(はんげしょう)の日から5日間を指すので、今年は7月5日までが半夏生(はんげしょう)期間です。

田植えを経験することがなくなると、このような日に触れる機会も無くなってしまいますけれど、田植えは、夏至の後に行い半夏生(はんげしょう)期間に入る前までに終わらせるものなのだとか。

今は、先人たちの頃と気候なども変わってきているので、全てがこの通りではないかもしれないのですが、よく耳にするのは、半夏生(はんげしょう)を過ぎてから田植えをすると収穫量が減ると言われているという話。

きっと、当時の気候と収穫期、稲の育つペースを元に、ベストなお米の収穫量を導きだした答えが、「半夏生(はんげしょう)を過ぎてから田植えをすると収穫量が減る」という言葉で受け継がれて、これが今でも、ある程度の目安とされているようなのです。

こういった自然の力を借りて行われる作業には、興味深い行事がつきものですけれど、農家の方は、田植えが終わると田んぼの神様に感謝し、秋の豊作を願うために、お酒や半夏生餅と呼ばれるお餅、その他の農作物などをお供えするといいます。

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関西では、農作物の根が大地にしっかりと根を張って、豊作の秋を迎えられますようにという願いから、足をしっかりと張り巡らせるタコを食べる風習があるのだとか。

タコは、疲労回復に働いてくれるアミノ酸が豊富に含まれていることから、夏に食べると良いと言われる食材なのだけれど、

このような小さな接点を見つけると、先人たちが行ってきた行事は、願ったり祓ったりするだけでなく、自分たちの健康にも通じているようにも感じられて興味深く思います。

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お米作りはプロにお任せという方がほとんどだと思いますけれど、長い時間をかけて作っていただくお米です。

半夏生期間は今年の秋の豊作を、ご自宅の食卓から願ってみるのも良いのではないでしょうか。

例えば、季節の変わり目特有の疲労回復と豊作を願ってタコメニューを召し上がってみるというのも、ちょっとした行事を身近なものとして楽しむコツではないかと。

半夏生(はんげしょう)期間が過ぎれば梅雨も明けて、本格的な夏に突入致します。

その前に、本日から7月5日までの半夏生(はんげしょう)期間を、お好きなスタイルで、ピンッと閃いたスタイルでお楽しみいただければと思います。

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